「シン、ちゃん…サクラのこと嫌いになったのかな…」

シンに送り届けられたサクラはひたすら泣いて泣きつくして、アスランを悩ませた。
サクラが泣いている間に戦局が大きく変わり、その中心にいるラクスをサポートし続けてきたAAのクルーたちは争いの終局に奔走していた。
そのため元々、体調のよくなかったアスランがサクラの面倒を見ているのだが、サクラはずっと泣き通している。
父親であるはずのアスランだが絶対的にサクラと共に過ごした時間がシンと比べると少なく、泣くサクラを慰める手だてがまるでなかった。
ただアスランは小さな体で大きくしゃくりあげるサクラを膝に乗せて背を叩いてやることしかできない。
自身の不甲斐なさに先ほどで自分を苛んでいた痛みすら忘れる。
無事に出会えた自分の子だが、アスランは途方もなく無力だった。 だが、サクラのその言葉にアスランは即座に否の言葉を投げる。

「それは違うぞ、サクラ」

アスランは膝に抱いていたサクラの頬に手をやって、その母親譲りの大きな瞳を覗き込む。
小さなサクラの頬は、涙でびっしょりと濡れている。

「シンはな、サクラが大好きだから、サクラをここに連れてきたんだ」
「…ほんとう? ほんとにシンちゃんはサクラのこと嫌いじゃない?」
「ああ、絶対にそんなことない。シンはサクラのことが今だって大好きだよ」

真っ赤になった目は、まるで兎のようだ。
その瞳が昔のキラにそっくりで、そういえば昔ぐっずって泣くキラを慰めたな、と在りし日を思い出した。

「じゃ、シンちゃんと、また、あえる…?」

それにアスランは答えることを数秒躊躇った。
シンがサクラを嫌っていることなどないと断言できる。
だがサクラは、アスランとキラの子である。たとえサクラを嫌っていないとしても、自分たちの元にいるサクラにシンが会いたいと思うのかはアスランには確信を持って言えなかった。

「…きっと会える」

けれどやはりアスランの口から出た言葉は、サクラの願いを肯定するもの。

「ほんと?」
「サクラが会いたいと願っていればきっと必ずまた会えるよ」

自分たちと会いたくないのならば、サクラだけとでも会って欲しい。
シンにならば、自分たちの目の届かないところにでもサクラを預けても大丈夫だと思えるから。
戦争が終わったならばサクラを養子にとまで考えていたシンなのだから。

「じゃあ、いつ? あした?」

ようやく明るい表情に戻って来たサクラだが、その問いにはアスランだとて先ほどよりよほど言葉に詰まった。
まさかアスランだとて明日すぐにまたシンに会えるとは思っていない。
どう答えたものかとアスランがほとほと困り果てた時だ。

「サクラ!!」

アスランがサクラを慰めていた医務室へと駈け込んで来るものいた。
もちろん、それはアスランが待ち望んだ人、サクラの母親でもあるキラだ。
少し長くなった髪を振り乱し、恐らくフリーダムからそのまま直行してきたのだろう、パイロットスーツのままだ。

「…マ、マ?」
「サクラ!!」

まるで幽霊でも見たかのように、元々大きな目をこぼれんばかりに見開いているサクラ。
キラは、医務室の寝台に腰かけているアスランの膝元のサクラを抱き締めた。
サクラは図らずも初めて両親の腕の中にいることになった。

「サクラ…よかった…」

ぎゅうっと、全ての力を込めてサクラを抱き締めるキラはどこから見ても母親の顔で、アスランは初めて見る彼女のそんな表情に呆然となった。

(キラが母親で、俺が、父親…)

それは紛れもない事実であったのだが、こうしてキラとサクラが共にいるところを見たのは今が初めてのアスランだ。
今までの短い時間でも自分はサクラの父親である、と思っていたアスランだが、こうして親子が三人揃った時、あらためて実感としてアスランは自分がサクラの親だと感じた。

「ママ…ほんとに、ママ…?」
「うん、ママだよ、サクラ…ごめんね、本当に、ごめんね…」

半信半疑という表現がぴったりの声でサクラが言えば、キラは悲痛なまでに声を震わせた。
キラの謝罪は、サクラに通じていないのだと思う。きっとサクラは何故母が謝罪を繰り返すのかわかっていないに違いない。
だがキラ自身の心の中で、どうしてもサクラに謝らなければという気持ちがあって、そうせずにはいられなかったのだろうとアスランは思った。

「ママァッ…!!」

キラに抱き締められてから身じろき一つしなかったサクラが、ようやく目の前にいるキラをキラと認めたのだろう。
サクラは年相応の声をあげて、キラの胸に縋りついた。

「ママ…ママァ…!!」
「うん。ごめんね、サクラ…。サクラ…」

また泣き出したサクラの小さな背をキラの手は、先ほどアスランがしていたようにして叩いてあやしている。
だが、その手つきは母親らしく手慣れていた。

「キラ、お帰り」

アスランはそう言うと、自分でもそれと意識せず殊更優しげな微笑みを浮かべた。
キラはその懐かしく、恋い焦がれていた微笑みに胸がぎゅっと引き絞られる。
この人に嫌われることが、厭われることが怖くて逃げだした。
逃げ出した先で確かにキラはサクラという宝を手に入れて、幸せに暮らしていた。
けれどやはり、アスランがいない日々は何かが欠けていて、時々いてもたってもいられいない程の切なさに襲われた。
そうして、今度こそ死に別れてしまうかもしれないという時になって、改めて失えない人だと気付いた。
だから、今度こそキラは告げずにいた真実をアスランに明かして未来を共に生きていきたいと願ったのだ。

「ただいま、アスラン…」

全て、話そう。そうキラは決意した。
今度こそ、この一生一度の恋と愛から逃げださないために。
キラはまだ自分にしがみ付いているサクラを強く抱き締めた。

「キラ、俺」
「あのね、アスラン」

アスランの言葉を遮ってキラは口を開いた。
怖々だが、しっかりと焦がれ続けた新緑の瞳を覗き込みながら。

「僕は、普通の人間じゃない」

アスランの目が、すこしだけ見開かれる。
決意しても持っていた恐怖は変わらない。けれどここで躊躇していたらずっと言えないのだ。
だからキラは、アスラン口から何も言わせずに続けた。

「僕は普通のコーディネーターでもない、人工子宮を使って生み出されてたコーディネーターで」

声が震えているのがわかる。
最初はあげていた視線もだんだんと下がり、今では自分が抱くサクラの背を見つめている。

「遺伝子の上ではカガリとは双子だけれど、僕を胎内で育てたのは人間じゃなくて、きか」
「キラ」

アスランは遮って、キラが今まで聞いた中で一番優しい声で名前を呼んだ。
ハッとしたようにまた視線をキラがアスランへと戻すと、ただただアスランは優しく微笑んでいた。

「なあ、キラ。俺はね、キラが誰だろう何だろうと、俺の知っているキラならそれだけでいいんだよ」
「アスラン…」
「俺は、ここにいるキラがキラで在りさえすれば、それだけで十分だ」

アスランは先ほどサクラにしたように、キラの両頬へ触れる。
その時アスランは、キラの頬がとても冷たいことに気づいて、キラがどれだけ自分にこのことを告げるのを恐れていたのか分かった。
恐らくキラはコーディネータの中でも、最先端の技術の粋を集めて生み出された最上級のコーディネーターなのだろう。
そしてその生まれが常人とは異なった特殊なものなのだ。
だが、それがなんだというのだろう。
アスランにとって大切なのは、いま目の前にいるキラなのだ。
そのことをこの二度の大戦を経て、アスランはしっかりと胸に刻み込んでいた。

「俺は、ここに俺の知ってるキラがいてくれる。それ以上に望むものなんてないんだから」

アスランはしっかりと、キラと視線を絡めて告げる。 キラの胸は早鐘を打つ。

「で、でも! 僕がそんなだからサクラだって!」
「サクラ…?」
「…僕がそんなだから、サクラ、最初は諦めろって…子供は諦めた方がいいって」
「キラ…」
「僕の遺伝子が君のそれを拒んでいるから、だから、僕が産むのは無理だって…そう!!」

アスランは、そこまで言ったキラをサクラごと抱き締めた。
共に幼い日を過ごした自分だから、アスランはそれを告げられたキラが何を思ってどう行動したのかがわかった。
先の大戦終結後、自分の元を離れたのはサクラのためだったのだ。
きっと自分が傍にいたら、例え自分の子だとしても、キラのためにならば、おろせと言ったに違いない。
それを分かっていたから。キラは姿を消したのだ。

「でもキラはサクラを産んでくれた…サクラはここに元気でいてくれる…」

アスランは穏やかな手つきでキラの髪を梳く。 その髪の一筋さえもいとおしむ手つきだった。

「一番つらい時に傍にいてやれなくて、すまなかった……」

心から、想いをこめた。

「そして、サクラを産んでくれて、本当にありがとう」

万感の想いをこめた。

「産んで…よかっ、た?」

キラはアスランから少し体を離して目を丸くしている。アスランからそんなことを言われるなんて思っていなかったようだ。
キラの態度にアスランは苦笑した。

「馬鹿。よかったに決まってるだろ。確かにお前と俺の子供なんだから」
「アスラン…」

キラが瞳を潤ませてアスランの名を呼ぶ。
その時に、今までキラの胸に抱きついていたサクラがもぞりと体を動かして、アスランとキラの顔を見比べた。

「…ママ、アシュちゃんしってるの?」
「えっと、あのね、サクラ…」

言葉につまるキラ。先ほどまで瞳を潤ませた涙も引っ込んでしまう。
アスランは、その言葉に笑ってしまった。
“パパ”がトリィを作ったと自分で言っていたのだから、アスランがその“パパ”だと気付いても良さそうなものだが、まだそこまでは理解が及ばないようだ。
一日も早く、サクラに“パパ”というものを知ってもらいたいものだ、とアスランは思う。
だから。

「キラ・ヤマトさん」

アスランは、あの日キラが手元に置いて行った指輪を胸から取り出した。
そして鎖を外して、自分の掌に載せる。
あの日、キラが置いて行った、たった一つのもの。

「俺は頼りないし、君を傷つけてばかりきたけれど…どうか」

改まったアスランの言葉が、キラの目に涙を浮かばせる。

「どうか、俺と一緒にこれから先を、ずっと一緒にいてくれませんか?」

涙が一粒キラの頬をたどる。
アスランが手にしている指輪は、キラが宇宙を後にした日に置いてきたものだ。
彼が気づいているかは分からないが、それはキラがラクスより預かったパトリックのもの。
あの日、レノアの指輪を渡されたのも何かの運命だと思って、キラはアスランの元に置いてきたのだ。
キラは亡くなったアスランの両親が自分たちをまた引き合わせてくれたのではないかと思った。

(おじ様、おば様…ありがとうございます)

心で告げたキラは、そっとアスランの掌から指輪を取り、彼の左手の指先を捕える。
もちろん通すのは左手の薬指。
不思議なことに、パトリックの指輪はアスランの指にぴったりとはまった。
そしてキラは、パイロットスーツの下から、同じように首からさげていた銀の細い鎖をはずし、そこに通していたあの指輪を掌にのせて言った。

「永遠に貴方と、アスラン」

「ママー、なんで泣いてるの?」そんなサクラの声が聞こえる。
けれどすぐに、アスランがサクラごとキラを痛いくらいに抱き締めて「アシュちゃん! サクラいたい!」と怒ったものになる。
それが本当に幸せで、キラの涙はしばらく止まらなかった。



その日、確かに世界は変わった。
一時的な混乱はあったにせよ、ラクス・クラインとオーブのカガリ・ユラ・アスハの尽力により、その後、地球とプラント間で画期的な平和条約が交わされることになる。
生命の在り方に対する考え方の違い、という根本の問題はいまだ両者の中に根強く残ってはいる。
しかし、二度の凄惨な争いを経験した人々は三度同じ争いを繰り返してはならないと、強く心に刻んだ。
その思いは誰もが持つもので、二度の大戦で得た反省が今度こそ生かされる世界の礎となったのだった。