『キレイでしょう?サクラ』
まだ地球に住んでいた頃。
季節が春になれば、ママは私を連れて絶対に花盛りの桜を見に行った。
私の名前の由来でもある桜の木。
ママが見に行く桜はどこに行っても必ず並木道になっていて、大きくなってから、ママが意図して桜並木を見に行っていたことに気づいた。
薄紅色の雪が舞い散るみたいな花吹雪。
『ママはね、この桜の木が大好き。だからね、あなたの名前をサクラってつけたんだよ』
”大好き”。
ママは毎年そう言っていたけど、そういうママの顔はいつも寂しそうだった。
そんなことをいまでもよく覚えている。
「サ・ク・ラーッ!!!!!!」
ここはプラント本国にある、由緒正しきカレッジ。
このカレッジは様々な分野における第一人者を輩出してきたことでよく知られる、世界が認めた一流校だ。
その構内を日に輝く金の髪を靡かせた1人の少女がもの凄いスピードで走っていく。
類稀な美貌を誇るその少女だが、今その表情は恐ろしくも夜叉のように変わっており、彼女の顔を見た道行く人々は思わず声をあげそうになっていた。
だがもちろん当の本人はそんなことをちっとも気にせず、目的に一目散だ。
その目的とは……
「さくらあ!!!いったいどういうことなのよ!!!!」
夜叉のような、もとい太陽の女神のような少女ーダイアナがこれまた可憐な少女ーサクラに詰め寄る。
ダイアナにサクラと呼ばれた少女は、柔らかそうな栗色の髪を揺らして、怒鳴りこんできたダイアナにいつもの調子で話しかけた。
「あれダイアナ?この時間って講義はいってなかった?」
怒りに打ち震えているダイアナに気づきもせずにサクラはのほほんとそんなことを言う。
それだけで、元々丈夫でないダイアナの堪忍袋の緒は切れそうだ。
「『講義はいってなかった?』じゃあないわ!あんた、私に何か言ってないことがあるんじゃなくて?」
ダイアナは努めて冷静になろうとしていたが、如何せんこめかみには青筋が浮いていて、ちっとも気持ちを宥められていなかった。
だが相変わらずサクラはダイアナに言われていることが分っていないらしい。
盛大な疑問符を頭の上に浮かべて『そんなことあったあ?』と顔にかいてニコニコ笑っている。
ダイアナにとっては我慢の限界だった。
「さあくらあああ!!!!」
「何なの、ダイアナ!ほんとわかんないだってば」
サクラはダイアナの剣幕にいささか怯えながら自分に心当たりのないダイアナの怒りの原因を聞く。
するとダイアナは彼女の母譲りのアイスブルーの瞳をキッと吊り上げて、
「あんた、本当にわかんないって言うのね?」
と言った。
ダイアナの言葉に、サクラは手にしていたクラッチバックを胸に抱きかかえてコクコクと首を縦に振る。
そんなサクラの様子にまたダイアナの青筋は数を増やす。
「そお…。なら私が今から簡潔かつ、わかりやすく言ってあげるわ!!」
サクラはおとなしくダイアナの続きの言葉を待った。
すうっと息を吸い込むとダイアナはサクラに怒りをぶちまけるように言う。
「あんたソフトウェア工学のプログラミング特別ゼミ蹴って、遺伝学のゼミに行くって言うんですって!!」
ダイアナの言うことを聞いたサクラは「なんだあ、そんなことかあ」とこれまた何とも呑気にのほほんと笑った。
これにダイアナの眦はまた釣りあがる。
「なんだあじゃないわ!何考えてるのよ!教授たちだって頭抱えてるわよ!!『我が校始まって以来のプログラミングの天才が…!!』って。私、さっきカトー教授に泣きつかれたわ。なんとか説得しくれって!」
世界最高の教育を施すといっても過言ではないこのカレッジ。
カレッジは義務教育を終了した者には誰にでも門戸を開いている。
しかし入学できるものは一握り、そして完璧にすべての行程を修了して卒業できるものはその中でもごく僅かだ。
このカレッジは大きく2つの行程がある。
一つはありとあらゆる教養を叩き込む教養課程。そしてもう一つが、教養課程を修了した者たちが進むことができる専門課程。
教養課程は文学から工学までありとあらゆる学問の基礎を固めさせられる。
出される課題の量は半端ではないし、要求される完成度の高さも尋常でなく試験も恐ろしく難しい。
万事が万事そんな調子なため教養課程を修了するのに平均で3年ほどかかる。
そしてそれらを修めた者だけが進むことができる専門課程は、個人が望むコースを取り(希望するコースがない場合は教授と相談して新しいコースを開設できる)、研究に没頭できる。
このカレッジは教養課程を修了した時点で卒業資格が認められる。
よって大抵の者はこのカレッジの余りの辛さに死に物狂いで教養課程を修了して早々に卒業してしまう。
そのため専門課程に残る者たちは余程の物好きと呼ばれていたが、そんな彼らが未来を切り開く新技術や理論を生み出していることは周知の事実でもあった。
ちなみに専門課程に進んだものたちはいつでも好きな時に卒論を出せば卒業できる。
卒論を提出せずに永遠に学生としてカレッジに残ることも可能には可能だが、それには一定のペースで新しい論文や研究成果をカレッジに報告しなければならない。
「あんたが行かないで他に誰があのコースとるのよ!誰も彼もあんたはソフトウェアの道に進むって思ってたのよ!?あんただってそのつもりでそっち系の科目多く取ってたんでしょう?」
このカレッジに集まる世界中の優秀な学生といえども、入学するのに数年、教養課程を修了するのにその倍、と膨大な時間を必要とされ、卒業したら20歳を過ぎていることなどざらにある。
ちなみに義務教育が終了するのは世界平均で約15歳である。
だが、サクラとダイアナは共に16歳。
2人は飛び級で義務教育を終了した後、少しのブランクを置いてこのカレッジに15歳で入学し、教養課程を1年で取り終えてしまった。
それは2人がずば抜けて優秀であるからに他ならない。
「それに、”プログラミングの桜”が遺伝子ですって!?冗談はいい加減にしなさいよ」
「ちょ、ダイアナ!声大きいって」
今まで黙ってダイアナの言い分を聞いていた桜だったがそこで初めて慌てた。
”プログラミングの桜”
数年前、突然世界に現れた謎のプログラマー。
その仕事は迅速かつ鮮やかな仕上がりだが、一見無茶な組み方をしている。
しかし、その実それが最善の組み方であるというプログラミング。
今ではあのオーブのモルゲンレーテまでがこの謎のプログラマーに注目しているという。
だが桜はプログラミングの仕事をネット上で偽名を使って請け負うので誰も桜の正体をしる者はいない。
では何故、そのプログラミングが”桜”の仕事だと断言できるかといえば、それはプログラムの起動画面にあった。
”桜”が手がけたプログラムの起動画面 は、決まって満開の桜並木が表示されるようになっているからだった。
それゆえ、人々はこの謎のプログラマーのことを”桜”と呼ぶようになったのだ。
「冗談なんかじゃないよ、ダイアナ」
言いたいことを言い切ったダイアナはぜえぜえと息を切らしているが、サクラはそんなダイアナの様子に真剣な顔をして言う。
だがダイアナはそのサクラの言葉にもがなる。
「じゃあ”プログラミングの桜”はどうするのよ?世界中が待ってるのよ、”桜”が表舞台に出てくるの」
「”桜”…?卒業だよ。だってもともと趣味と実益を兼ねたバイトだっただけだもん」
そう人々がつけた”桜”というニックネームはあながち間違いでもなかった。
なぜならこの若干16歳のサクラがその”桜”なのだから。
ダイアナに答えるサクラの声は明るいものだったが、その表情はどこか沈んでいた。
サクラにしてみれば巧妙にその顔色を隠したつもりなのだろうが、そんなことはダイアナには通用しない。
「なんで……入学した時はあんなにプログラミングのコースに進みた…っ…!」
サクラの表情にダイアナはさらに言い募ろうとしたが、それは「ストーップ」という声と共に伸びてきた手のひらに口を押さえられて続きを言うことが出来なかった。
|