「シン!」

駆け出したシンを直ぐに追ったレイだったが、その声にシンが立ち止まる様子も見せない。
何かを振り切るように必死な様子でレイの声すら聞こえないようだ。

(サクラを見たからか?…何があった…!)

シンの様子がいつもと違っているのはレイも知っていた。
だが、その原因はアスランのことだと思っていたから多少はそっとして置いてもいいと判断したのだ。 しかし、先ほどの反応を見る限りシンの不審な態度の原因はサクラのようだ。
レイにとって今ここで、シンが不安定になることは何としても避けたい事態だ。
レイが望む、理想の世界への実現にはシンの力は必要不可欠。
戦場であのフリーダムを上回るような力を発揮してもらうためには、どんな不安材料も残したくはないのだ。
レイは、そうして自分を納得させていたが、心の片隅では純粋にシンとサクラのことを心配する気持ちがあった。
けれどその心から無理矢理目を逸らした。

「シン!」

レイがやっとシンを捕まえたのはドッグに入ってからだった。
肩を掴んで振り向かせ、合わせた視線。
常に苛烈な色を灯してきた赤い瞳が、見たこともないほど頼りなげに見えた。

「レイ…」

何処かほっとしたような、でも悲しみに彩られた声。
レイはこんなに複雑な思いを内包したシンを見たことはない。
大切に思っていた少女をフリーダムに撃たれた時でさえ、シンは悲しむ時は全身で哀しみ、怒る時には怒り。
いつだってその時心を占める一番の感情を全身で表していた。
なのに。

「シン、お前…何があった?」

これは理想の世界のため。
そう心に言い聞かせておきながらレイの口から零れた声音は、優しいものだった。
レイの言葉にシンは一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに首を振る。

「…なんでも…ない、んだ」

明らかと分かる嘘。
冷酷な計画の執行人であるならば、ここでレイは無理にでもシンの口を割らせるだろう。
だが、全てを拒否するようなシンの態度にレイはどうすることもできなかった。
シンはレイに無理に微笑んでデスティニーへと向かう。
レイにはただそれを見送るしか術がなかった。
作戦開始時刻1200がもう間じかに迫っていた。


「落ち着いたか?」

しばらくただアスランの胸に顔を埋めてその温かさを噛み締めていたキラだったが、その声に顔を上げた。
そこには夢にまで見たアスランの穏かな微笑みがある。

「アスラン…」

涙で掠れた自分の声はなんてみっともないことだと頭の片隅で思うが、更に笑みを深くして見つめてくれるアスランに、キラは胸が一杯になる。
止めどなく、まるで涙腺が壊れたように止まらない涙を拭うこともせずキラは笑う。
アスランの方も、もう二度と己の腕に抱くことは出来ないと絶望した温もりが今確かにこの手の中にあると、更にキラを抱く腕に力を込めた。

「ッ……!」
「ア、アスラン!?」

だが腕に力を込めた瞬間、鋭い痛みが体を駆け抜けアスランはうめき声を上げた。
肩を抑えて顔を歪めたアスランに、キラはサッと体を離す。
お互い、この再会に気分が高揚して、怪我を負っていたことをすっかり失念していたのだ。
軽傷とはいえ大破させられたフリーダムに搭乗していたキラ。
そして、生死の境を彷徨うほどの大怪我を負って意識をつい先ほど取り戻したばかりのアスラン。
キラはともかく、アスランは常のように動けるほどの回復はできていない状態なのだ。
傷の具合を初めに見たキサカなら先ほどまでアスランが何でもないことのようにキラを抱きとめていたことのほうが驚きだろう。

「ごめん、僕が抱きついたりしたから。痛む?キサカさんに診てもらおうか?」

それとも…とキラはオロオロと聞くが、アスランは首を振ってそれを止めた。
そして、離れてしまったキラの体をもう一度その腕の中に収める。
キラは黙ってされるがままだ。
けれど今回はアスランの傷に触らないように努めた。

「なあ、キラ…どうしてあの時…何も言わずに行ってしまったんだ?」

その言葉にキラの肩は可哀想なほど跳ね上がる。
だが、アスランのその声は決して怒りに満ちているわけではなく、とても穏かで優しいものだ。
キラは俯いていた顔を上げ、視線をアスランのそれと絡めた。
キラとて決心はしていた。けれど直ぐには言葉が出て来ず黙ってしまう。

「その理由をお前が言いたくないなら、無理に言わなくても構わない」

アスランはキラの様子からそう思ったようだが「ただ…」と付け加えた。

「もう黙って俺の前から居なくなることだけはやめてくれ」

もうあんな思いはたくさんだから、と心の中でアスランは呟く。
本当のことを言えばアスランだってキラが去った理由を知りたい。
それこそキラがいない間ずっと考えていた答えなのだから。
けれど、その理由を無理にキラから聞き出しても今の2人には何の意味もなさない。
今の2人に一番大切なのは過ぎ去った悲劇よりも、この先に待つ希望なのだから。

「ちがっ、違う!言いたくないわけじゃ…!」

キラはアスランの言葉をどのようにとったのか、必死に訴える。
本当に言いたくないわけではない。ただ、キラにはその口火が中々切れないのだ。
おぞましい出生の秘密。身勝手に振り回した2人の子。
そんな理由を告げて、アスランにどう思われるか。
どう思われても正直に話さなくてはいけないと思っていたのに、アスラン本人を目の前にすると彼に嫌われたくないという想いばかりが専攻してキラの口を重くする。

「キラ…。無理はしなくていいんだ…」

キラが自分の言葉を誤解して受け取ってしまったと思ったアスランは、キラを宥めるように苦笑してその頬に手をやる。
けれど「だが、一つだけ…一つだけ教えてくれ」と続けられた声と瞳は真剣なもので。
思わず体が強張ったキラに、告げられた言葉は衝撃的なものだった。

「”サクラ”という名の3歳くらいの子を知らないか?」