「美しいな…」

お祭騒ぎをする都の様子を、朱禁城内の欄干からルルーシュは見下ろしていた。
暗闇の中に浮かび上がる洛陽の様子は、ルルーシュの心を和ませた。
国を治める人間が違えば、景色もずいぶんと違って見えてくるらしい。
星刻たちが起こした決起、そして人民の蜂起や辺境領の反乱から三日が経っていた。
あの日、星刻たちによって捕縛された大宦官たちは牢に繋がれて裁きを待つ身となった。ひと月もしないうちに処刑されるだろう。
長年、国に救ってきた寄生虫のような彼らの最後にしては実にあっけないものだ。大半の貴族たちは、そう考えていた。
だが、それは傍から見れば、というだけで、実際には彼らがどう足掻いても言い逃れのできない状況が作り出されていたのだ。
もちろん、その状況を作り出したのは全ての決起の中心となった星刻だったが、より強固な包囲網を作り出したのは、ルルーシュだった。
ルルーシュがしたことは、三つ。
一つは、以前ルルーシュ自身が語ったように、民間の新聞へと大宦官の不正や悪政の実態を知らせたこと。
次に、隷属を強いられ、独立を求めていた各辺境領へと星刻たちの決起する情報をひそかに部下を使って流したこと。
そして、官吏や貴族ではなく、大勢の人民が決起したことをいち早くシュナイゼルへと伝える手はずを整えることだった。
元々、人民決起は星刻が考えていた計画だったため、ルルーシュがすることは情報を流すことくらいしかなかった。
また危険が増すだろうと思われる、辺境領の軍へと情報を流す行為も、彼らが首都までは絶対に踏み込まないと計算してのことだった。
もし辺境領の軍勢が首都へと進軍すれば、ルルーシュがそれに巻き込まれる可能性がある。万が一、皇位継承権を保持したままのルルーシュが傷を負ったり、命を落としたりした場合は、必ずルルーシュの故国であるブリタニア帝国が軍勢を出す。
全世界を手中に収めようかとしている帝国だ。たとえ建前だろうと理由さえ手に入るのならば、必ず軍を進めてくる。
中華連邦から独立を獲得することができたとしても、ブリタニア帝国の報復が待っているかもしれない。
そう考えたとき、辺境領の軍勢は決して首都には攻め込まないだろうとルルーシュは予測をたてたのだ。
あんなにも疎んだブリタニア皇族という立場に感謝したのはこれが初めてだった。
この一連の計画で、ルルーシュにとって、何よりの不確定要素だったのは、シュナイゼルの対応だった。
恐らく、大宦官が窮地に陥った際、最もあてにするだろうシュナイゼル。
ルルーシュは、シュナイゼルを敵視していたが、兄の帝国宰相としての能力、民を尊重する考え方には尊敬の念を感じていた。
だからこそ、大勢の人民の心が大宦官にないとわかれば、シュナイゼルも大宦官を切り捨てるだろうと考えたのだ。
決起があった日、ルルーシュが待っていたのは辺境領の軍勢が進行してきたという報と、人民に蜂起が今にも行われそうだという知らせだった。
蜂起さえ起これば、それをシュナイゼルに見せつけることができる。大規模であり、大宦官たちを排斥することを主張する蜂起であれば尚いい。
ルルーシュにとって、それが賭けだったのだ。
最も結果として、ルルーシュは最上のものを手に入れることができたのだ。
決起の後、すぐさま暫定とはいえ宰相が置かれた。もちろん、その宰相は星刻である。決起の中心人物だということも大きいが、一番の理由は天子の信任が厚く、首都にいた大半の人民から星刻が支持されたからだ。
屋敷で食事を配っていたことが民の間で広く知られ、それが彼らの支持に繋がったのだ。
昼には、今まで人民に姿を見せることのなかった天子が初めて彼らの前に姿を現し、彼らに反乱のあった日、ルルーシュに言ったことと同じことを宣言した。今宵、都が祭りのように浮かれているのはそのためだ。
そして、城でも同じように、新たな国の門出を祝したささやかな祝宴が開かれている
先ほどまで、ルルーシュもその会場にいた。
しかし、人の多さにあてられたのか、ふら付いてしまい、天子が下がるようルルーシュに命じたのだ。

『芦花も、芦花と星刻の赤さんにも何かあったら、私はとても悲しい』

そう、天子は言ってルルーシュに早く帰って休むようにと言ったのだ。
ルルーシュも疲労がたまっていることは自覚していたので、このまま屋敷に帰るつもりで広間を出てきたのだ。
夜風がすっと、ルルーシュの体を撫で、今宵の白い衣装の袖を揺らめかせた。
ルルーシュは、改めてじっと自分が纏っている衣装を見た。
今宵の衣装は、星刻から贈られたものだという。真っ白のドレスと、同じ生地で織られた上着。
屋敷の侍女たちが張り切って整えた髪を彩る飾りも、ルルーシュの美しさを一層引き立たせる清楚な装身具も、すべて星刻からの贈り物だというのだ。
あの決起の日以来、忙しく動いている星刻とは言葉を交わせていない。祝宴の席でも、せわしく動く星刻に声はかけられなかった。
だが、この贈り物を身につけていると星刻の腕に抱かれているような、安堵感があって、寂しいという気持ちを抱かなかった。
寂しい。
自然と、その感情を認めることができ、ルルーシュは自分の変わりように知らず笑みがこぼれた。

「夜風は体に触るぞ」

暖かいものが、ふわりとルルーシュの肩にかかった。
声で誰だかわかったものの、振り向けば、そこには星刻がいた。
星刻も、今宵は婚儀の時よりは控え目だが着飾った服装をしている。
あの時は、自分が星刻へとこんなにも心を許すようになるなんて思いもしなかった。

「主役の一人が会場に居なくてよいのか? 天子様とて、お前がいなくては…」

本当はここに星刻がいることがルルーシュの胸を暖かくしたけれど、ついその立場や彼が一番大切に思っているだろう天子のことに考えが及んでしまう。

「安心しろ。宴は既に無礼講になっているうえ天子様も、退室されている。私がいなくても問題はない」

星刻は、生真面目に答えた。その顔には、苦笑が浮かんでいる。だが、すぐにその苦笑を優しいものに変えて、ルルーシュを見つめた。

「やはり、良く似合ったな。お前の美しさを存分に引き立てている」

ルルーシュは、それが自分の纏っている衣装のことだとすぐに気がついた。
面と向って星刻に、そのように称賛されるのは初めてで、ルルーシュの頬は自分でもそれとわかるほど赤くなった。

「これはっ…! その、侍女たちが…」
「ん?」

焦って言いわけを口にしようとしたが、優しく促す星刻に続きを口にできなくなる。
その視線も、言葉も、ルルーシュが接したことのないもので、視線を落としてしまう。
俯いたルルーシュの口から出てきたのは「礼を言う…」という、照れのため硬くなった感謝の言葉だった。
顔から火が出そうで、ルルーシュは自分の頬に両手をやる。ひやりとする掌が、頬の熱ですぐに熱くなる。
こんな顔ではまともに星刻を見上げることができない。心臓も早鐘を打ち、ルルーシュはぎゅっと目を閉じる。
ルルーシュが自分のことで精一杯になっていると、頬の両手がそっと大きな手に包まれた。

「え…?」

思わず声をあげて、目を開いたルルーシュが見たのは、星刻がルルーシュの両手を取り、それを捧げ持つように跪く姿だった。

「星刻?」

戸惑う声を上げるルルーシュに、星刻は少し曇った表情を見せた。

「私は…お前の言う通り不実だった。理由はどうあれ、お前に対して誠実ではなかった。本当に申し訳なかった」

星刻はそう詫びてきた。たぶん、星刻が言っていることは『愛人』のことだろう。
だが、真実を知ったルルーシュは星刻を責める気にはなれなかった。
だから、ルルーシュはただ首を振った。
すると星刻はいくらかほっとしたような表情を見せて言葉を続けた。それは、あの優しい微笑みだ。

「順番が逆になったうえ、まだ生まれていないが子もなした後で言うのは片腹痛いと笑うかもしれないが…」

ルルーシュの手を握る星刻の手に力が込められる。
少しだけ、その両手が震えていたように感じたのはルルーシュの勘違いだろうか。

「ルルーシュ姫。生涯、私の傍で、私の妻として共に過ごしてくださいませんか?」

とても真摯な目で、星刻は訴えた。
ルルーシュの胸が震える。痛いくらい、胸が高鳴って、声が出ない。

「愛しているよ。私のルルーシュ」

何を、どう答えていいかわからなかった。
どうしたらいいのか、頭が回らない。
誰かに、こんな風に愛を囁かれる日が来るなんて、思ってもみなかった。
確かにルルーシュは、星刻を心から想っている。そう、最近自覚した。
星刻が、『妻』として自分を丁重に扱ってくれることも幸せだと感じていた。
だが、それがルルーシュと同じ気持ちだからだなんて想像もしていなかったのだ。

「…同じ気持ちならば、どうかこれを受けっとって欲しい」

星刻は、ルルーシュの両手を一端離して、自分の首に手を回す。
そうして、自分が首に下げていた鎖の金具を外して自分の掌にのせた。
そこには、同じ型で大きさの違う二つの銀色の指輪があった。
まるで、結婚指輪のようにシンプルな二つの指輪。
凝視したまま、ルルーシュは身じろきすらできなかった。

「決起の前日には私の手元にはあったのだが……必ず成功させ、お前の元に帰ると願掛けをして、こうして持っていた」

星刻は自分の掌にのせた指輪を見つめ、視線をルルーシュに戻す。何も答えないルルーシュに困った顔をした。

「…私は何か、おかしなことを言っているか? ブリタニアではこうするのが一般的だと聞いたのだが…」

何も答えないルルーシュに不安になったのだろう。星刻は、どこか不安そうに聞いてきた。
星刻の言葉でルルーシュはようやく悟った。こうして、星刻がわざわざ跪いて求婚したり、指輪を差し出したりしてきたのは、ルルーシュの故国の文化に合わせようとしたからだと。
まさに指輪は結婚指輪だったのだ。
まだ世界が幸せで満ちていた頃、確かにルルーシュもおとぎ話のような甘い求婚を夢見ていた。
今の今まですっかり忘れていた、少女の日の憧憬。
だが、ルルーシュにとって何より嬉しかったこと、幼い日に夢見たものが現実になったことではない。
わざわざルルーシュの故国の習慣にのっとった求婚をしてくれた星刻の心がとても暖かくて、苦しくなるほど胸が詰まった。
まさか、この星刻が贈った白い衣装は、ウェディングドレスのつもりだったのだろうか。

「ルルーシュ!? どうした!」

星刻が慌てて立ち上がり、ルルーシュの頬に手をやる。その手に掬い取られた涙を見て、ルルーシュは自分が泣いていたことを知った。
喜びで涙が出るなんて、初めてだ。
まるで、凍っていた心が解けだしたかのように涙が溢れて止まらなかった。
ルルーシュは、星刻の手に両手を重ねて置き、その暖かさをもっと、という様に頬を擦り寄せた。

「嬉しさで涙が出るなんて……知らなかった」

きちんと笑えているだろうか? 今まで、自分の美醜なんて気にしたこともなかったが、今この時は何よりも自分の表情が気になった。
精一杯、星刻が綺麗だと思ってくれるような笑顔を浮かべたかった。

「いく久しく…」

きっと涙が交じって綺麗な笑顔ではないと思う。

「いく久しく、お願い申しあげます」

それでも、今できるルルーシュの最高の笑顔を浮かべた。

「ルルーシュ…!」

星刻は、しばし目を見張ったが、その顔にじわじわと気色が浮かんで、ルルーシュの名を叫んで、目の前の体を抱き締めた。
だが、それはルルーシュの体に遠慮して、包み込むような抱擁だった。だが、きつく抱き締められているような気がした。

「私も…お前が考えているよりも、ずっと、ずっと…深く、強く、お前を想っている」

星刻の肩に顔をうずめながらルルーシュは告げた。ぐずぐずと涙交じりのみっともない声だと我ながら思う。
だが、今の率直な気持ちを飾らない言葉で星刻に伝えたかったのだ。
するすると自分の口から、こんな愛の言葉が出てくるなんてルルーシュには信じられなかった。
こんなに、人へ想いを寄せることがあるなんて思ってもみなかった。

「……夢か?」
「夢でいいのか?」 
「…そんなわけないだろう。夢だったら…困るな」

星刻が真剣な声音で告げて、ルルーシュの肩を抱く力を強めた。
二人抱き締めあったまま、軽口を叩き合う。抱きあっているだけなのに、とても満足だった。

「ルルーシュ…手を」

しばらくそうしていると、星刻はルルーシュから体を離してルルーシュの左手をとる。
まだ目もとは赤いが、そのころにはルルーシュの涙も乾いていた。
星刻が慎重に過ぎる手つきで、ルルーシュの細い指に指輪を通していく。
もちろん、指輪が収まる場所は薬指だ。

「綺麗だ…」

なだらかな形状を描く指輪が、ルルーシュの指に映える。
今までに、これ以上の宝飾品を見たことも身につけたこともルルーシュにはある。
だが、今までで一番、この指輪が綺麗だと思えた。

「気に入ってもらえたのならば、良かった」
「手を」

安堵した表情を見せる星刻の手元から、もう一つ残っている指輪を取り、ルルーシュは星刻の左手の自分と同じ指に、それを通していく。

「こんな日が来るなんて、思ってもみなかった」

ルルーシュは息を吐き出して、星刻の手を包みこんだ。

「私も、こんなにも幸せな日々が手に入るとは思わなかった…」

星刻もルルーシュの言葉に同意して、誓いの指輪が光る手でルルーシュをもう一度抱き締めた。

「…お前と出会えてよかった…」

万感の想いが籠った呟きと抱擁だった。
ルルーシュも、そろそろと腕を星刻の広い背に回して、己が感じている幸福感をしみじみと噛みしめた。

『あなたは、自分が選んだ人と幸せになるのよ』

母の言葉がルルーシュの耳に蘇る。
星刻との出会いは画策されたものだった。
だが、出会って想いを交わしあったのは二人の意志だった。
自分の身を犠牲にしても譲れないものを持つ者同士が出会って、互いを認め合って、恋に落ちた。
それは、出会った二人の必然だったのかもしれない。

「ルルーシュ…」

星刻が吐息に紛れて、ルルーシュの名を呼ぶ。
うっとりと星刻の体温を感じていたルルーシュは、星刻の声に誘われてそろそろとその身を離す。
見上げる星刻の瞳の中に、自分が映っている。その中に映る自分は、見たこともないほど幸せに満ち足りた表情をしていた。
星刻の手が、ルルーシュの頤を軽く持ち上げる。
優しい星刻の表情を最後まで見ていたかったけれど、恥ずかしくてルルーシュは静かに瞼を下ろした。
唇に落ちるのは、とても甘い口付けだった。
初夜に何も感じなかった口付けとは大違いだ。

(母さん…。母さんの願い、私が叶えてあげられそうだ)

ルルーシュは心で、きっと何処かで見守っていてくれるだろう母に話しかけた。
もっと星刻を感じたくて、ルルーシュは背伸びをして星刻の首に両手を回し、口付けをもっと深いものにした。  
星刻も口の端で微笑んで、ルルーシュの腰を抱いてその望みに応えてくれた。


夜空には満点の星。
二人だけの誓いの儀式。
きっと、この空にいるどんな恋人たちより、自分たちは幸せだと、甘くて心が暖かくなることを二人は同時に思い、唯一無二の相手に出会えた僥倖を深く噛みしめていた。  


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