「天子様の教育係になったと聞いたが」
その日の夜、いつものように夜着の星刻が部屋にやって来た。あの初夜の日以来、星刻は自室で着替えをしてからルルーシュの元に現れていた。
裏門で会った少年たちに、もういくらか食事を持たせ、星刻にあれこれと詮索はされたくなかったから、侍女には自分が関わったことを星刻には言うなと口止めしておいた。
星刻の様子から、あの侍女は言いつけを守ったらしい。
「耳がはやいな」
「今日は城にいたからな。高亥、様から聞いた」
おそらく今宵来るだろうと夜着だけを纏って本を開いていたルルーシュは立ち上がり、星刻が歩いていく寝台の方へ向かった。
「ブリタニア様式の礼儀作法をお教えするようにとのことだ。何を考えているのやら」
珍しく愚痴めいたものが出たのは、星刻の公人としての心意気を知って、いつの間にかにルルーシュの心が星刻を認めていたからだ。
星刻は、そのルルーシュの態度に驚いた顔をみせたが、ルルーシュと同じ考えにいたったのかすぐに眉をしかめた。
「ところで、主上と個人的に面識でもあるのか? お前が息災であるか聞かれたが」
ルルーシュは寝台近くの卓に髪留めを置いてまとめていた黒髪をほどいた。
星刻を振り返れば、夜着のままでも常に携帯している剣を寝台にたてかけている。
「…天子様はお元気だったか?」
星刻はルルーシュの質問に答えない。尋ねる星刻の表情は、結婚してからルルーシュが見た彼の顔の中で一番感情を乗せたものだった。
「常日頃の彼女を知っているわけではないから比較はできないが、病などを得ている様子はなかったな」
自分の質問よりも優先して答えてやったのに、星刻は黙ってしまった。
常ならば気にしないルルーシュだが、今日一日で様々なことがあって、いささか感情を制御することが難しくなっていたようだ。
星刻が天子のことを心から案じている表情が余計に拍車をかけていた。
公人としては認められても、私人としては愛人を持つ不誠実な男なのに、どうしてそんな風に天子を心配するのだ。
愛人を持っていることを認めてはいる。だが、気持は何故か言うことをきかない。
苛立ったルルーシュは、意地悪く言った。
「しかし、あれで天子が務まるのか? 中華連邦の政に興味はないが、あれが天子ならばこの国の惨状もうなずけると――っ」
ルルーシュは、突然伸びてきた星刻の腕に引かれて寝台に押し倒された。
手首をつかむ星刻の力は、骨が軋むほど強かった。
「帝国でぬくぬくと育ったそなたにはわからないだろうな」
星刻の目は、忌々しげにルルーシュを睨みつけていた。だが言っていることはとんだお門違いだ。
何をもってして星刻はルルーシュの方が恵まれた環境にいたと断じるのだろうか。ルルーシュは笑いだしたい気持ちだ。
「何がわからないと?」
「父帝も母后もおらず、たった一人で玉座に座り続ける孤独を。己の言葉が無力だと傀儡になるしかない悲しみを」
だからなんだと星刻は言うのだろう。
孤独なら知っている。ルルーシュにはナナリーがいたけれど、宮廷で貴族や皇族を相手にする時はいつだって一人だった。
己の無力を感じる悲しみも知っている。
いつもシュナイゼルの出す策を上回ることができず結局は、そこで己の存在意義を示すことができなかった。
星刻は、ルルーシュがよほど恵まれた姫君だと思っているようだ。
だが考えてみれば、それは仕方がないのかもしれない。シュナイゼルは余計なことを言わないだろうし、星刻はルルーシュが彼を知らないのと同様、個人的なことなどについて話したことがなかったのだから。
「だから? 天子が哀れだから彼女に誠心誠意つかえろと?」
皮肉を込めて笑ってやった。星刻は、さらに顔をしかめた。
「そなたにはわからないだろうな。だが、あの方は真実、天子たる器だ。大恩ある、私たちの天子様だ」
そう言って、星刻は乱暴にルルーシュの夜着の腰ひもを解いた。それからは、ただいつもの夜が来ただけだ。
だが、何故だろうか、傷つかないと思っていた心に、ひびが入ったような気がした。
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