その後やはり疲労が溜まっていたのか、高い熱を出した。出仕はかなわず、屋敷にて治療をしている。無理をしてでも仕事へ行きそうだったのだが、ルルーシュを始めとする屋敷の者たちが安静にしていろと引き止めたのだ。
ルルーシュも、ほとんど毎日、天子の元へと出向いていたのだが、星刻のことを知った天子が屋敷にいた方がいいと言ってくれたため、屋敷で星刻の看病に勤しんでいた。
帝国にいた当時は、よくナナリーが体を壊すことがあったためルルーシュは看病に慣れており、手慣れた様子に星刻がひどく驚いていた。
今までの疲れが一気に出たのか、星刻の体調が回復するには一週間ほどかかった。その間、ルルーシュと星刻の間には、まるで数年来共に過ごした、真実恋し合う夫婦のような空気が漂っていた。
そんな二人の様子が屋敷の者にも感じ取れたのだろう。
ルルーシュに遠慮してか、ずっと「ルルーシュ様」と呼んでいた家の者たちがルルーシュを「奥様」と呼ぶようになっていた。

「星刻?」

今まで一度も入ったことがなかったのに、たった一週間ですっかり見慣れてしまった星刻の部屋へ、侍女に申しつけをしてから戻ってきたルルーシュ。
しかし、先ほどまで寝椅子で仕事の書類やら端末やらを広げていた星刻の姿はどこにもなかった。
子供ではないのだし、ましてここは星刻の家なのだからどこに行こうと構わないのだが、ルルーシュはまだ本調子でないはずの星刻が心配だった。
もう一度部屋を出ると、ルルーシュは夜も更けた屋敷の中を歩き回った。
途中で侍女たちに会い、体を冷やしてはいけないからと羽織ものを渡されたりしながら屋敷のあちこちを探しまわった。

「どこへ行ったんだ?」

ルルーシュはかれこれ四ヵ月ほど屋敷にいるが、まだ足を踏み入れたことがない場所もある。見知った場所には星刻の姿を見つけられなかったため、ルルーシュの足は自然とそちらの方へと向かっていた。

「…なんだと!? まさか、早すぎる」
「ですが、趙皓がそのように動いております。高亥の動きはおとりかと」
「大宦官どもめ…して、あいつらは何を引き換えに得る?」

星刻は、屋敷の一番奥まった中庭にいた。月夜のひんやりとした空気が漂う中で、誰かと話している。
ルルーシュが出入り口からそっと窺うと、夜着に一枚羽織ものを肩にかけただけの星刻と婚姻の宴の際に一度だけ会ったことがある、副将軍としての星刻の部下、香凛がそこにいた。
二人の間に漂う空気は重苦しいものだ。

「…ブリタニア貴族の爵位だということです」
「うじ虫どもがっ!! 天子様をなんと心得るか!」

星刻は心底忌々しげにうめいた。
ルルーシュは、その会話の一端で、二人が何を話しているのか分かった。
大宦官が天子とオデュッセウスを結婚させることによって得る対価がブリタニアの貴族爵位。大宦官たちは、長いものに巻かれろの精神か、ブリタニアに屈するつもりだ。
保身だけを考える、身勝手な腐ったやつら。
ルルーシュが一番嫌悪する輩だった。

「…ブリタニア側でこれを画策したのは、第二皇子シュナイゼルです。もし天子様があちらの皇子と結婚することになれば、間違いなく天子様はブリタニアに送られます。その時、空位になった玉座には、もしかしたら…

香凛が今までよりも声を低めて言うと、星刻がそれを引き継いだ。

「…理由をつけて、私の…いや、ルルーシュの子か?」

苦い口調だった。
ルルーシュは血の気が下がった。
シュナイゼルの言葉が耳に蘇る。まさか、星刻の子供を産めと言ったのはそのためなのか。

「…はい。そう考えることが妥当かと」

ルルーシュの鼓動は例えようもないほど早かった。それは、星刻に疎ましく思われたらどうしようという気持ちからだった。それがルルーシュの心を自分に分からせた。

(私は、いつの間にか、お前を…)

ようやっとルルーシュは、己の気持ちを自覚した。
何を犠牲にしても己の理想を貫く姿、真摯に自分へ接背する姿。
そんな星刻を目にするうちに、ルルーシュは星刻を深く想う様になっていた。
次に星刻が何を言うのか、聞くのが怖い。二人に背を向けてぎゅっと目を閉じた。だが、星刻は一笑にふした。

「いや、それはないだろう」
「星刻様?」

即座に答えを返した星刻が香凛には不思議だったのだろう。ルルーシュも、はじかれるように星刻たちを振り返った。

「あれは…ルルーシュはそんなことを望まないはずだ。ルルーシュはそのような安い権力志向に取り付かれる者ではない。妹君のことがあるから国からの圧力でどうなるかは分からないが、城の女官長殿の話では天子様の結婚にどうも反対しているようだと言っていたしな」

星刻は、ナナリーのことまで知っていたらしい。おそらく、以前自分と言い争った時に調べて知ったのだろう。
ルルーシュの体から、力が抜ける。意識しなければ、その場に座り込んでしまいそうだ。
ルルーシュはただ嬉しかった。
星刻が、自分を疑わずに、そう言いきってくれたことがたまらなく嬉しかった。

「それに、ルルーシュの子は私の子でもある。妻が望まず、私の子の意思すら無視するようなあやつらの陰謀は必ず阻止する」

その言葉を聞いて、ルルーシュはその場を静かに後にした。
自分を信じた夫のため、夫が守りたい天子のため、ルルーシュも自分にできる精一杯のことをしようとしていた。
その後、ルルーシュは部屋で星刻を待って、戻って来た星刻といつものように過ごした。先ほど、自分が二人の話を聞いていた素振りなど微塵も見せずに。
ルルーシュは、次の日の朝、初めて星刻が仕事へ行くのを見送った。まるで、本当に恋し合った新婚家庭のような風景で、星刻への想いを自覚したルルーシュの胸には痛みにも似た甘さが生まれていた。

『あなたは、自分が選んだ人と幸せになるのよ』

星刻は自分が選んだわけではなかった。
星刻から向けられる感情も、ただルルーシュの境遇に共感した同志のような思いなのかもしれない。
だが、それでもルルーシュは今、幸せだと感じられた。
自分を信じてくれたことだけでも十分だと思えたのだ。

「私も、行ってくる」
星刻を見送ったルルーシュは侍女に告げると、久方ぶりの城へと出かけるために車に乗り込んだ。
ルルーシュは、天子と会った後、あの人と連絡をとるつもりだった。
大宦官の牙城で何を馬鹿なと、普通ならば思われる。
だが、あの人の真意を確かめるには、その方が都合がよかった。
あの人が、星刻の子を求めた理由が、香凛が想像した安易な理由だとは到底思えない。
この八年、母が死んでから底が知れない闇を見せる、あの人と連絡を取るためにルルーシュは朱禁城へと向かった。


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