母を失くし、祖国に捨てられ。
地べたを這いつくばって、恥をさらしても生き抜いてきた。
守ってくれるものなどいなかった。
いつだって駆け引きと騙しあい。
だから、もう。
あの頃夢見た騎士なんて、二度と願わなかった。
夢の騎士なんて、思い描いたところで私を助けてくれるはずもなかったから。
けれど、たった一人。
一人だけ。
”私”の騎士になって欲しかった男がいた。
もう、それも儚い夢へと消えてしまったけれど。



「…残りはクルルギ・スザクだけですが、どうしますか?」

陥落したロロは、機密情報局のメンバーをルルーシュに教え、その一掃作業に入っていた。
これで学園の中の邪魔者は、ヴィレッタとスザクだけだ。
一番厄介なのは、ナイトオブラウンズという地位を手に入れたクルルギ・スザクに他ならない。
一年前と変わらない微笑を浮かべて自分の前に現れた、今は卿と呼ばれる男。
教室に現れたスザクを見た瞬間、ルルーシュの胸は確かに凍りついた。 真実の怒りとはマグマのようなものでなく、永久凍土に例えられうるものだと初めて知った。
確かに恋した男だった。
恋に破れても、友人として付き合っていけると思っていた。
けれど。

「あの…どうかしましたか?」

いぶかしむロロの声でルルーシュはハッと我に返った。
今は感傷に浸っている場合ではないのだ。

「なんでもないさ。それより、ロロ」
「何でしょうか?」
「変な言葉遣いは無しだ。私達は姉弟なんだから」

そう言ってルルーシュが笑いかけると、ロロは一瞬目を見開いて、泣きそうな表情をつくった。
きっとロロは自分がどんな顔をしているかなんてわからないのだろう。
育ちゆえに感情を知らなかったロロは、初めて触れるものに対してひどく無防備だ。

「な、ロロ」

最愛の妹を騙った相手だ、八つ裂きにしてぼろ雑巾のように捨ててもまだ足りない。
だが、ルルーシュは目の前の哀れな弟に情が移っている自覚があった。
この一年を片時も離れずロロと過ごしたのだ。
ナナリーにしていたようにロロへ振舞うことは、ルルーシュにとって自然なものになっていた。
共に過ごした時間、たとえ偽りの弟とはいえ、ルルーシュがロロへ注いだ愛情は確かに本物だった。
しかもロロは健気にも、機情を裏切ってルルーシュを選んだ。
もう、捨てられるはずもなかった。
信じた相手に裏切られる辛さは、誰よりルルーシュが一番知っている。
だからこそ、ルルーシュにはそんなことできるはずもないのだ。

「ねえ、さん…」

噛み締めるようにロロは、ルルーシュを呼んだ。
ルルーシュは優しく微笑む。

「それでいいんだ。…ところで、何を会長から言われているんだ?」

よく出来た、と言わんばかりの仕草でロロの頭をなでたルルーシュは、先ほどから非常に気になっていたことを問うた。
生徒会室を出る時にミレイがルルーシュに告げた「ルルちゃんが頑張れば何の問題もないことよ」という言葉に、嫌な予感がしていた。
あの明るさにはいつも救われてきたが、過ぎるほどの祭り好きには困ったもので、何度となく巻き込まれて酷い目にあってきたルルーシュだ。
経験から、あんなことを言うミレイに関わって得をすることはないと知っている。

「あの…えっと…たぶん、怒ると思うけど…あの、ね…」

気安いルルーシュの態度にほっとしたのか、ロロは無意識にルルーシュが記憶を取り戻す前と同じような、少し甘えた口調で話し始める。
話を聞き終わった後、嫌な予感が的中したルルーシュは心底ミレイをこ憎たらしく思うのだった。



「あらー! ルルちゃん、とぉーっても綺麗よ!!」

ロロの話を聞き終わった後、ルルーシュは特大ピザのためのステージ”だった”場所に一人で向かった。 ミレイは、ロロが頼めばルルーシュが断りきれないと知っているので、嫌々だがルルーシュは仕方なしに足を運んだ。 そのロロはといえば、別の用事を言いつけられているようで、一人で来るしかなかったのだ。
話は通してあったのか、そこで待ち構えていたのは演劇部のメイク係及びアッシュフォード家御用達洋装店の女主人だった。
ルルーシュはステージ裏手にある控え室に連れ込まれると、あれよあれよと言う間にドレスを選ばれ、化粧をされた。
背に流しているだけだった髪も結われて、着替えもさせられた。
一仕事を終えた彼女らは自分たちの仕事ぶりに半ば陶酔して、満足すると控え室を出て行った。 すると、それと入れ違いにミレイがやって来てルルーシュを気色満面で見つめたのだ。

「会長…」
「怒らないでよう。これも学園祭成功のためよ!」

ふざけたように言ったミレイだったが、ふと真面目な、どこか悲しげな表情をした。

「本当、綺麗よルルーシュ。皇女殿下に負けないくらい綺麗だわ」

「会長…?」と、思わずルルーシュの口から戸惑いがもれる。
まるで今のミレイの言葉、言い草は、1年前と何も変わらない、ルルーシュが皇族であったことを知っているかのようなものだったからだ。

「あら、こんなこと不敬に当たるわね」

ミレイは笑って自分の言葉を流して、ルルーシュに一枚の紙を渡した。
ルルーシュは内心で戸惑いつつもそれを受け取り目をさっと通すと眉を寄せた。

「…会長」
「なあに?」
「間違いじゃなければ、午後の『デート』の間も生徒会の仕事があるんですが」

ルルーシュがロロから聞いた、今日のトーナメント。
先ほど、ミレイが校内放送で呼びかけたこともあり、ルルーシュは自分が優勝者への景品になっていることを知っている。
よってダンスパーティーまでの午後は、生徒会の仕事も全てなくなるものだと思っていた。

「間違いじゃないわよ。ルルちゃんには、スザクくんと一緒にデートと言う名の仕事をしてもらうつもりだから!」

ミレイの言葉にルルーシュは凍りついた。
スザクと一緒に…?

「トーナメントにはスザクくんも参加してもらってるの。天下のナイトオブラウンズだからね、きっと彼が優勝してくれるわ」

笑ってルルーシュに告げるミレイ。
何の思惑もないとわかる笑顔だったから、ルルーシュは必死になって表情と声を取り繕った。

「で、私とスザクに仕事をやらせて、トーナメントも成功させて一石二鳥、と?」
「さっすがルルーシュ! 察しがいいわね」

(スザクと、二人で行動だ、と…)

ルルーシュの心は一気に冷えた。
スザクと、二人で行動なんて冗談ではない。
自分を皇帝に売った、あんな男と行動を共にするなんて。 白々しい芝居を午後中ずっと演じなければならないなんて。考えただけで嫌だ。
それはスザクを憎んでいるから。
ルルーシュは必死になって、そう思い込もうとしていたが、実際は違う。
優しいスザクの笑顔を見れば、まるで何もなかったかのような錯覚を覚えるからだ。
ゼロになったこと、ブラックリベリオンを起こしたこと、ユフィのこと。
全て、何もなかったかのように。
自分でしたことに後悔なんて、ルルーシュにはない。
だが。
それでも、捨てたはずの恋が疼くのだ。
浅ましい恋心が、御伽噺のような幸せを願うのだ。

「もうすぐ一回戦が始まる時間ね〜。たぶんロロもすぐに…」

ミレイの声を聞きながら、ルルーシュは自分の手を白くなるほど握り締めた。



「姉さん、すぐにリヴァルさんが誓約を始めるって」
「ああ…」

ミレイは自分の考えを語った後、トーナメントを見守るためにルルーシュを控え室に残して外へ出て行った。
そして入れ違いにルルーシュの元へやってきたのはロロだ。
この控え室には監視カメラがないため、ルルーシュは残りのスザクとヴィレッタをどう攻略するかについてロロと話し合っていた。 しかし予定の時間を過ぎてもお遊びの誓約式は始まらなく、ルルーシュの元々丈夫ではない堪忍袋の緒は切れかかっていた。
強制的に着飾らされ、しかも午後はスザクと一緒にいなくてはならないことでルルーシュの機嫌はよくなかったことも災いした。
このままでは控え室から無断でいなくなってしまいそうな勢いだったので、機転を利かせたロロはステージ上のリヴァルりルルーシュの機嫌を伝えにいった。
ロロがステージに行ったとき、ちょうど優勝者が決定した瞬間だったようで、観客席はものすごい盛り上がりを見せていた。
リヴァルも同じような顔をしていたが、ロロがルルーシュの機嫌を告げるとたちどころに顔を青ざめさせた。
ルルーシュが怒った時の怖さを知っているリヴァルはすぐさま誓約式を始める、と慌てて言った。

(憂鬱な午後だ…)

着せられたドレスの裾を上げながら、ルルーシュは控え室から出てステージに続く閉じられたカーテンの前に立った。
随分長い間、こんなドレスを着ることはなかったが、身に付いた所作は消えないものらしい。
ルルーシュの脳裏に、懐かしいアリエスの離宮でのひと時がよぎる。
焼いてきた菓子を手に、テラスへ出てくる優しい母。
そのテラスで紅茶を飲みながら庭の弟妹たちを見つめるシュナイゼル。
珍しくチェス勝負ではなく、庭で遊ぼうと言い出したクロヴィス。
そんなクロヴィスに賛成するユーフェミアとナナリー。
もう、戻れない過去。

『お願いしますよ!では登場していただきましょう、ルルーシュ・ランペルージ”姫”です!!』

確かに”姫”と呼ばれた懐かしい日々の思い出から、リヴァルの声で現実に引き戻されたルルーシュ。

(後悔する資格も、既にない)

苦い思いを飲み込んでルルーシュは、開かれたカーテンから足を踏み出した。
そうして、視線をあげてステージに歩き出したルルーシュは、驚くべきものを目にする。

(スザク…じゃ、ない?)

会場が水を打ったような様子だったこともルルーシュにとって不思議だったが、何より優勝者であるはずの目の前に跪いた男が明らかにスザクではないことに驚いた。
スザクよりもがっしりとした体躯の、金髪の男。
ルルーシュの心は安堵と共に寂しさに包まれた。
午後中、ずっとスザクと過ごすことは確かに嫌だった。捨てた恋に心が苛まれるから。
だが、いざ自分の目の前にいる男がスザクではないことを知ると、こんなにも落胆を感じてしまう。
そんな自分が嫌だった。

「汝、ここに誓約を立て、私の騎士として、私に今日一日仕えることを望むか」

冗談でも自分の騎士を任じる日がくるとは思わなかった。
幼い頃に夢見た、私を護る、私だけの騎士。
もう諦めた、夢の存在。

「…イエス、ユアハイネス」

答える男は、恋した男ではない。
ただ、男の金髪が懐かしい少年を思い出させた。
自分のためにも泣いてくれた、泣き虫の優しい少年だった。
貴族の子弟の中で、作った笑顔ではなく、純粋にルルーシュに接してきた。

「汝、我がために、一日、私の剣となり盾となることを望むか」

帝国でも指折りの名家の出だった。
そういえば、大切だったあの白いリボンを渡したのは、アイツにだった。
シュナイゼルから褒められた、母譲りの黒髪に映えるといわれた思い出の品。

「…イエス、ユアハイネス」

男が剣を差し出したので、それをルルーシュは受け取り、いつかユーフェミアがスザクにしたように彼の双肩に剣を触れさせる。
あの時は、嫉妬と絶望で気が狂うかと思った。
次の言葉は、男の名を呼び騎士として認めるものだ。
その時、ルルーシュは目の前にいる男の名を知らぬことに気づいた。
だが、学園祭の実行委員がそこは心得ていたようで、いつのまにか観客席に回って”トリスタン”と書かれた紙を掲げている生徒がいた。

「私、ルルーシュ・ランペルージは、汝、”トリスタン”を騎士としてここに認める」

”トリスタン”とは変な前だ、と思いつつ、ルルーシュはその言葉を口にした。
そして持ち上がった、男の顔。
男はその瞬間、目を見開く。
整った精悍な顔立ちの中、済んだ空のような蒼い瞳がルルーシュを凝視していた。

(…なんだ?)

わけがわからずルルーシュは、ただ剣を男の前に差し出してる。 だが、その剣を男が受け取る気配はない。
ただ呆然としたように、瞳にルルーシュを写しこんで固まってしまっている。

『え〜と…”トリスタン”さん…?』

不思議に思ったリヴァルの声で、”トリスタン”は我に返ったようにハッとすると、手慣れた仕草で剣を腰の鞘におさめた。
ルルーシュが、さっとその男の上で腕を払うようにすると、男は立ち上がって観客席を向いた。
しばらくは静まり返っていた客席だったが、拍手が段々と大きくなるとそれにあわせて声援も大きくなっていった。

(本当に、なんだ?)

男の奇妙な態度にルルーシュは、首を捻った。
目の前にある広い背中を見つめながら、知り合いか?と記憶を探る。

『”トリスタン”さん、ダンスパーティーまで、我らが姫と学園祭を楽しんでくださいねー!』

しかし、どうにも記憶の中にこんな男などいない。
それでは、見知らぬ男とダンスパーティーまで過ごさなくてはならないのかとルルーシュは溜め息をついた。

『それでは姫と騎士の退場です。どうぞ皆様拍手でお見送りくださーい!』

リヴァルの声と共に拍手が一層、大きくなり、”トリスタン”はルルーシュに向き直ると騎士の礼をとった。
ルルーシュに告げる言葉は気障に、

「では、姫。僭越ながら、わたくしめがエスコートさせていただきます」

そう言って、「お手をどうぞ」と大きな手を差し出してきた。
お調子ものか、とうんざりしながらルルーシュは仕方なしに、その手に自分の手を重ねた。
そうして歩み始めたと時に、ふと見上げた”トリスタン”の横顔。
見知らぬ男だとばかり思っていた目の前の”トリスタン”の顔に、重なる面影があった。

(ジ、ノ…か?)

それは先ほどまで思い出していた少年の名。
泣き虫だった、目の前の男とは似ても似つかない線の細かった少年。
ルルーシュは精一杯自分の鼓動を抑えながら、ジノと共にステージを後にした。


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