『愛? さあ…私の心すべてはあの方のものだから…。だが、きっと私の気持ちにを名をつけるならば、一番近しい言葉なのだろうな。ああ、愛していた。いや、今でも愛している。この私、ジノ・ヴァインベルグの全てを賭けて、あの方を、愛している』

「…だ、そうだが?」

アッシュフォード学園地下の、ある部屋。
その部屋の大きなモニターには、長い緑の髪の女と、つい昨日行われたナイトオブラウンズスリーの裁判の様子が映し出されていた。

「………」
「助けに行くか、あの騎士を? そうなれば、自ら名乗り出るようなものだぞ?」
「…黙れ…いま考えている…」

低い声でその言葉をかき消す黒髪の麗人に「姉さん」と労わる声が掛かった。その人は、力はないが安心させるように、自らの弟に笑顔を向ける。

「…失いたくないか?」

緑の髪の女は先ほどの茶化すような物言いではなく、真摯にそう問うた。
それは黒髪の麗人が珍しく、己の統率する人員や幸福な時間を共に過ごした友人達以外にその深い感情を向けたためだ。

「失くせないわけじゃない…だが…だが…」

麗人は眉根を寄せて。

「あれは…あれは、私の―――」

続けられた言葉は、闇の中にぽつりと落ちた。




「卿…残念です」

グラストンナイツの一人である少年は苦しげに眉を寄せると、ジノを処刑台に拘束した。 初めこそ、突拍子もないことをしでかすジノに反発していたグラストンナイツのメンバーだったが、確かな力を持つジノにだんだんと憧れをもつようになっていた。しかし、ジノにとっては彼の嘆きなどはどうでもいいことらしく、何も反応を返さずおとなしくされるがままだ。

「刑は、クルルギ卿とアールストレイム卿が到着次第始められます」

少年はそれだけ告げると、ジノに背を向けた。ジノはただ目を閉じて、彼が去る足音を聞いていた。
彼は、ジノの態度を迫りくる死の恐怖と闘っているのかもしれないと勘違いした。だが、ジノの胸に広がっていたのは、そんなものでなく、ただ生への絶望でしかなかった。

(やはり…生きていてはくださらなかったのですね……殿下)

本当は、ジノにとってナナリーの命などどうでもよかった。
もちろん、あの方に心底愛されているナナリーが憎かったのは事実である上、あわよくばその命を奪ってあの方から愛情を上回るほどの憎悪を受けたかったのは本当のことだ。 だが、ジノが今回の騒動を起こした本当の理由は別のものだった。
真実の理由は、あらゆる手をつくしても辿ることができないあの方を見つけるため。
もしも、あの方が生きているならば、いとしい妹を手にかけようとしたジノを許すはずがなく、きっとジノをその手で殺してくれるだろうと思ったからだ。
だが、ジノの命を質にした賭けは失敗に終わった。
ジノが捕えられてからもジノの部下たちは定期的に報告をしてきたが、芳しいものは上がってこなかったのだから。

(あなたがいらっしゃらない世界なんて、生きる価値はありません)

今日の処刑が決まってから、ジノの部下たちは人目を忍んで彼の元にやってきては必死になって逃走するように説得を試みた。だが、主がこの世にいないことを確信してしまったジノにはどんな言葉も無意味だった。
数年来の付き合いになった部下たちは何やら画策しているようだったが、もうこのままいかせて欲しいとジノは思う。

(私は煉獄に落ちるでしょうが、その入口でせめてお顔を見せてくださいませんか、殿下)

閉じていた目を開いて、自分を撃ち殺すために銃が構えられた愛機トリスタンを見つめる。
普通、貴族階級の処刑は人知れず行われる。特に、その地位が高いものほどその傾向は顕著であり、臣民にその事実を伝えることはない。だが、今回は事件そのものが隠し立てできるようなものでなかったために、高位の貴族でナイトオブラウンズであったジノの処刑は公開されることになった。 しかも、たとえ貴族で信頼を置かれていたナイトオブラウンズであろうともブリタニアに反旗を翻せば命は無いということを知らしめるために、わざと屈辱的にも愛機を使った処刑にされた。
だが、普通の騎士ならば憤死してしまうような辱めもジノにとってはどうでもいいことだ。

(殿下)

ジノの心を占めるのはすでにこの世にはない、たった一人の主のことだった。

『ジノ』

その時、ふと自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
それは記憶の中の主の声よりも幾分しっとりとした声音だ。

ああ、自分は主を求めるあまり、幻聴まで聞こえてきたのか。 愚かしいほどの想いに、ジノは苦笑した。

『ジノ…。ジノ…ジノ・ヴァインベルグ』

焦がれた続けた声が自分を呼ぶ音に、しばしジノは酔った。
幻聴だろうから、すぐにこの声は消え失せてしまうのだろうと思って。

『ジノ』

だが、いつまでも自分を呼ぶ声はやまない。
それどころか、だんだんとジノを呼ぶその声音が大きくなっている気がした。

「殿下?」

思わずもれた言葉とともに、ジノは処刑場を囲む柵の外にいる民衆のほうへと首をめぐらせた。
人々は、誉れ高きナイトオブスリーの処刑を複雑な面持ちで待っていた。
ジノは柵から離れた処刑台に拘束されていたが、高い視力を保持する彼の眼は確かにさまざまな人の姿をとらえていた。
そして、ジノは柵から少し遠いところに一人だけ、民衆を遠巻きにして立っている人影を見た。
すらりと細い、髪の長い女だった。
クリーム色のジャケットに丈の短いスカート。
黒い長い髪が腰まであり、さらさらと風になびいている。
どうして、自分の眼はそこまでとらえることができたのか。 のちにジノは奇跡だと言って笑うが、その時、ジノにははっきりとその人の表情が見えた。

『ジノ』

夢にまで見たその美貌が、自分の名を呼ぶ。
やわらかく微笑んで、ジノを呼ぶ。

「殿下…」

目を見開いて、呆然とジノはつぶやく。
そして、その姿がかき消えないように、腹の底から声をだして叫んだ。

「殿下…殿下!! ルルーシュ殿下ッ!!!!!」

ジノの声はあたりに響き渡った。



(ジノ…君は…)

スザクはアーニャと共に、ジノの刑が執行される広場へと車で向かっていた。
車内のモニターには、民間のテレビ局によって中継されている処刑台のジノの様子が映されている。 映像だけのジノは、まるで凪いだ海のような姿をしていた。
アーニャはただ黙って流れる外の風景を眺めていたが、スザクはじっとその映像を見ていた。
総督補佐であるスザクが今日の刑執行の見届け人である。本来なら総督の役割であるが、目の不自由なナナリーでは本当に”形式”だけの見届けになってしまう。 そのため、スザクが代行として出向いてきたのだ。
だが実際は、例えその姿を見ることが叶わなくても、そんな暴力的な場所にナナリーを近づけたくなかったというスザクの思いがあったからだ。
それに何より、今のナナリーはとても動揺している。
ジノが自分の命を奪おうとした理由が、行方知れずになっている人のことだったからだ。
ジノの行動は当然だろうと、何度も本国へとジノの助命嘆願を出すなど、手を尽くしていた。
けれど、ナナリーの尽力は結局無駄になってしまった。
もう一時間もすれば刑は執行される。

(ルルーシュ、がジノの愛した主…)

ゆったりとした後部座席に深く腰かけたスザクは、悪い冗談だとしか思えない事実に長く息を吐いた。
もう憎んでいるのか好いているのか分からない程、自分の心を支配するルルーシュ。
信じる未来を形作るために踏み台にして、最も憎んでいた相手に売り渡した、はじめての友達。
それが、あの騎士が心からの忠誠を捧げた、たった一人の主だという。
ああ、どうして世界は優しくはないのだろう。
誰も彼もに優しくはない世界の事実に、スザクが苦悩の表情を浮かべたその時だった。

『………っ!!!!』

民衆が集まっているはずの柵の方向へと何事かを叫んだジノは、激しく動き始めた。
音声まで収集していなかった映像ではいったい何があったのかスザクにも分からない。

「いったい何があった!?」

スザクは、もしもの時のために装備していたインカムで刑場の者と連絡を取ろうとしたが、電波障害によってだろうか、ノイズ音がするだけでインカムは役に立たなかった。
まさか…とスザクの背に嫌な汗が流れる。
それは、直観でしかなかったが、なぜか確信に近いものをもった予感だった。

「はやく!! 刑場へ急いでください!!」

スザクとアーニャを乗せた車は、処刑場へと急いだ。


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