もう十年近く前、私は一人の少女と出会った。
心優しい、美しい皇女。
今でも鮮やかなその姿。
忘れることのできなかった皇女。
今、私は彼女を手に入れる。


「ではシンクー、少し待っていてくれるか」

国内では軍事の名門として栄える我が黎家の当代当主である父は、中央の役人にしては珍しく革新的な考えを持っていた。
そのため、たびたび大宦官たちと対立しており、今回も危険を伴うブリタニアへの視察を押し付けられた。
だが、以前よりブリタニアの新型兵器・ナイトメアフレームに興味を持っていた父は、喜んでこの命を受け、「後学のため」と私を連れてこの超大国に乗り込んだ。
ブリタニアの宮廷では表面上、友好的に私達を迎えたが、快く思われていないことなど承知している。
しかし何処にでも変わり者はいるようで、ある遺跡に興味を抱いているという話で、父と意気投合する者が現れた。
それが、次期皇帝と噂される第二皇子、シュナイゼル・エル・ブリタニアだった。
父と親交を深めた皇子は、様々な便宜を図ってくれ、父のブリタニア視察をこれ以上ないものとしてくれた。
そして、あの日。
皇子から個人的招待を受けた父と共に、私は皇子の離宮を訪れていた。
だが国政に関わる話なのか、私は離宮の一室に置いていかれてしまった。
そんなことは良くあることだったから、あまり気にはしていなかったが、その日はどうにも居心地が悪かったことをよく覚えている。
それは普段着慣れていない洋装と、煌びやかな部屋のせいだったのだろう。
室内にいると息が詰まりそうだと感じて、私は部屋から見渡せる庭に出ることにした。
皇子から庭を散策するのもよい、と言われていたことを思い出したのだ。
宮殿の庭に続いていると説明を受けた門とは反対側を目指して歩く。常にブリタニア貴族が集っている宮殿の庭はど冗談ではない。 私は静かに、手入れの行き届いた庭の造詣美を堪能したかった。
陽光を受けて輝く庭の花々を眺め歩いていくと、少し古ぼけ門の元にたどり着いた。
皇子の説明にはなかったが、私は好奇心に突き動かされて、その門をくぐった。
その先に何があるのか少しだけ心弾ませていた私の目に飛び込んできたのは、皇子の離宮とあまり変わらない庭園だった。 変わらないといっても、皇子の庭よりも手入れをしていないようで、雑然としたような印象を受ける庭だった。
もっと何か別のものがあるのだと期待していた私は、我知らず落胆した。
だが、ふと首をめぐらせて見ると、庭の一画を埋め尽くす白い花々の中に誰かがいることに気づいた。
自分より幾分年下の少女だ。
彼女は、服の裾が汚れることなど少しも構わないのか、花々の中に座りこんで、せっせと手を動かしている。
何をしているのか気になった私は、そっと少女に近づいた。

「何をしているんだ?」
「!?」

一心不乱に手元に集中していた少女は、声をかけるまで傍に人が寄ってきたことに気づかなかったようだ。
澄んだ瞳を見開いて、驚いた顔で私を見上げてきた。

「な…!だれ…」
「これは…花冠か?」

声をあげた少女の言葉を遮り、手元を覗き込むと作りかけの花冠が握られていた。
今までは花々に埋もれて見えなかったが、傍には完成している花冠もある。

「二つも作るのか?」

矢継ぎ早に質問する私に、少女は訝しげな目線を向けた。
それもそのはずだろう。 見知らぬ者が突然、話しかけてきたのだから。
少女の身なりは、それほど華美ではないが、品よく纏まった上質のものだったから、貴族に違いない。 普通の貴族の少女だったならば、私とて気づかれないように元来た道を辿って帰った。
だが、手や服が汚れることも厭わずに花冠作りに没頭している少女に、他の貴族とは違う雰囲気を感じ、思わず声までかけてしまったのだ。

「…妹たちの分だ」

少女が自分のことをどう理解したのか分からなかったが、しばし間を空けて私の疑問に答えた。
その言い方は、どこか投げやりにも聞こえた。
一言だけで答えた少女は、少しの時間も惜しいのか再び花冠作りに集中し始めた。
その素っ気無さに私は更なる興味を彼女に抱いた。
それが理由だったかは忘れてしまったが、暇を持て余していた私は、これも一興と、少女の隣に座り込んで見よう見まねで花冠を編むことにした。
傍らで花を手に取った私に、少女は先ほどよりも余程驚いた顔をした。

「何を…」
「時間を持て余しているんだ。ところで、ここはどうするんだ?」

少女は私の余りに堂々とした態度に面を喰らっていたが、冷たいとも取れた素っ気無い表情から一変、破顔した。

「変わった奴だ」

私よりも年下であることは間違いないが、その言い様は老成した大人のような物言いだった。
けれど言葉とは裏腹な、満面の笑顔がひどく印象的だった。
そこで私はようやく、彼女が非常に美しい少女だったことに気づく。

「そこは…」
「!ああ」

少女の笑顔に見蕩れて、仕方がない、と言いながら編み方を教えてくれる少女の話の冒頭は聞こえていなかった。
だが、その後の説明も非常に分かりやすいもので、始めて編んだにしては上出来な花冠が完成した。
その間中、少女の紫の瞳が楽しそうに揺れるのを自分も高揚した気持ちで眺めていたことは、今でも人に言えない私だけの秘め事だ。

「お前、前に作ったことでもあったのか?初めてにしては出来すぎだ」
「まあ器用な方だからな」

私の花冠手に取って眺め、その出来にしきりに感心する少女の膝には、綺麗に完成した2つの花冠がある。
「妹たち」と言っていたのだから、その花冠はどちらも少女自身のものではないのだろう。
そう思い出した私は、あることを思いついて少女が眺めていた私の花冠を手に取った。
その時少し残念そうにした顔は、出会って初めて見た彼女の年相応の顔で、私も自然と笑みが零れた。

「あげるよ。私には必要ないから」

言葉と共に花冠を少女の頭にのせる。
綺麗に流れる彼女の黒髪に、白い花冠はよく映えた。

「よく似合ってる」

何が起こったのか良くわかっていなかったのか、しばらく微動だにしなかった彼女。 だが、ようやく自分の頭の上に花冠があることを認識したのか、花冠に手をやって、その手の方と私を交互に見上げた。
そして、ひどく慌てて花冠を取り、私に返そうとしてきた。

「だがこれは、お前のだ」
「言っただろう?私には必要ないって。花冠だって、せっかく作られたのだから、誰かを飾りたいだろう?」
「それは…」

本当に花冠が誰かを飾りたいと思っているなんて、考えていたわけではない。
ただ、彼女はそんな風に言わなければ受け取らないような気がした。
黙って俯いてしまった彼女の頭に、もう一度私は花冠をのせた。

「ほら。似合ってるから、これでいいんだよ」

花冠がのった感触と私の声に、ようやく彼女は顔を上げる。
恐る恐る花冠に手をやって花冠を確かめると、照れくさそうに彼女は笑った。
初めはしかめた冷たい表情しか見せない少女だと思ったが、時を共に過ごしてみればどこにでもいる普通の少女だった。
その美しさは並外れたものだった上、貴族の子女だとわかっていたが、私はその時、そう感じていた。

「ねえさまー!ルルーシュねえさまー」
「ルルーシューどこいったのー?こんどはおへやであそびましょー」

その時、遠くから、誰かを探す目の前の少女よりも高い声が聞こえた。
声を耳にすると彼女はハッとしたような顔をして、苦笑をこぼしながら一人ごちた。

「二人とも、もう隠れ鬼に飽きたのか…」

どうやら探されているルルーシュとは、この少女らしい。
「姉さま」と呼ばれているのだから、きっとあの声の主たちが彼女の妹なのだろう。
落とさないように花冠に手を添え、自分で作った花冠を持つと彼女は立ち上がり、私が来た道とは反対側を向いた。
目をやれば、私がくぐった門と同じ門がそこにはあった。
ああ、行ってしまうのだな。と、背を向けられた私は、そう残念に思った。
だが少女は、すぐには歩みださず、こちら側に向き直った。

「あ、あの…ありがとう…これ、嬉しかった…」

小さな声だった。
だが、彼女の気持ちがよく伝わってくる言葉で、今度は私が驚きに目を見開いた。
無理矢理渡したようなものに、お礼を言われるなど思ってもみなかったからだ。

「じゃあ」
「あっ…おい!」

一言だけ告げた少女は、よほど恥ずかしかったのか脱兎のごとく駆け出してすぐに緑に彩られた門の向こうへ消えた。
私の引き止める声も聞こえていなかったのだろう。それほど必死な様子で告げてくれた礼。
嬉しくないわけがなかった。

「名乗ることすらしなかったな」

ルルーシュという彼女の名を知ることはできたが、自分の名前は告げずじまいだったことに気づいたのは、情けないことに、彼女が去ってしまってからだった。

「いや、さすがは世界に一つの超大国だ!優秀な人物が多いな」

間抜けな自分を情けなく思いながら第二皇子の離宮に戻ると、既に話し合いが終わった終了した父が待っていた。 父は多忙な皇子に遠慮して、私が戻るとすぐに宮殿の敷地内にある迎賓館に帰った。
そして、館に帰ると上機嫌で今日、皇子と話したであろうことを聞かせてくれた。

「家臣だけでなく、皇族の中にも優秀な方が多いようだ。 この皇女殿下などお前より年下だが、とても賢いらしい。今日のシュナイゼル殿下のお話でもよく聞く方だ」

そうして父は、皇子から贈られたという皇族方が描かれた絵を見せてくれた。
そこには私も顔を知っている第二皇子のほかに、何人かの皇族がいたが、父が指差した皇女の顔を見て私は驚いた。
彼女だった。
皇女は、あの庭で花冠を編んでいた少女だった。

「ルルーシュ殿下といって、母妃の身分が他の方よりも低いため生まれ順よりも幾分皇位継承権が低いらしいが…」

父はまだ何かを言い続けていたが、私はひどい衝撃を受けて父の話など聞いていなかった。
私は、あの少女にもう一度逢いたかったのだ。
服や手が汚れることも気にせず、妹たちのために花冠を編む心優しい、あの少女に。
大人びたようでも、ふとした折に見せる子供らしさを持つ、あの少女に。
だが、皇女殿下とは…。
第二皇子と親交を持つ父がいても、それは私の力ではない上、彼女は国政の表舞台にも出ていない皇女。
きっと二度と会うことなどできないだろう、そう思った。

だが、彼女が私に残した笑顔はいつまでも私の胸から消えることはなかった。


その偶然の出会いから何年たったのだろう。
ブリタニアへの視察から帰って何年もしないうちに、父は事故で亡くなった。
いや、大宦官たちに暗殺されたのだ。
もちろん証拠などどこにもないが、謀略と暗殺によって成り立ってきた大宦官たちの支配を考えれば、答えなどすぐにでる。
父はブリタニア視察後、しきりに軍事や、官僚制のことで改革を唱えるようになった。 大宦官たちとの対立は以前よりも激しさを増し、軍事の重役についていた父が軍を率いて反乱を起こすのではないかと噂され始めた矢先に、父は殺された。
それからのことは、あまり思い出したくはない記憶ばかりだ。
大宦官に睨まれた黎家が生き残る方法は、新しい当主である私が父の考えを真っ向から否定し、大宦官へ忠誠を示すことだけだった。
屈辱だった。
私は父を尊敬していたし、父の考えが間違ったものだとは思わない。
けれど、父が誇りに思っていた黎家を断絶させるわけにもいかず、苦渋の中、私は大宦官に恭順を示した。
それが幸いしたのか、大宦官の一人である・高亥に気に入られ、官として仕官する道を得た。
だが、いつも心は空虚だった。家を守るために心を裏切った態度をとることに疲れていた。
疲れを感じると、私はいつも父が研究のためよく訪れていた日本―現在はエリア11と呼ばれる―領海ぎりぎりの孤島に赴いた。
その日も、色を失った世界の一コマとして過ぎ去るはずだった。

けれど。

「人…?」

波打ち際の岩場に、黒ずくめの衣装を纏った人影があった。
孤島は無人のはずだったが、難破した船などから人が流れ着いたのかもしれない。
そう思って、私は近づいた。
近づけば、倒れた者の衣装が良く見えた。それは、ブリタニア帝国の支配に真っ向から対立して反乱を起こした男の服装に良く似ていた。
いや、よく似ていたというものではなかった。
まさに、ゼロの姿がそこにあった。

「面倒な」

どうしたものかと思案したが、取り合えず生死の確認だけでもと、うつぶせに倒れていた体を抱き起こした。
その体は驚くほど軽く、細かった。
だが、ゼロの顔を見た瞬間、私の頭からはそんなことが全て吹き飛ぶ。
短くなってはいたが、つややかな黒髪。白皙の美貌。

「ルルーシュ…」

その顔は間違いなく、二度と会うことはないと思ったブリタニアの皇女のものだった。

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