『シン―』
俺を呼ぶ彼女の声。
砂糖菓子みたく、凄く甘くって、名前を呼ばれるだけで幸せになれた。
少し舌ったらず気味の喋り方すらいとしくて。
その笑顔を、ずっと、守りたいと思ってた―。
「ステラ―!!」
喉からほとばしった絶叫と共にシンは飛び起きた。
汗でアンダーシャツが肌に纏わりつく嫌な感触と硬く握りしめた拳を認めてここがミネルバの自室だということを知る。
夢を―夢を見ていた。
それは幸せな夢。
シンがステラと過ごした時間は決して多くはない。けれどシンの中にステラが与えたものはとても大きなもので。
今しがた夢に出てきていたのはステラの笑顔ばかりだった。ステラを失った今のシンの心は、風穴があいたようだ。
「…シン…?」
「シンちゃー…」
夢の中にいるような感覚が覚めず汗まみれの手のひらで顔を覆ったシンは、その2人の声にようやくきちんと現実に引き戻される。
そうだ、今日は明朝0400から始まる敵対勢力討伐作戦のため早めの就寝についていたのだ。
そう、あのアークエンジェルの討伐のために…。
「そんな馬鹿な―!!」
その衝撃的な命令を受けたのはアスランが最後だった。
シン、レイ、そしてルナマリアはデュランダルの全世界同時発信演説が終了すると同時にタリアに呼ばれて次回の作戦について指示を受けていた。
アスランだけが別に1人で呼び出されたのだが、それは命令内容を考えれば当然のことと言える。
その命令内容とは。
「上から―評議会の決定よ…”アークエンジェルを討伐せよ”ってね」
アスランが説明されたものは決して彼が受け入れることができないものだ。
アスランはオーブにおいても”ザラ”の名前のおかげで国防関係の仕事にはつくことができず、情勢が不安定になっても所詮は偽名を使ってオーブ代表のSPという仕事しかできなかった。
この世界がもう一度混乱におちいっては、あんなにも平和を願って死力をつくして戦った彼女の思いが報われない。
だからアスランは再び混迷を極めようとする世界で何もできない自分がいやだった。
そんな無力を嘆き、復隊を薦められた古巣のザフトでならば何かできるかもしれないと思って戻ったのだ。
そう、この世界のどこかに平和を願う彼女がいると信じて、彼女を守りたいがために。
「そんな!…議長に連絡を!」
「アスラン!これは評議会の決定よ!…評議会で決定されたのだから…分かるでしょう?」
タリアは痛ましげに、アスランに諭す。
タリアとてこの命令は寝耳に水だった。
衝撃的な世界への呼びかけをしてすぐに下されたアークエンジェル討伐命令。
あのデュランダルの演説はタリアだって聞いていた。
戦争の全ての責任が”死の商人”と呼ばれる軍需産業の元締めたちにあるという、確固たる悪の存在を名指しするあの話を。
ミネルバでこれを聞いていたほとんどの者は、耳障りのよいデュランダルの言葉に酔っていて彼の言葉に何の疑問も持っていなかった。
だが、タリアにしてみれば、デュランダルの話は外見だけが綺麗で中身が腐っているケーキのように感じられた。
タリアには不思議だった。なぜ他の者があの映像に疑問をもたないのか。
(情報操作だとわからないのかしら…あの場にいた我が軍の兵は)
あの演説の中で流されていた映像には地球軍の巨大MSと戦っていたフリーダムの姿が綺麗に消され、あたかも自軍のインパルスが見境無く暴れまわっていたあの機体を倒したかのようにされていた。
そしてそれに続く、アークエンジェル討伐の命令。
だからこそタリアには評議会、いや、デュランダルが自分の邪魔者を消そうとしているかのように感じられて仕方が無い。
「残念だけれど…アスラン」
デュランダルがアスランに何と言ってザフトへの復隊を薦めたのか、タリアは知らない。
だが、今までのアスランの態度からしてアークエンジェルと敵対することはアスラン自身のシナリオにはなく、デュランダルから聞かされていなかったに違いない。
アークエンジェルが突然戦場に入ってきた初めこそ彼の艦に憤っていたタリアだが、今は自軍の最高指導者に対する憤りが強い。
だから、目の前のアスランが不憫でならなかった。
「…失礼しますッ」
アスランは遣り切れない顔をしてそれだけを言うと艦長室から足早に立ち去った。
その後姿を見ながら、上からの命令には逆らえない自分の立場をタリアは心底もどかしいと思っていた。
「なぜっ…」
アスランは遣り切れない思いをどうすることも出来ずにいた。
アークエンジェル討伐はもうすでにミネルバを含む一部の精鋭たちに伝令されており、決行は明朝だ。止めさせることなどは到底無理な話。
ダーダネルスでイザークたちから聞いた話から議長への信頼は、当初よりもずっと小さくなったが、それでもこんな暴挙にでるとは思ってもみなかった。
自分たちに利があるように情報操作された映像、そして今回のアークエンジェル討伐命令。
結局、アスランはただアークエンジェル側が思い通りにいかなかった時の保険に過ぎなかったのだ。そして、駒であるアスランの説得にも応じなかった今、世界を味方につけたデュランダルは自分に仇なす者を亡き者にしようとしているのだろう。
それがデュランダルの思惑。
やさしげな微笑の下で狡猾な計算を練る彼の真実の思惑を知ることができず、ただの駒として動かされていた自分のふがいなさにアスランは吐き気がした。
今すぐにアークエンジェルに飛び立ってその危機を知らせたいことは山々だが、それではこちらにアークエンジェルの位置を教えるようなもの。
だからそれも出来ない。
「どうか…キラ」
どうか、どうか、彼女が無事にこの危機を乗り切れますよう。
アスランは彼女が残した指輪を握り締めて祈ることしかできなかった。
「シンちゃー…」
サクラの眠たげな声がかかり、アークエンジェル、いやフリーダムを堕とすことをもう一度心に誓っていたシンの注意をひく。
サクラはまだ半分夢の中で、先程も今もどちらも寝ぼけながらシンを呼んだ様だ。
「シン…眠れないのか…?」
反対のベッドから起きだしたレイがシンの側まで来て、心配そうに訪ねた。
だが、シンはそんなレイにただ首を横に振って少し疲れた顔に無理矢理笑顔をのせる。
「大丈夫…ちょっと…夢、見ただけだから」
『ステラ』と叫んでいたのだから、シンが見ていた夢はあの少女の夢だとレイには分かっていた。
けれど、シンがそう言うからレイは「そうか」としか答えない。
もうここ数日繰り返された光景。
ただ、2人の気分がいつもより高揚しているのは何も言わなくてもお互いに気づいていた。
それは、明け方への思い。
「シン…いけるな」
淡々とした口調であるが、レイの声は少しだけ気遣いのような声音だった。
シンは、それに「何言ってんだよレイ」と言って、
「決まってるだろ」
と、続けた。
その答えを聞くと、レイは満足そうに笑みを浮かべる。
そして、それを聞くとシンの髪をくしゃっとまるでサクラにするかのように撫でて「もう寝ろ」と言って自分のベッドに戻ろうとした。
だが。
「…レーちゃんもこっち…」
今まで、寝ぼけていたと思っていたサクラがレイの手を取るように伸ばしてシンのベッドに引きずり込んだ。
いつもならそんな失態をおかさないレイだが、やはり気分の高揚と寝起きだからか少し注意力が散漫になっていたようで、あっさりと狭いベッド突っ伏した。
「…サクラ…」
「シンちゃんもレーちゃんもいっしょー…」
おそらく今のもただ無意識にやったことなのだろう、サクラはレイの手を持ったまま幸せな顔をして眠っているようだ。
「仕方ない…」
レイもそんなサクラの顔を見て自分の寝床にもどることを早々に諦めてしまった。
そしてシンはそんな無邪気なサクラを見ることで、今度は無理のない自然な微笑を浮かべていた。
「狭いが、許せよ、シン」
「お互い様だよ、レイ」
サクラを挟んで3人、まるで兄弟のように眠りにつく。
シンはサクラの寝顔を見ながら、再度心に誓う。
もう二度と、本当に、二度と、この笑顔を奪わせないと。
平和な世界で、この子供を幸せにさせてやろうと。
そのためにはまず、デュランダルが目指戦争の無い平和な世界の建設を邪魔するあのアークエンジェルを。
ステラの仇である、あのフリーダムを。
(必ず、撃ち落す…!)
決戦はもうすぐそこまで迫っていた。
|