「ラクス・クラインッ――!!」
懐かしい、彼の声。
たとえそれが自分に向けられておらず、かつてストライクのコックピットで聞いた怒りの響きに似た声だったとしても、それはキラの心を強く揺さぶった。
(アスランッ―――!)
声に出せず、押し殺した彼の名前は数知れず。
今もまた心の中で叫ぶことしかできない。
先日、ダーダネルスでザフト軍の最新鋭戦艦”ミネルバ”をキラは、は初めて見た。
カガリ、そしてアスランをも一時期は保護してくれたというミネルバとことを構えるのはとてもキラにはとても気が引けたが、覚悟を決めて戦場にでた。
無理だと思っていたが一縷の望みにかけた希望は、やはり打ち砕かれ、キラも戦闘をせざるを得なかった。
ミネルバと同じように開発されたという”インパルス”、そして今回は逆に地球軍に奪われたその兄弟機”ガイア”、”アビス”、”カオス”の3機。
それに加えて、オーブのダガーやザク。
ラクスを守るために”アッシュ”という機体と戦ったが、それでもこんな大きな戦場でフリーダムを駆るのは、キラにとってあの大戦の最終決戦以来であった。
だが、幸か不幸か、キラの戦闘能力は全くと言っていいほど衰えておらず、むしろ何故かキレが増していた。
そんな自分の能力を忌々しく思うキラであったが、その力のおかげでラクスや姉、そして何より自分の命より大切な子を守れるのかと年齢に不釣合いな自嘲の笑みを浮かべた。
ふと、その時。
なぜか戦闘に参加せず、ただ、ただこちらを―フリーダムが飛んでいる方向を向く機体があるのが目に入った。
機体の型からすると、”インパルス”などとの兄弟機だろう。
かつて悲しみと共に向き合ったあの機体とは少し異なる色を持つ機体。
その機体を見て、今はプラントに出向いているという彼のことを思い出してキラの胸はせつなさで一杯になった。
「あれ―――?」
だがその時、何故か通信回線が入っているランプが点滅していることにキラは気がついた。
カガリやアークエンジェルから入る通信は自動で聞こえるように設定しあるため、この回線はその他からの通信ということになる。
フリーダムの通信コードを知っている者がその他にいるのかと、キラはその呼び出しに不信感を抱いたが、回線をオンにした。
『キラッ!!聞こえているんだろう、キラッ!? 』
「―――――ッ!!!」
キラはその音が耳に入った瞬間、操縦桿を握っていた手を離して自分の口元を覆った。
ここは命の奪い合いをする戦場なのだから、そんなことをすればどれだけ危険かということはキラだとて重々承知していた。
だが、咄嗟にそうすることでしかキラは声を抑えられなかった。
「ア、ス…ラン……」
あえぐように、掠れた小さな声で彼の名を呼ぶ。
幸いなことに、その声は回線には拾われず、相手に聞こえることは無かった。
たとえ何年たったとしても、キラが彼の声を間違えるはずはない。
今でもなお、自分の心を独占するただ一人。心を捧げた人だ。
(どうして……!?)
何故、プラントに向かったはずの彼がこんなところにいる?
何故、どうして彼は通信を通して自分に話しかけている?
色々な思いが交錯して、キラは一時、放心状態になっていたが、目の端でモニターに映る”ガイア”を捕らえると、即座に身をかわして、その攻撃を避けた。
(そうだ、ここは戦場………)
それでキラはここが戦場であることを再確認し、再びしっかりとフリーダムの操縦桿を握った。
しかし、今なおフリーダムのコックピットにはアスランの悲痛ともいえる声がキラの名を呼び続けていた。
キラは必死に唇を噛んで、声を出すのを抑える。
そうしていないと、彼の呼び声に答えてしまいそうで……。
(ダメ。できないよ…)
以前の、つい最近までのキラであれば、この呼び声に返してしまっていただろう。
だが、その時と今ではもう随分、事情が違っている。
キラは今またフリーダムに搭乗し、アスランに二度と顔向けできないようなことをしてしまった。
『ごめんなさい』
キラはアスランに聞こえないように声を出さずにそう言うと、断腸の思いで回線をオフにしたのだった。
そんなことがあったから、戦闘が終わった後に冷静になってキラは考えてみた。
その時、たどり着きたくない可能性が導き出されたが、キラは誰にも言えなかった。
可能性でしかないと、キラは自分に言い聞かせていたが、それが十中八苦、正解だろうと確信していた。
おそらく、ダーダネルスでフリーダムに攻撃を仕掛けてこなかったあの赤い機体。
あれがアスランの今の機体なのだろう。
だがそれでもどうか自分の思い違いであってほしいと、キラは祈っていたが、それは今まさに打ち砕かれた。
アスランが自分の口でザフトに戻ったことを告げたからだ。
これから、オーブのため、カガリを守るため、ザフトとも戦うことがあるのはキラも覚悟していた。
先の大戦時に覚悟したことを、気は進まなくとも、再び決意するだけの話だったのだ。
そう、アスランがザフトに戻るまでは。
どれだけ離れていようとも、決してキラの気持ちがアスランから逸れたことは無かった。
それは彼の婚約の知らせを人づてに聞いた時も、敵として向かい合わなくてはならなかった時も、そして、自分の友人が彼に討たれてしまった時も。
どんな時でもアスランがキラの心を占めないことは無かった。
たとえ、自分からキラがアスランの元を去っていても、だ。
「―――――ッ………」
彼がザフトに戻っているということは、また自分はアスランと対峙しなければならないのか。
そう思うと、キラはどうしても平静ではいられない。
そのため、先程アスランがザフトに戻ったと口にした時は、思わず体が震えて、側に居たラクスを心配させてしまった。
そのラクスも今は、自分の代わりに岩陰から出てアスランと話をしている。
アスランから貰ったレノアおばさんの形見の指輪。
キラはそれを大切に、今の今まで右手の薬指に嵌めていた。
アスランがキラの手を取って嵌めてくれたのは左手の薬指だったが、彼の元を去った後、キラはあえてその指にはしなかった。
アスランに何も告げずに姿を消した自分には、彼を伴侶と呼ぶことなど許されないと思ったからだ。
「…それはアイツにやったんだ。返すなら自分で来い…そう伝えてくれ」
キラからの伝言に、弱弱しい声で答えるアスラン。
その声音にもキラの胸はますます締め付けられた。
(聞いているよ…アスラン)
アスランはキラがこんな近くにいて、彼の言葉を聞いているなんて夢にも思っていないだろう。
だが、キラはアスランの言葉通りに自分で返しに行くことなんて絶対にしない。
声を聞いただけで、涙が溢れそうになるほど彼を想っているのに、顔なんて合わせてしまったら、もう自制なんてできない。
キラにはそれがわかっていた。
だからこそ、今回もラクスに指輪を返す役を頼んだのだ。
(本当に君は馬鹿だよ………)
アスランの言葉に今でも自分を想っていてくれることを痛いほど感じたキラは、ともすれば頬を流れ落ちそうになっていた目じりの涙を拭った。
(泣けない…あの子に誓ったじゃないか…)
キラは、きっと2度と会うことは叶わないだろう娘を手放す時に二度と涙を流すものかと、心に誓った。
どんな理由があるといえ、母親の立場を捨てることは許されないことだ。
だから、こんな非道な母には涙は要らない。
涙が流せるのならば、子を捨てることも、他人の命を奪うような行動をすることもできないだろう。
それが出来る自分には涙など要らない。
それゆえにキラは今も決して泣かない。
(サクラ………元気でいるの……?)
最後に見た娘の安らかな寝顔を思い描いた。
その姿を見たのは、夕暮れが一番綺麗だといわれる秋の頃だった。
キラはその子の今を思いながら、凄まじい風を起こして日もほとんど沈んだ海へと飛び立って行く真っ赤な機体をいつまでも見送っていた。
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