ユニウスセブンの地球落下に端を発した二度目の世界規模の争いは、地球側にも宇宙のプラント側にも多大な犠牲を払って、ようやく終結へと向かった。
一度目の大戦の際よりも犠牲者の数は少なかったが、それと同等の争いだったことに変わりはない。
戦局は終盤に向うにつれ、プラントのギルバート・デュランダル評議会議長がコーディネーターのみならずナチュラルからも支持を受けるようになり、彼の力によって世界は一つにまとまるかに見えた。
しかし、最終決戦の場となったオーブでの戦闘において、デュランダル以下、プラント評議会のほとんどのメンバーは、その後、長く歴史に名を残すことになるラクス・クラインによって罪を告発され、失脚した。
デュランダルの失脚により世界、特にプラント側は混乱するかに見えたが、その告発人となったラクス・クラインが、暫定議会議長で会ったアイリーン・カナーバの補佐を受けて新たな評議会を率いることになった。
暫定的な措置であったが、ラクス・クラインが戦前から平和の歌姫として世界に名を知られていたこと、そして、二度の大戦の終局のきっかけを作ったことで、世から支持を受けて続けて新生プラント評議会を率いていくことになる。
後の話になるが、彼女は長くプラントの議会の長として活躍することになり、世界に三度争いが起こらないように身を尽くして務めた。
それは、二度目の大戦後オーブの代表首長補佐として国を治めることに尽力したカガリ・ユラ・アスハも同じであった。
カガリ・ユラ・アスハは、国への侵略を許したこと、代表首長でありながら一部の首長がジブリールと共謀した政の暴走を止められなかったことの責任をとって、オーブ本国のあらかたの復興が終わった後に代表の地位を退いた。
しかし、代わって代表を務めた者は、彼女の父ウズミ・ナラ・アスハの考えに深い理解のあった者だった。
それゆえ、カガリ・ユラ・アスハを補佐として任じ、国政の舞台から彼女を遠ざけることはなかった。
そうして彼女は、代表補佐としてナチュラルが多く住む地球と、コーディネーターが住むプラントの溝を埋めるために生涯尽力した。

二度の争いから長く時を経た今でも、まったくその溝がなくなった、というわけではないが、互いが互いに理解を示す世界ができつつあるのは、この二人の女性の尽力が大きかったのだろうと言われている。



「…俺、やっぱり帰る」

常夏の国、オーブ首長国連邦。
その中でも、比較的人口が少ない島にシン・アスカはいた。

「もうっ!! ここまで来て今更何言ってんのよ!! 」

ざざん、と波が打ち寄せてくる砂浜で立ち止まったシンに、叱咤を飛ばしたのはルナマリアだ。
太陽の光を受けて海がきらきらと輝いているが、シンの表情はそれとはまったく反対で、暗雲を纏ったかのようなものだった。
その表情が晴れない気持ちはルナマリアにも理解できるが、それをここで言うのも今更というもの。

「あんた、サクラが可愛くないの!? あの子、泣いてるかもしれないのよ!!」
「……っ」

ルナマリアの声は、波音にかき消されることなくシンの胸に突き刺さる。
シンは唇をかんだ。

「あんなに何回も手紙書いてくれるのに、あんた、何にも感じないわけ!?」

それまで俯いていたシンは、ルナマリアのその言葉にばっと顔をあげた。

「…そんなわけないだろっ!! 」

シンの露わになった悲壮な表情にルナマリアは一時のまれる。
だが、ルナマリアはここでシンに負けるわけにはいかないのだ。

「じゃあ、なんで行かないなんて言うのよ! 私だって…私だってサクラに合わせる顔なんてないって思うわよ! でもサクラ、あんなに手紙くれて…これで答えなくてどうするのよ!!」
「俺だって!! …俺だってサクラに会いたい!…でも…でも」

そう言うとシンはまた俯いてしまう。

(気持はわかるわ、シン)

ルナマリアは音にせず呟いて、ここ二年で輪郭がすっかりシャープになったシンの顔を眺めた。 シャープになったと言うよりは、やつれたと言った方が正しいのかもしれない。
大戦後、友人たちが次々と軍を止めていく中、ルナマリアとシンは結局ザフトを退役しなかった。
それは惰性からではなく、ひとつのけじめとして自らの意思で二人が決めたことだ。
特にシンは、ルナマリアよりもその思いを強く持っていた。
二年前の戦闘終結直後、シンは軍法会議ものの騒動を起こした。
当時フェイスであったレイ・ザ・バレルの逃走補助。
シンはレイの目的がなんであったかを知りながらその逃走を補助し、一時身柄を拘束された。
レイの目的は、二度目の大戦で主導的な役割を果たしていたギルバート・デュランダル。
それを知りながらレイの行動を黙認し、あまつさえ助力したシンの行為は公人として咎められるべきものだった。
しかしシンは軍法会議で裁かれることはなかった。
レイを逃亡させたことについては厳重な注意を受けたが、それだけだった。
そして、レイの所在はわからぬまま、戦闘終結から半年。
病のため、罪を追及される場に出廷できずにいたデュランダルの死が公式に発表された。
だが、シンはその公式見解を信じなかった。
きっと彼はレイと共にどこかに逃げたのだと信じていた。
―――新たな最高評議会議長であるラクス・クラインとその側近たち数人しか知らぬことであるが、そのシンの憶測は真実である。
搭乗機であったレジェンドをミネルヴァから奪取したレイは逃走後、表向きには病死したことになっているギルバート・デュランダルを連れて行方をくらました。
本来なら、プラント、地球の全ての力を持ってして二人を探し出すことが正しい道だ。
だが、プラントの行く末を握る歌姫はそれをしなかった。
彼女には、夢破れたデュランダルがもう一度全てを賭けて世界に戻ってくるとは到底思えなかったからだ。
それは推測ではなく、彼と同種の人間であると自認するラクスの確信であった。
ラクスのそんな確信があったからこそ。
そして、大戦後の処理でそれどころではなくなったためシンは軍からの厳重注意、という軽い処罰で済んだのだった。

『…シンは除隊、する?』

ラクス・クラインが暫定ではなく、正式に議長に就任した時、軍の縮小に伴った大幅な人員削減のために希望退職者が募られた。
その時にほとんどの二人の友人は軍を除隊する希望を出した。

『俺はしないよ…』
ルナマリアにシンは大人びた表情で語った。
以前のシンからは想像もできない、穏やかでどこか寂しさを感じさせる笑みでシンは言った。

『俺も、やることやらなきゃね』

シンは続けた。
ルナマリアはそのシンの笑みと言葉で、シンと共に軍に残ることに決めた。
そして、軍に残った二人には上層部から三か月に一度の割合で子供がかいたと一目でわかる文字入りの絵が届くようになった。
少しずつ文字が上達していくその絵は、紛れもなくシンが親元に送り届けたサクラからのものだった。

『シンちゃん レイちゃん ルナちゃん』
『サクラより』

初めて届いたものは、シンたちの名前を判別するのも難しかった。
それがどんどん上達し、今では簡単な文章さえかけるようになっている。
そのサクラが初めて書いた文章。そして今でも送られてくる絵に必ず書かれている言葉。

『あいたいです』

この二年間、サクラからのメッセージは二人の元に届き続けた。
シンへの宛名しかないその手紙は、時に上層部からの命令書と共にシンの元に直接届いた。
それが誰を経由して届いているものなのかは、二人とも簡単に想像できた。
フェイスとして二人は、その人に会ったこともある。
だが二人はその人物に直接サクラの様子を尋ねることはなかったし、彼女もそんなそぶりすら見せなかった。
今日こうしてサクラの元を訪ねることになったのだって、メールアドレスと自分の住まいを手紙で教えてきたサクラとルナマリアが直接やり取りしたからで、彼女の手を借りたわけではない。

「…ルナは怖くないのか…?」

シンは視線を下に向けたまま、ルナマリアには問うた。
処罰を受けてから。いや、あのオーブ近海戦の時からシンは変わった。
それが何か、ルナマリアはハッキリということはできない。
だが、確かにシンの中で何かが定まったのは確かだ。
けれどこんなところは、昔のシンを彷彿とさせる。
子供だから、というより、情緒的に不安定なところがあるシンを時には姉のように厳しく、母のように大らかに引っ張ってきたのはルナマリアだった。
だがそれは決してシンの隣に立って、ということではなかった。
いつだってルナマリアはシンの前か後ろで、その手を引っ張ったり、背中を押したりしてきた。
シンの隣に立って、シンと二人三脚で歩いてきたのは今はここにいないレイだった。
レイの言葉でシンが暴走したことだってある。
けれど、シンにとってレイはいつの間にか家族と同じくらい大切な者になっていたに違いないとルナマリアは思っていた。
だからこの場にレイがいないことがひどくやるせない。

「怖くないわけないでしょ」

頑是ない子供に聞かせるような声音でルナマリアは言う。
シンに語ったようにルナマリアだってサクラと会うこと、ひいてはその両親と顔を合わせるかもしれないことを怖くはないといえば嘘になる。
だが、その恐怖にも勝って、一年余りを共に過ごしたサクラの願いを叶えてやりたいと思う気持ちが強かった。

「でも、そんなこと言ってたらサクラちゃんにはいつまでも会えないから」

にっこりと、笑ったルナマリアにシンが何かを言いかけた時だった。

「シンちゃーーーーんっ!!」

はっとしてシンが声のした方を振り向けば、そこには果たして茶色の髪をなびかせながらこちらに走ってくる少女の姿がある。
二年前より伸びた髪と背丈。
そして確かに成長した、顔つき。

「シンちゃん!!」

勢いよくサクラはシンに飛びついた。
その勢いに負けてシンは、腰にサクラを巻き付かせたまま砂浜に尻もちをついた。
二年前はこんな風に抱きつかれても、軽々とその重みを受け止めていたシンだが、あの頃とサクラは違うのだ。
自分に抱きつく力と重さがサクラと会っていなかった二年間という月日をシンに強く意識させる。

「元気だった?シンちゃん!」
「あぁ、元気だったよ…サクラ…大きくなった、な」

満面の笑みで尋ねるサクラに、シンは月並みな言葉しかかけられなかった。
何を話せばいいのだろうか。
突然あんな風に両親の元に届けてごめんな。
あんなに手紙書いてくれたのに来るのが遅くなってごめんな。
ごめんという言葉しか浮かんでこない。

「サクラ…」
「なあに、シンちゃん?」

あれから二年経った。
いろんなものが変わった。
シンだってあの頃のままじゃない。
周りからは大人になった、とか成長した、とか言われている。
自覚がない分だけ時の流れは残酷だと思った。
でも。

「サクラ」

にこにことシンを見るサクラの笑顔はあの頃となんら変わらなくて。
どうしてか胸がいっぱいになってシンは泣きたくなった。
それを隠すようにシンは力いっぱい、目の前の小さな―二年前より確かに大きくなったサクラを抱き締めた。

「シンちゃん!?」
「…お前が笑っててよかった…」

シンは誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
その言葉が、紛れもない、シンの真実の気持だった。

「ねえねえシンちゃん、ルナちゃんはいっしょだけどレイちゃんは?」

抱き締められていたサクラは、シンの肩口から後ろを振り返ってルナマリアを見た後、きょろきょろと周りを見て不思議そうに尋ねる。
その疑問はもっともだ。
サクラはシン、レイ、ルナマリアに手紙を出し続けていたのだから今日だって三人で来るものと思っていたのだろう。
ルナマリアはサクラがレイも来るものだと思っていたことを知っていた。
だが、どうやって彼のことを言ったらいいか分からなくてルナマリアはメールでレイのことに言及するのを避けたのだ。

「ね、レイちゃんは?」

サクラはなおも聞く。
ルナマリアは迷う。
脱走して行方知れずとなったレイのことを正直に話すべきなのかと。

「サクラ、ごめんな。今日、レイは来られないんだ」

ルナマリアが言うより先にシンが口を開いた。
サクラは、シンの言葉にみるみる顔をゆがませる。

「おしごと?」
「ちがう。今レイは遠い所に居て、すぐに帰ってこられないんだ。だから今日は来ない」
「…じゃあまたこんどあえる?」

恐る恐るという様子だった。
サクラは頭のいい子だ。
何か感じるところがあるのかもしれないとシンもルナマリアも思った。

「…今度は会えないかもしれない」
「…じゃあいつ?」
「いつかはわかないんだ。ごめんな、サクラ」

サクラは先ほどまできらきらと輝かせていた視線を下に向けて俯いてしまう。
シンが言ったことが真実とはいえ、ルナマリアはサクラがかわいそうになる。

「でもな、サクラ」

シンはサクラの頬を掴んで自分と視線を合わせた。
サクラの目じりに涙がにじんでいる。

「レイは必ず帰ってくるから。ルナとレイと俺と三人で、サクラに会う約束をしたんだ」

シンは半ば自分に言い聞かせるようにサクラに告げる。
本当は帰ってくる可能性の方が低いと自分だってわかっている。
けれど彼の帰還を、世界中の中で自分だけでも信じていてやりたかった。
そしてもしできるならば、サクラにもいつかレイは帰ってくると、そう、信じていてほしかった。

「だから、必ずレイは帰ってくる」

な?といえば、サクラは真摯な瞳を湛えてこっくりと頷いた。
シンの言葉に何がしか重大なことをかぎ取ったのだろう。真摯な瞳は子供のものとも思えなかった。

「ね! シンちゃんこっちきて! ルナちゃんも!!」

ぐいっと涙をぬぐったサクラは、そう言うと片手にシンの手を、もう片手にルナマリアの手を取って駆け出す。
サクラにそれほどの力はないが、涙を消し去った後の晴れやかなサクラの笑顔は物理的力に勝った。
全速力だと思われる速度で一目散にサクラは駆けていく。
砂浜にはサクラが来た時につけたと思われる小さな足跡が反対方向を向いて残っている。

「どこいくんだ、サクラ!」
「サクラちゃん?」

サクラは二人の問いに答えず「こっちこっち!」と言って、ずんずんと進んでいく。
そうして見えてきたのは、二人がサクラと再会を果たした砂浜からほど近い場所にある小さな一軒家だ。
二人の脳裏には「まさか」という思いがよぎる。

「パパー!」

広い窓から続きになっているバルコニーに、男の姿がある。
それに向って叫ぶサクラ。
二人ともサクラが呼びかけなくても誰だかわかる。
あっという間に、心の準備などする暇もなくシンとルナマリアはサクラに連れられるままにバルコニーのすぐそばまで来てしまっていた。
そしてサクラは二人の手を離すと、二、三段ある階段を上ってバルコニーにいる彼の手を引いてやって来た。
彼は、サクラを何とかなだめて手を放そうとしていたが、サクラの勢いには勝てなかったようだ。
久しぶりに見る彼は、少年らしさがすっかりなくなった大人の男になっていた。
サクラに苦笑を浮かべた彼は、穏やかに二人に笑顔を向けた。

「久しぶり、だな。元気だったか?」

彼―アスラン・ザラは、そう言った。
二人は何と答えていいのか分からなくて、言葉が口を衝いて出てこない。
もっとも二人が何か答える前に、サクラが途切れることなく話していて、二人が答える暇もなかった。

「あのね、アシュちゃんがサクラのパパなんだ!」

朗らかに笑うサクラ。
知ってるよ。
そう、シンとルナマリアは心で呟く。
そのサクラの肩に、どこからともなく現れたピンクの機械鳥がとまる。
『トリィ』となく機械鳥は首をかしげて、サクラの指をつつく。

「これはね、トリィ!パパがつくってくれたの。あとね、あと…ちょっとまってて!」

「パパがシンちゃんたちとお話しててね!」と言うとサクラはまた、階段を駈けあげってバルコニーに消えていく。
からからと窓を開ける音がしたから室内へと入っていたようだ。

「サクラが無理やり連れてきたんだろう。すまない。二人に会えるのが嬉しくて仕方がないみたいで…」

アスランは苦笑をこぼして、二人に謝罪した。
その顔はまるっきり父親の顔だった。
それがなんとなくシンには悔しかった。

「無理やりじゃない…サクラの力考えてみろよ。嫌だったら本気で抵抗して来ない」
「ちょ、シン!」

まるっきりけんか腰の言葉にルナマリアは慌てる。
でもどこかでホッとしてもいた。
いまのやり取りは、変に空気がとげとげしいものになる前の二人のそれと良く似ていたからだ。 そう、まだサクラがミネルヴァに来たばかりだった頃の二人だ。

「そうか、それもそうか」
「そうよ、アスラン。それにこういうことも考えないでもなかったし…久しぶり、アスランこそ元気そうで何よりよ」

シンのおかげか、居心地悪く張り詰めていた空気が綺麗に去って、ルナマリアも軽口交じりの実に二年ぶりとは思えない言葉でアスランに声をかけた。

「ルナマリアこそ元気そうで…安心したよ。…それに、シン…お前も息災で何よりだ」
「…別に、病気も怪我も何一つしてないし…健康そのものだよ俺は」

体調につていてだけのことではないのに、とアスランは苦笑をこぼす。
だがシンのことだから、きっとそんなことは分かり切っているのだろう。
わざわざ答えを外したのは照れか、自分に対する反発か。

「こらサクラ! 危ないから、ちょっと待ちなさい!」
「だいじょーぶだいじょーぶ!パパとこないだだっこのれんしゅうしたもん」
「そう言う問題じゃなくて!」

と、三人の目線が一斉にバルコニーに向かう。
聞こえてくるのは、サクラの声と、もう一人、明らかに女性の声。

「シンちゃん、ルナちゃんみてみてー!サクラおねーちゃんなの」

そう言ってサクラが胸に抱えあげているのは、白いブランケットに包まれた、赤ん坊。
だが、まだまだサクラの力では赤ん坊を抱えあげているのは無理だったのだろう。
数段しかないとはいえ地面から高さのある階段のてっぺんでサクラはくらりとバランスを崩す。

「サクラッ!!」

その場にいる誰もが叫んだ。
女性の声がサクラともう一人―恐らく赤ん坊の名前だ―を呼ぶ。
その中でシンの体はそこにいた誰より先に動いていた。

「ッ!!」

シンは反射の速度で階段を駆け上がるとサクラが宙に浮くより先に時に自分の胸に抱きこんだ。
胸には衝撃が直接伝わるが、シンとて軍人、それもザフト軍の中でもトップと言ってもいい身体能力を持っているのだ。 子供一人と赤ん坊を抱きとめるくらいは訳もない。

「大丈夫か、サクラ?」

しっかりと胸に抱きこんだサクラを、元いた階段付近よりも内に下ろして立たせてやる。
呆然とするサクラだったが、その手にはしっかりと赤ん坊が抱き締められている。
始めは何が起こったのか分かっていなかったのだろうが、サクラは段々と涙を滲ませた。

「うぇっ…」
「「サクラッ! テラッ!」」

アスランと栗色の髪の女性がサクラと赤ん坊に駆け寄る。シンは二人のために少しサクラが距離をおく。
一度だけ、映像で見たことのある女性―サクラの母親であり、フリーダムのパイロットでもある彼女は、線の細い、とてもではないが戦場に立っていたとは思えない姿をしていた。

「だから言ったじゃないか、サクラ!二人で怪我したらどうするの!」
「ママァ…」
「サクラ、言っただろう。お前にはまだテラを一人で持ち上げるのは無理だって。パパと一緒の時しかしないって約束しただろう」
「パパァ…」

お説教をしたアスランはサクラの手から赤ん坊―テラというらしいが―を取り上げた。
赤ん坊は、この騒ぎにも熟睡しているのか静かなものだ。
会話からしてサクラの妹か弟と考えるのが筋だろうが、テラの髪はサクラの両親とは似ても似つかない、日に輝く金色だった。
二人が親らしく厳しく言うと、サクラは「ごめんなさい…」と涙ながらに謝る。

「シン、大丈夫?でも、さすがね」

遅れてやって来たルナマリアがシンに声をかける。
シンは心配とからかいを込めて声をかけてきたルナマリアに小さく笑った。
そして、ルナマリアの声が聞こえたからでもないだろうが、サクラがまたシンに近づいてきてシンの上着の裾を引っ張った。

「シンちゃん、ありがと」

目元をこすりながらサクラは少し舌足らずな言葉でシンに言った。
その言い方がまるで二年前のような喋り方で、シンの表情は無意識にゆるんだ。

「…あの、君がシン・アスカくん、だね?」

女性が、躊躇いながらもしっかりとシンに目線を合わせて口を開いた。
サクラと良く似た造作を持つ、綺麗な人だった。
紫色の瞳が、まっすぐとシンを射抜く。

「はい、俺がシン・アスカです」

「で、君がルナマリア・ホークさん?」と、女性はルナマリアにも声をかける。
「はい、そうです」とルナマリアも答える。
シンは何を口にすべきか迷った。
サクラをアークエンジェルへと送って行った時にアスランへと宣言した通り、アスランたちが是としたやり方にシンは全面賛成することはできない。
もちろん自分たちが用いた手段が全て正しいとは思っていない。
けれどシンは、自分がしてきたことの全てを否定することはできなかった。

「あの…」

何を言おうか迷ってシンの口を衝いて出たのは、意味のない言葉だ。

「サクラのこと、本当にありがとうございました」

女性はそう言って頭を下げた。
まさか、そんなことをされるとは思ってもみず、シンはただ驚きに目を見開く。
それはルナマリアも同じだったようで、シンの方に視線をやった。
まだシンの上着の裾をつかんでいたサクラは、ただぽかんと母親を見つめている。

「サクラがミネルヴァに行くまでの経緯も、ミネルヴァでどう過ごしていたのかも、全部聞きました。サクラのこと、本当に、本当にありがとう」

深く頭を下げる女性に、ますますシンは書ける言葉を失う。
そんな戸惑う二人にアスランが「紹介がまだだったな」と苦笑した。

「妻のキラだ。サクラの母親で…フリーダムのパイロット、と言った方が良いのかもしれないが」

アスランの紹介にようやく、女性―キラは顔をあげた。
最後の言葉に、彼女は申し訳なさそうな顔をした。

「初めまして、キラです。こうして顔を合わせるのは初めてになりますね」

その言葉は、「直接」顔を合わせることはなかったが、戦場で何度も出会っていたから出たものに他ならない。
とてもMSのパイロットに見えない女性だ。
だが、その身にまとう雰囲気が「ああ、フリーダムのパイロットだ」と胸にストンと落ちるように納得できるものだったから不思議なものだった。
そう感じたら、いろいろ考えていたことがシンの中で全て一つになった気がした。

「シン・アスカです」
「ルナマリア・ホークです」

当時のっていたMSも言った方がいいのかとも二人は考えたが、それはアスランがミネルヴァでのことを語る時に言っているだろうと見当をつけた。
でも本当は、まだあの争いで自分が起こしたことを背負うだけの覚悟が弱いから。
そんな理由で告げられなかったのかもしれない。

「あ、それにもう一人お前たちに紹介しなくちゃな」

アスランはいま思い出した、という様に胸に抱えていたテラを二人に見えるようにした。
まだ生後何か月というところだろうに、整った顔立ちをしている赤ん坊だった。
そうして、今まで眠っていたのか閉じられていた瞼がゆっくりと持ちあがる。

「あの、この子…」

ルナマリアが驚いた声を上げる。
アスランとキラは顔を見合せて笑った。

「あのな、この子は正真正銘俺とキラの子供だよ」
「瞳は僕と同じ色でしょ?髪の毛はね、隔世遺伝なんだ」

驚いた?と、説明に慣れた様子で二人は語る。
だがルナマリアが驚いた理由は、二人が予想した原因からではない。
金の髪に、紫色の瞳。
ルナマリアがシンを見れば、彼は微動だにしないで固まっていた。

「ねえねえ、シンちゃん。テラね、おねえちゃんといっしょだね」

サクラがシンの上着を引っ張って、満面の笑みで言った。
アスランが「おねーちゃんって、またか?ラクスとは全然似てないが…」と呟く。
あぁ。たぶん彼は知らないのだ。
あのミネルヴァでサクラが「おねーちゃん」と呼んだ少女がいたことを。
胸が熱くなる。

「あの…」

喉がからからになって、声がかすれる。シンは恐る恐る手を差し出してアスランに尋ねる。

「抱かせてもらってもいいですか?」

アスランとキラはもちろん、と、サクラに共通する笑顔を向けてシンの手にテラを預けた。
思ったよりも重いテラの体重が、シンの腕にかかる。
赤ん坊特有のにおいと、動物みたいな体温の高さ。

「テラ、今日はご機嫌だな」
「本当、この子あんまり泣きもしない代わりに笑顔を見せることもまれなのに」

テラがシンの腕の中で笑う。
あの子とは違うのに、確かにあの子を思い出させる色彩で笑う。

「シンちゃん?」

不思議そうなサクラの声。
心配そうなアスランとルナマリア、それにサクラの母親、キラの声。
けれど滲む世界は止められない。
涙がとめどなく溢れて止まらない。

『シン』

砂糖菓子みたいな甘い声がシンの耳に蘇る。

ねえステラ。
俺、もう一回いろいろ頑張るよ。
君みたいな子を生みださない世界に、皆が笑えるような世界に。
だからどうか、俺のこと見守っていてほしい。

「ねえ、シンちゃん?」

周囲の人に声をかけられる中、シンの中でサクラの声と腕の中の温もりだけが鮮明だった。

End


あとがき