キラの言葉はすなわち、アスランと決別するということだ。
あんなにも恋焦がれた彼と。
まして今、キラにはおそらくアスランとの間に宿ったのであろう赤子がいるのだ。
それなのに、そんなことをどうしてキラが望むのかラクスにはわからない。
けれど。
ラクスは、優しい闇が広がる宇宙を凪いだ海のような眼差しで見つめるキラをもう一度見つめた。
そして口を開く。

「……わかりました。確かに…承ります」

けれど。
ラクスがどんなに言葉をかけても、キラの決意を揺るがせることはできないと彼女は知っていた。
その眼差しを、ラクスは知っていたから。
あれは、キラが瀕死の重傷でマルキオによってプラントへ運ばれてきた時のこと。
目覚めて地球の現状を知ったキラは、今と同じ瞳をして決意をラクスに告げた。
その揺るぎのない決意を。
そんなキラにだからこそ、ラクスは新たな剣にとフリーダムを託したのだ。

「ラクス…」

ラクスの言葉にキラは視線をまた彼女へ戻し、ほっとしたように微笑んだ。
だがどラクスはその瞳を真正面から見据えて言った。

「ですが、一つだ答えていただきたいことがございます」
「何かな…」

キラはやはり柔らかな微笑をくずさず、ラクスを見つめる。 それに「ええ」と、一言をおいてラクスは続けた。

「争いが終わったというのに、どうしてまた別れの道を選ぶのですか?」

誰との別れの道など、知れている。
もちろん、アスランと、ということだ。
キラは、視線をラクスから逸らすとまた外の宇宙を見つめた。微笑みは変わらないが、キラの目が悲しげに眇められることに、キラをじっと見つめたままのラクスは気づいた。

「軍医さんに、言われたんだ。子供……諦めろって言われたんだ…無理だ、って…」

静かな声だった。
ラクスとキラしかいないこの場に、その声はよく響いた。
だが、ラクスはいまいちキラの口から零れた言葉の意味が図りきれていないようで、困惑した表情を作った。

「それは…なぜ…」
「………体が耐えられない、って」

キラは、自嘲のようにそういって柔らかな微笑を消した。
ラクスは眉根を寄せて、キラが言った”体が耐えられない”という言葉を繰り返した。すると、キラは続きを話し始めた。

「僕の体…アスランの遺伝子を受け付けないみたいなんだ」

その言葉にラクスはハッとする。
”遺伝子”。
遺伝子を操作されて生まれたコーディネーターたちには馴染み深い単語だ。
だが、それをキラが言えばまた違った響きを持つ。真実を知るラクスは、目を大きく見開き「まさか…」と口元を押さえた。
けれどそれを失言だとラクスが悟るのは一瞬遅かった。

「うん。原因はラクスが思ってることで間違いないと思うよ」
「キラ、知って……」

ラクスが考えたことは、その原因がスーパーコーディネーターとして生を受けたことにあるのではないかということだ。
けれど、ラクスがキラの真実を知っているということはキラには伏せていたのだ。だから、咄嗟の考えをキラに当てられたラクスは口元の手で拳を作った。

「……君の部屋に”ユーレン・ヒビキ”博士と”ヴィア・ヒビキ”についての報告書があったから…」
「申し訳ありません…キラ」

キラ自身のことを彼女自身に内密で調査していたことを、ラクスは申し訳なさそうに謝罪した。
だがキラは、その謝罪に首を振る。

「いいんだ、ラクス。ただ、アスランやカガリには黙ってて欲しい…」
「それは、もちろん」
「ありがとう」

そしてそれっきりキラは口をつぐんでしまったが、ラクスはもう一度キラに先程のことを問うた。

「さきほどのことですが、キラ。わたくしが思ったことで間違いないというのは…」

本当はこんな話をキラにさせることは、ラクスとて本意ではない。だが、やはりキラがここを離れていこうとする原因の詳細をラクスは求めた。

「詳しくはわからないらしいけど…もともと優秀な遺伝子を残すことが生物としての本能だから、それで、母体に劣る遺伝子は受けつけないんじゃないかって」

キラは直接、ラクスの問いに答えたわけではなかったが、間接的な答えを言った。
この世で、スーパーコーディネーター、完璧なコーディネーターと呼ばれる者はキラ以外には存在しない。 それはすなわち、キラ以上に優性であるといえる遺伝子を持つ者は理論的に存在しないということだ。

「けれど、もうキラのお腹には…」

だが、キラの腹にはすでに新しい命がある。それで、その問題は解決したとは言えるのではないか。 ラクスの言いたいことを悟ったキラは、それにまた静かに首を振った。

「受精はして子供はできたけど…今度は僕の体がそれを拒むんだ…」
「それは…」
「…コーディネーターじゃなくてもこういう例があるらしいけど、僕の場合は極端みたいで…出産まで母子共に助かる確率は…」

ラクスはキラが言ったその数字の低さに息を呑む。
それでは殆ど見込みがないと言われているようなものだ。
けれどだからこそ、同時にどうしてキラがここを去ろうとしているのか朧げながらその理由の輪郭が見えてきた。
なによりも、キラが言った”母子共に”という言葉が引っかかり、ラクスの胸にあの言いようのない不安が押し寄せる。

「キラ…」

ラクスの言葉にキラは今度は、あの諦観の色が濃い笑顔ではなく、喜びに満ちた幸せそうな笑顔を見せて言う。

「産みたいんだ…例え、自分の命と引き換えにしたって」
「ですが、それなら…なおのことここに居たほうが…」

ラクスの言うことは正当であった。キラがそんな事情を抱えているのなら、力になってくれる人々が多くいるこの場にとどまった方が、キラにはプラスに働くはずだ。
だから、どうしてこのことがキラがここを離れていこうとしているのか、ラクスは図りかねていた。 けれどキラはそう言うラクスを宥めるように言った。
もう一度、繰り返し。

「言っただろう、ラクス。絶対に、産みたいんだ。自分の命を、引き換えにしたって」

その瞳は慈愛に満ちて、まさに母親の目だった。

「もしも、どちらかの命しか助からないって言う時、どうしたって僕はこの子を助けたい………でもアスランの目の前でそんなこと、できるはずがないでしょう?」

そのキラの言葉にラクスはただ頷くしかない。
例え、キラが望んでも、アスランが側に居ればアスランはキラを助けようとするだろう。
そう、キラが自分の命と引き換えに子供を助けたいと思うように、アスランは子供と引き換えにしてもキラの命を救いたいと思うだろうから。

「僕はアスランに自分の子供を失くすような指示をだしてほしくないから……」

キラの静かな言葉が落ちる。
けれどラクスは、キラがどうしてそこまで腹の子にこだわるのか納得しかねた。もちろん、恋人との間に出来た子供だからいとしく思うのは分かる。
だがキラの決意はそんなものを超えたところにも及んでいる気がしてならなかった。

「キラ…なぜそこまでお子に拘りますか……」

だが、言ってからラクスは後悔することになる。
声にだしてしまってから気づかされる、キラの思い。
ラクスの言葉にキラはどこか泣きそうに顔を歪めて、それでも微笑を崩さなかった。

「”同胞殺し”…”裏切りのコーディネーター”…」

キラは呟く。
それはこの戦いの序盤、ザフトに敵対したキラを揶揄した言葉だ。

「どう言われても、同胞であるコーディネーターの命を奪ってきたのは本当だから、僕には何もいう資格なんてない。……だけどね、ラクス」

キラの脳裏には、自分の攻撃によってブリッツが目の前で大破した光景がよぎった。
あれに乗っていたのは、アスランの友達で、自分の同胞。
でも、殺したのは自分。
そんな自分にこんなことを言う資格もないかもしれないけれど、でも。

「僕は…”子殺し”の罪だけは決して犯したくはない…」
「キラ…」

ラクスは、その言葉にキラがどれほどのものを背負って戦っていたのか、どれほどのものを自分が背負わせてしまったのか、その片鱗をみた。
そんなキラにラクスはかける言葉が見つからない。

「それにね、ラクス……母親の温もりを知らずに生まれた僕が、ちゃんとした母親になれるんだ……機械なんかじゃない、ちゃんとした普通の母親に…」

最後に言った言葉でキラの思いは最後なのだろう。
それきりキラは黙って、ラクスの言葉を待った。
ラクスは、その最後の言葉にキラがここまで子供に拘ったことに納得した。
アークエンジェルを、アスランの元を去るのは、子供を失うような決断をアスランにさせないように、彼にもう一度家族を失うことを味わって欲しくないから。 そして、自分の命を犠牲にしてまでキラが子供を守りたいと思うのは、その出自ゆえ。
ラクスは、そんな決断を固めてしまったキラをただ悲しげに見つめた。
もしもラクスがあの時、フリーダムを託してもう一度キラに戦場へ戻る術を与えなければ、キラは己の出自を知らずにいられたかもしれない。
キラが己の出自に疑問を持ち始めたのは、オーブ崩壊の折、ウズミがカガリに渡した一枚の写真からだったのだから。
それを思うと、ラクスはやりきれなかった。
だから。

「キラ…ならば、わたくしもお供をさせていただけませんか…?」
「ラクス…?」
「もう一つ、条件です。わたくしを共にお連れ下さいませ」

今度はキラが困惑を浮かべる番だった。
だが、ラクスはキラの戸惑いに構わず続けた。

「地球に向かったとしてもお1人、しかも身ごもったまま、どうするおつもりですか?」
「それは…」
「だから、わたくしをお連れ下さいませ。これでも少しはあてがありますのよ」

ただラクスは、微笑んだ。
一方のキラは、あてなどなかったようで、ただこの宇宙から離れようとしていたようだ。
だからキラにとってラクスの提案はとても魅力的であったし、キラだって、ラクスが側にいてくれるならば心強い。

「ダメだよ…ラクス。君は…」

そう。
戦いの最終局面で戦闘停止を呼びかけていたのは、他ならぬこのラクスであり、おそらくこの後の世界でもその力を乞われる人物だ。
そんな彼女をキラは自分の我侭につき合わせるのは、決してできないと思った。

「いいえ、キラ」

だがラクス自身がそれを拒む。

「もうわたくしの役目は終わりました。あとは、暫定評議会の面々が処置を行う手筈になっております。わたくしがいれば余計な混乱を招くだけです」

そう。もともと、ラクスはこの戦いが終わった後は、表舞台から姿を消そうとしていた。
それは、自分が誰かに戦略的に利用されることを恐れたからだ。

「ラクス…」
「だから、キラ。共に地球にまいりましょう」