何が『善』で何が『悪』か。
それは今、眼前にはっきりと示された。
だからこそ全ての『悪』を断ち切って、望んだ世界を、平和を手に入れる。
もう誰も失わないために。
「こら!サクラ痛いっ」
紆余曲折は経たものの、無事にジブラルタル基地へと到着したミネルバ。
その艦内は寄港する直前特有のざわめきに満ちていた。
レクルームには前日にあれほどの死闘を繰り広げたとは到底思えないシンが、いつものようにサクラと遊んでいた。
もちろん傍らにはレイの姿もある。だが、そこには数日前ならばその場に絶対にいたルナマリアがいなかった。
「いたーい?」
「う…ん。ちょっとな」
ソファに座るシンの隣で、サクラはオレンジジュースをストローでおとなしく啜っていた。
だが、見上げたシンの頬にくっきりと赤い何かの跡が残っているのを見つけておもむろにそれを引っ張った。
その頬の跡とは昨日ルナマリアからもらった痛烈な平手の名残だ。
ドッグ中に響いたと思われるそれは、翌朝のシンの頬にくっきり残った。
そしてその平手こそがルナマリアがここにいない理由だ。
「だいじょーぶだよ、サクラ」
問いかけに、少し痛む、との答えにサクラは悲しげな顔をする。
サクラは他人の痛みに敏感だ。
シンはそんなサクラを安心させるように、軽く頭をなで大丈夫だと言ってやる。
その言葉をそのまま信じたのだろう、サクラは可愛らしく笑うとまたジュースを飲むのに集中し始めた。
そんなサクラの様子を慈愛に満ちた表情で眺めるシンは心で思う。
(俺達の邪魔をする奴らはもういない…。あとは……)
「なあ、レイ。このあとって、どうなるんだ?」
シンはおもむろに隣で黙ったままのレイに問いかける。
具体的に”何が”とシンは言わなかったがそれだけでもレイには十分通じた。
「まだ具体的なことは分らないが…。先日の議長の言葉にそって行動することは確実だ」
「だよ、な…」
つまりは、ロゴスの壊滅。
全ての『悪』の元凶であるロゴス。
それを打ち倒すことができればデュランダルが導く理想の世界が見えてくる。
望んだ世界が手に入る。
レイからも自分と同じ見解を聞かされて、シンの気分は我知らず上昇していく。
(そうロゴスを討ち取りさえすれば……)
シンはまだサクラの頭に置いたままだった手で、もう一度頭をなでる。
もう残り少ないのだろう。ズズッ、とストローを鳴らしてジュースを飲んでいたサクラは頭をなでられる感触にシンを見上げてきょとんとした顔をした。
(そうすれば……サクラ…もう恐い思いも、泣くこともなくなるよ)
そう内心で言葉をかけながら優しい顔をサクラに向けるシン。
そして、レイはそんな2人を誰も見た事がないほど暖かな目で見つめていた。
「キラ…」
声に乗せれば、彼女をそう呼んだ様々な場面が呼び起こされる。
宿題をやらない彼女をたしなめるのに呼んだこと。
別れを悲しむ彼女にどうにか笑ってほしくて呼びかけたこと。
敵対することが嫌で何度も説得するのに呼んだこと。
友を失った悲しみで憎しみにまかせて呼んだこと。
そして、再会して初めて体をつなげて呼んだこと………
どうしようもない喪失感にアスランは何度も打ちのめされる。
昨日から一睡もできないでいるアスランの脳裏には何度もフリーダムがインパルスに貫かれる場面が繰り返されていた。
呆けた視線でベッドの上から動けずにいる。
だが、アスランの目がうごめくものを捕らえる。
何をする気力もおきないアスランだが、不思議と目の端に映ったものは気になった。
脱力しすぎて動くことが億劫な体で、それを確かめる。
「ああ、これか………」
それは、いつかアスランがサクラに約束したハロだ。もちろん、色はサクラが望んだとおりのピンク。
すっかり忘れていたが、もう殆ど完成しているハロはあとは喋るようにしてやればラクスに贈ったものと同じものになる。
サクラ用に大きさは若干小さめであるが。
ジブラルタル到着にあわせて頼んでおいた残りの部品は、すでに基地の方に届けられているだろう。
そうすれば完成だ。
「サクラ…ラクス…」
アークエンジェル討伐の命令が出たことでそんなことは記憶の彼方に追いやられていた。
だが、サクラはラクスと会ったことがあるかもしれないと考えていたことをアスランは思い出す。
ラクス。
彼女に繋がればキラとも何か、という期待を抱いたアスランだったが、今となってはどうしようもない。
だってキラはもう……。
「死んだ……のか?」
口にするだけで体中の血が凍る思いがする。
必死にその可能性を否定したくて、手にとったハロを握り締める。
と、アスランをデ・ジャヴが襲う。
同じような気持ちでいたときに、ハロを持ったラクスに力強く言われたことがよみがえる。
『キラは生きています』
それはラクスが初めてコンサートを行ったホールで。
廃墟と化したステージの上、銃を構えた自分をまっすぐに見つめて。
自分がこの手で殺したキラの生存を知らされた。
そしてそれは事実で、その後アスランはキラに再び逢うことも、抱きしめあうこともできた。
「死んでなんか…いないな?」
今は、ラクスのような言葉をアスランに渡すものもいなければ、その事実もわからない。
だけれど、ここで、この瞬間にラクスのあの言葉を思い出したことは必然だと思いたい。
イージスの自爆をあんな間近で受けてなお一命を取り留めたキラの生存を信じろという、符号だと。
愚かな思い込みだと笑われてもいい、今アスランはそれに縋るしかなかった。
そして、アスランにデュランダルからの呼び出しが入る。
もう既にこころは決まっていた。
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