どんなに勝手だといわれても。
僕にとって、君とあの子がこの世界で生きていてくれるなら、それ以上の幸せはなかったんだ。
ジブラルタルのザフト基地が、スパイ騒ぎで騒然した翌日、プラント最高評議会議長であるデュランダルは大西洋連邦に対して、”ロゴス”の メンバーの引渡しを求めた。
引渡しが実現されなければ、ザフト、反旗を翻した連合軍たちがヘブンズ・ベースを攻撃するという前置きをつけてだ。
ザフト・連合の両軍がヘブンズ・ベースを攻撃することはなかったが”ロゴス”の最後の砦は堕ちることとなる。
ヘブンズ・ベースに残っていた連合軍兵士達が、今やナチュラル、コーディネーター問わずに支持されるデュランダルに恐れをなし、基地内で反乱を起こし”ロゴス”のメンバーを引き渡してきたのだ。
だがしかし、引渡しされたメンバーの中にトップであるはずのロード・ジブリールの姿は無かった。
そして、彼が単身、オーブへ向かったと判明するのはそのまた翌日のことであった…。
「はなしてよ!カガリ!!」
「お前は馬鹿か!アイツの心配するより自分の心配しろ!!」
アークエンジェルの医務室へと続く廊下で声を荒げるのはキラとカガリだ。
カガリはキラの腕を掴んで離さない。
常ならば声を荒げることなど滅多にないキラ。
だが、今回ばかりは事情が違う。
彼が、アスランが重態なのだ。
キラは先日、フリーダムをインパルスに大破させられ、あわや命の危機という状況に追い込まれた。
幸いにしてインパルスの剣はコックピットを逸れ、キラの命に別状はなかったが、それでも元々体調が悪かったことが災いして、キラは意識を失ったまま数日を過ごした。
そして多少無理をして早々に床上げをしたのだが、その時、ちょうどカガリから『アスランが重態だ』と聞かされ、また意識を失った。
今回の意識を失っている間のキラの様子はひどいもので、ひどくうなされて、見かねた医師が薬を処方して眠らせていた。
その薬の効き目が切れたのはついさっき。
すでにアークエンジェルはキサカと落ち合う場所まで寄港しており、付き添っていたカガリにそのことを聞いたキラは、寝かされていた自室のベッドを飛び降り、まだ完全に回復したとはいえないような足取りでアスランがいるという医務室を目指し始めた。
だが、カガリがそんなキラを止めた。
実は、アスランは一応の峠を越えたのだが、意識が戻るまでは油断は出来ないといわれていたのだ。
だからこそ、カガリはそんな状態のアスランをキラに会わせたくなかった。
せめてキラの体調がもう少し休養をとった後、とカガリは考えていた。
けれど。
「僕の体はどうだっていいんだ!お願いだから、はなして!アスランのところに行かせてよッ!!」
「ッ!!キラッ!!」
キラは必死だった。
カガリの声すら、その心には届かないかのように、キラはアスランを求めて必死だった。
こんな必死なキラを見るのは再会して初めてのことだ。
どれほど言っても頑なに拒んでいたアスランとの再会。
だが今、キラにとってそんなことは関係ないのだろう。
ただ、自分の片翼がこの世からいなくなってしまう。
そんな感情に全てを支配されて、ただ心の赴くまま行動しているのだろう。
自分の体を大切にしないところは褒められたものではないが、そんな一途なキラの行動にカガリはたじろいで一瞬、キラを掴んでいた腕の力を緩めてしまった。
その瞬間を見逃すキラではない。
「キラッ!」
しまった!とカガリが思ったときには、既に遅かった。
どこにそんな体力が残っていたのか、キラは脱兎のごとく駆け出すと一目散に医務室を目指した。
「アスラン……!」
鼓動が早い。
それは走っているせいか、恐怖からなのか。
キラにすらわからない。
カガリにアスランのことを告げられたとき、目の前が真っ暗になった。
一条の光もささない完璧な闇。
何も言わずにアスランの元から去って、それでも何度も追いかけて来てくれた彼を振り切った、身勝手な自分。
こんな自分には、彼を心配して取り乱す資格なんてないとキラは思う。
けれど、アスランがいなくてはキラも生きている意味なんてない。
かつてアスランが「自分も死ぬ」と言ったように、キラにだってアスランのいない世界なんて意味がないのだ。
だから――――――。
「……アス、ラン………」
医務室の扉が開いたら、キラにはベッドに横たわるアスランの姿しか目に入らなかった。
痛々しくいたるところに巻かれた白い包帯やガーゼ。
でも、そこにいるのは確かにアスランで。
「アスラン!」
キラはベッドに走り寄る。
すぐ側で見るアスランの顔色はとても白く、キラの背中を冷たいものが流れる。
恐る恐る、キラは震える手でアスランの青白い顔に手を伸ばす。
今は閉じられた瞼に隠された懐かしい、翡翠の瞳。
彼の母譲りの群青色の髪。
自分を安心させる言葉をくれる彼の口唇。
「アスラン………」
触れるか触れないかの距離でキラは恋焦がれてやまなかったアスランに触れた。
触れた手のひらから伝わるアスランの温もり。
血の気の引いたキラの手のひらの方がよほど冷たい。
(………生きてる……)
その温かさがキラに教えてくれるアスランの確かな”生”。
その温かさに安堵したキラは、椅子も使わずその場に座り込む。
決心が鈍るからと意図して言わずにいたアスランの名前。
だが今、キラの口からは我慢していた分も堰を切ったかたのようにアスランの名前があふれ出してとまらなかった。
「アスラン……アスラン…」
自分が普通の生まれ方をしてきたのではないと知った時、あまりのことの大きさに始めは実感がなかなかわかなかった。
けれど。
フリーダムを駆って、MSを撃破するたびに、この力は意図して与えられたものなのかと、恐怖がひたひたと自分を襲い始めた。
一度考え出すと後はもう止まらなかった。
普通のコーディネーターではなく、全てが計算されて生み出された自分。
自分が持つ全ての能力も、容姿も、遺伝子すら計画されたもの。
そう考えると、自分自身に虫唾が走った。
全て管理された自分は人なんかじゃない。ただ人の皮を被った機械―アンドロイドだ、って。
だから、こんな出自を…アスラン、君にだけは知られたくはなかった。
君と僕の子供ができたって知ったとき、本当に嬉しかった。
だけど、続けられた軍医さんの言葉を聞いた時は、僕は心底、自分の体を呪ったよ。
本当は、君と一緒にあの子を育てて行きたかった。
本当は、君の側であの子と暮らしていきたかった。
でも、僕は何よりも君に僕の出自を知られることが恐かったし、”子殺し”だけは犯したくなかった。
自分自身ですら未だに受け入れられない真実を君に知られることが恐かった。
消えない”同胞殺し”の罪に加えて、”子殺し”の罪も背負うことには耐えられなかった。
おじ様もおば様も失った君に、あの子を失わせるようなことをさせたくないと思ったことも事実。
でも、それより何より、僕にはその2つのことが恐ろしくてならなかった。
だから、君の元から逃げた。
けれど―――。
「もう…逃げないよ……アスラン」
けれど君は、何一途に僕を求めてくれた。
どんなに身勝手に振舞っても、どこまでも手を差し伸べてくれた。
君に何も言わずに去り、子供を産み、そして、あの子を置いてきた恋人としても、母親としても失格の自分。
アンドロイドのような出自を持つ自分。
そんな自分には決して君の手をとる資格なんてないと思う。
でも、こんなになるまで僕を求めてくれる君にならば、全てを。そう、全てを話そうと思う。
身勝手で愚かしい自分のことを。
もしもその時、まだ君が手を差し伸べてくれるならば、僕は今度こそ…今度こそ。
「……好きだよ…誰より君が……アスラン」
だからお願い。
どうかその目を覚まして。
|