「これだけでいいの?」
にわかに騒がしくなった刑場に背を向けた少年は、傍らの姉の少し高い目を覗き込んだ。
その眼は、いつものように凛としてただ前だけを見ていた。
「ああ。もう十分だ」
件の男が磔にされている刑場から少し離れている場所に姿を現し、男に自分の存在を認識させる。
姉が施した仕掛けは、これともう一つだけだった。
けれど姉の前を向いた瞳には成功の確信が光り、口元にはうっすらと笑みさえ浮かんでいる。
「私たちはゆっくり待つとしよう」
滅多にない姉の穏やかな微笑みに、少年は微かな羨ましさを男に感じた。
(殿下、殿下、殿下…ルルーシュ殿下!!)
ジノは必死になって体を動かした。
今の今まで死に赴こうと、すべてを投げ出していた影はもはや彼にはなかった。
なぜならジノはその眼で確かに見て、聞いたのだ。
世界中のどこを探したって見つけられなかった、彼のたった一人の主の成長した姿を、声を。
(待ってください! もう、私を置いていかないでください!!)
たとえその姿が自分の想いが見せた幻でも今のジノは構わなかった。その先に待つのが落胆だったとしても、希望を持っていられるこの瞬間だけは生きていたかった。
しかし、その黒髪の麗人は傍らに現れた線の細い少年と共に背を向けて人ごみの向こうに消えてしまった。
「くそっ!」
大人しく従っていた時にはさほど不自由を感じなかった拘束服が煩わしい。後ろ手に縛られているせいで、まともな力が出せなく自力で両手を使える状態にすることはできそうになかった。
背後を忌々しく思いながらも懸命に体を自由にしようとしていると、ふとジノの上に大きな影がさした。
「ヴァインベルグ卿! ご無事ですか!!」
「お前は…」
その影の正体はブリタニアのKMFウォードだった。その機体のコックピットから出てトリスタンのハッチを開ける男の顔にジノは見覚えがあった。
確か、何度も自分を逃がそうと説得しに来た男の一人だ。男は、さっと地面に降りてくると手に持った特殊装甲のナイフでジノが処刑台から解放し、拘束服の腕部分を切り離した。
「卿、早くトリスタンにお乗りください!」
改めて周りを見回せば、周囲には数機のウォードがトリスタンを守るように同型のウォードと戦い合っている。
柵の向こう側にいた臣民たちは、異常な事態に悲鳴を上げながら我先にと逃げ出し始めていた。
「一体…」
主を追うことで頭がいっぱいだったジノも、さすがにこの事態には目を見開いた。
傍から見れば仲間割れとしか見えない事態だが、恐らく部下たちが反乱を起こしたのだろう。
先ほどまでのジノであったら、それを煩わしく感じていたはずだ。だが、今ジノには生き抜かなければならない理由ができた。
そのためになら、どんなものを犠牲にしても構わない。
「お早く!」
「ああ、すまない!」
自由を手に入れたジノは、コックピットに戻った男が差し出したウォードの手のひらに乗ると、軽い身のこなしでハッチの開いているトリスタンに飛び乗った。
どうやら最初から、このトリスタンには他のパイロットが搭乗していなかったらしい。扱いが難しい機体だ。会場に到着したスザクやアーニャが刑を執行する役だったのかもしれない。
慣れた仕草でトリスタンを起動させるジノ。
『ヴァインベルグ卿、どうか私の後についてきてください』
先ほどの男から通信が入る。
ジノは少しばかり眉を寄せた。なぜならジノは今から彼の主を探しに行くのだから。
助けてくれた部下だが、自分の道を邪魔するならば排除してしまおうか。そう、ジノが思った時だった。
『あの方の所在がわかりました』
「なに!?」
いくら探しても見つからなかったあの方の行方。それがわかったというのか。
ジノとて主を追おうとしていたが、当てがあったわけではない。
「確かなものか?」
「はっ。必ず、卿をあの方の元へお連れいたします」
絶対の自信がにじむその声。
今まで一向に主の行方にたどり着けなかった部下の声とは程遠いものだ。
「なら、案内してもらおうか…私の殿下の元へ」
「これは…」
スザクがようやっと刑場に到着した時には、既に処刑台にいたはずのジノの姿はそこになく。大破した数機のウォードと破壊された刑場が残るのみだった。
車内のモニターに映るジノの様子が変わり、運転手に先を急ぐように要請した直後。何が起こったのか、モニターは砂嵐だけしか映さなかった。緊急事態だとすぐに悟ったが、刑場から慌てて道を引き返してくる人々の波で、スザクたちが乗った車は前にも後ろにも進めない状態になってしまった。
「枢木卿!」
呆然としているスザクの元に刑場の警護担当だったグラストンナイツの一人が駆け寄ってきた。
「いったい何が起こったんだ!」
「…反乱です。ヴァインベルグ卿の部下だった者たちがKNFを奪取し、卿の身柄を解放しに…」
ジノは、表面では人懐こい男だったが、その内面はあまり他人に関心がないひどく冷酷な男だ。それをスザクや彼に近いラウンズの者たちは知っていた。だが、その表面の人懐こさや面倒見のよさが部下たちには評判がよく、ジノに心酔している彼の部下も少なくなかった。
「彼らのうち半分は捕縛しましたが…枢木卿?」
報告をしていた少年は、おもむろに携帯電話を取り出したスザクの行動をいぶかしんだ。だがスザクは一切気にせず、ここしばらくの内に覚えてしまった連絡先を呼び出した。
『はい』
「ヴィレッタさん、彼女はどうしていますか?」
『…対象は、現在ロロとシナガワのアクアシティへと出かけています。不審な行動は一切…』
「…そうですか…。手数をかけました」
たった二言三言で電話を切ったスザクに、ますます少年は眉を寄せた。
スザクは、もしかしたらと思ったのだ。
ジノの裁判の様子は全国に中継された。主への愛を滔々と語った姿は、世間の話題をさらった。否が応でも彼女の耳にはいったはずだ。
だから、もしも記憶を取り戻しているならば、彼女が行動を起こしたのではないかと思ったのだ。
「肝心のジノはどうしたんだ…」
「東京湾付近までは追跡できたのですが…それが…」
「トリスタンに一掃されたんだね」
「不甲斐ありませんが、おっしゃる通りです」
そうか、としかスザクは答えられなかった。
ジノ、君の主は生きているよ。君にそれを伝えるわけにはいかなかったけれど。
君は、彼女の正体を知っても彼女の元に馳せ参じるだろうか?
「引き続き、ジノ・ヴァインベルグの捜索を続行せよ」
はっ、と頭を下げる少年の声を聞きながら、いつか戦場で再会するかもしれないな、とスザクは皮肉げに唇をゆがめた。
「ここは…どこだ?」
見たことのない施設に、ジノはつぶやく。
圧倒的な力で追手をねじ伏せ、トリスタンを駆るジノは部下のウォードを追って東京湾までやってきた。
どこに行くのかまったく見当が付かなかったが、当然ウォードは海の中へともぐってしまった。トリスタンは水中戦用にカスタマイズされていない。ウォードも同様であるはずだが、何もジノに告げずにそのまま海の中だ。
どうしたものかとジノは思案したが、ここで立ち往生していても追手が追い付いてくるだけだ。ひとまず、ジノは部下についていくことにした。
そうして海の中を悪戦苦闘しながら進んだ先には、どこの所属かは知らないが立派なKMF格納庫があった。
「卿、こちらです」
まるで円形のプールになっているところに出ると、先にウォードをから降りていた部下が声をかけた。
ジノはトリスタンのハッチを開け、周囲を見回しながら海と直接つながっている出入り口の周囲を囲んだ通路に降り立った。ジノが降りたことを確認した部下は、そのまま薄暗い通路へと足を進めた。
海底の様子がガラスの向こうに映し出された、まるで水族館のような、薄暗い直線の通路。
しばらくは、なんとはなしに魚たちを見ながら黙って部下の男の背を追っていたジノだったが、思い立ったように口を開いた。
「こんなところに、本当に殿下がいらっしゃるというのか?」
今まで黙って着いてきたのは、男が絶対の自信を持ってジノに主の行方を知っていると断言したからだ。
だが男が案内してきたのは、KMFが収納された得体のしれない施設だ。
「………」
「何か答えないのか?」
答えを返さない男にジノがいささか苛立った、酷薄な声をかけた時だった。
男がおもむろにその場に膝を付いたのは。
「なに……」
「久しぶりだな…。9年ぶりか、ジノ?」
その声を何度、夢見ただろう。
その姿を何度、もう一度この目に焼き付けたいと願っただろう。
驚きのあまりジノは声を忘れた。
「どうした? 私がわからないか?」
通路の進行方向の暗がりから現れた人は、確かにジノが処刑場で見た姿でそこにいた。
大人びた顔立ちと、あの頃と同じように腰まで伸びた黒髪で微笑んでいた。
ジノが愛した、凛とした気高い姿そのままで、彼女―ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは微笑みを湛えていた。
「で、殿下? ルルーシュ、さま?」
自分の声がみっともなく震えていることさえ、ジノは気付けなかった。
目の前にいるのが幻でなく、現実に存在する姿なのか、それを確かめるためることだけがジノの全てを支配していたから。
「ああ。私が、信じられないのか?」
苦笑な様なものを浮かべたルルーシュは、一歩も動けずにいるジノのすぐ傍まで歩みを進めた。
それは吐息がかかる程の近さで。
「まだ、信じられないか?」
確かにここにある存在を示してやろうと、ルルーシュは己の手をジノの頬に当てた。
その瞬間、まるで熱したものを当てられたような反応をジノはした。
「ルルーシュ様…?」
「ああ、約束を果たすのが遅れてすまなかった…。“お前が望むなら”と約束したのにな」
ルルーシュが日本へと送致される前、ジノが最後にルルーシュに会った時に与えてもらった約束だ。
ジノが望むのであれば、いつか必ずもう一度会ってくれるという約束。
「殿下!!!!」
その言葉を聞いた瞬間、ジノの心には熱いものがこみ上げて、制御不能になってしまった。
心のまま、ジノは目の前にあった華奢な体を力いっぱい抱きしめた。
「殿下、ご無事で…生きて、本当に、」
子供のように縋りついたジノは、ルルーシュの肩口に顔を埋めて嗚咽交じりに言葉をこぼす。
ルルーシュは優しく、その頭を抱いてやった。
「心配をかけた…すまなかった」
ジノは首を振って、謝罪などいらない、ただ再び出会えただけで幸せだ、と声にならない気持ちを両手に込めた。
「ジノ…顔を見せてくれないか?」
泣いている自覚のあったジノは、一瞬躊躇いを見せたが、おずおずと顔を持ち上げる。ルルーシュはそのジノの頬を両手で包み、自分の顔向き合わせた。
ジノは、力が抜けたように両膝を突く。自然ルルーシュは腰を折って、ジノの頬を包んだままの姿勢を維持した。
「ジノ、私の、たった一人のホワイトナイト。お前は、この先私がどんな道を歩もうと、私についてきてくれるか?」
「殿下…」
「たとえ修羅の道に進もうと、例え何を失うことになっても、お前は…」
「ルルーシュ様」
一度目は呆然として、二度目は明確な意思を持って、ジノはルルーシュを呼んだ。
怖いくらい真剣な目をしたルルーシュに、ジノは晴れ晴れとした笑みを向けた。
「ルルーシュ様。私のこの目は、貴方の姿を見るためだけに。この耳は、貴方の御命令を聞くためだけに。そして、この腕は貴方を何ものからも守るためだけにあるのです」
虚を突かれたように眼を見開くルルーシュ。同時に、強く頬をとらえていた両手も緩む。
離れてしまう細い柔らかな手を少々残念に思いながらも、ジノは頭をたれて、その場に騎士の正式な礼をとった。
「ジノ」
「この命、続く限り…いえ、死してさえ後、貴方を守る盾となり矛となることを、貴方に誓います」
ルルーシュは、曇りのないジノの声に、少しだけ涙を滲ませて笑った。
笑みをたたえた唇から零れるのは、誓いを確かにする言葉。
「汝、ジノ・ヴァインベルグ、その言葉違えることなく、私、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに遣えよ」
「イエス、ユアハイネス」
狂犬の牙は、いま、彼が真実愛した主に捧げられた。
折る
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