軍へ志願した時に誓ったはずだった。
突然目の前で理不尽にも家族を奪われたあの日のようなことは二度とさせないと。
そのための努力は惜しまなかったし、それを出来るだけの力はつけたはずだった。
けれど―――。
「ステラ……」
南国のオーブでは見ることのなかった本物の雪が舞い落ちる極寒の湖。
その冷たい水の中に沈んでいくステラを見つめるシンの瞳にはとめどなく涙が溢れる。
抱き起こした時にパイロットスーツ越しにも伝わったかすかな温もりもこの地の気候も手伝ってすぐに失せてしまい、認めたくなくともステラがもう二度と戻ってこないということをシンに知らしめる。
本当のことを言えばずっとステラの亡骸を抱きしめたままいたかった。
けれど、そのままいれば自軍の研究機の実験材料として取り上げられてしまう恐れがあったため、シンはステラの亡骸を抱いて彼女を葬ってやれそうな場所を探したのだ。
シンがステラの永久の眠りの地に選んだの人里離れた静かな湖だった。
そこは人の手がまったく加えられておらず木々も水もありのまま、失われて久しい豊かな自然が広がっていた。
「ここなら静かに眠れるよな…ステラ…?」
湖の中で小さくなるステラに問いかけるシン。
頬を伝う涙は熱いのに、寒さで凍えた頬は冷たくて。
夢なら覚めて欲しかった。
しかしその涙と頬の温度がシンにこれが夢でないことを告げる。
(止めようとしたのに…!)
確かにステラはシンの呼びかけに答えて破壊行動を一時中断した。
あのままそっとして置いてくれればステラは絶対にあの巨大MSから降りてくれたはずだ。
なのに―。
「アイツがッ…!!」
重くて暗い雲が広がる中で白と青の鮮やかな色彩を躍らせていたあの機体。
フリーダム。
悲しみの咆哮をあげたあの日にも空にはフリーダムがいた。
憎たらしい程スッキリと晴れ渡った空で戦っていた姿は今でも忘れられない。
あの時は直接の原因を作ったのかも知れないMSを恨むことはしなかった。
代わりに高い理想だけ掲げるだけ掲げて自国の国民すら守れなかった国と、何もせずにさっさと死んだ国の代表達を憎んだ。
けれど今は違う。
今は直接手を下した相手が誰か分かっている。しかも、そいつは自分の家族を奪ったかもしれないあの日の容疑者のうちの1人だ。
「フリー、ダムッ……」
憎々しげにそうシンは呟くと湖の底を覗き込むように身を乗り出した。
その時の表情は先程までの憎悪に満ちたものでなく、純粋に想い人を弔おうとする1人の少年のものだった。
「どうか安らかに……」
シンはいつかオーブで出会った印象的な人が呟いていた言葉をそのままステラに贈ってその場を後にした。
「シン…」
シンがミネルバに戻ると負傷中で今回の戦闘に出られなかったルナマリアがサクラを連れてドッグで出迎えた。
負傷していると言っても一応はアスランやレイと共に何かあった時に対応できるようにブリーフィングルームに詰めていたのだが、戦闘が終わるとサクラを直ぐに医務室に迎えに行きシンが来るのを待っていたようだ。
姉のようにいつもシンの世話を焼いてきたルナマリアは帰ってきたシンの表情のない顔を見て複雑そうだった顔を更にゆがめた。
子供のように思ったことが全て顔に出ていたシンのこんな顔はルナマリアも初めて見た。
それほどあの地球軍のエクステンデットの存在はシンにとってかけがえの無いものだったのだろうか。
「ルナ…サクラ…」
それでもルナマリアたちを見てそう声を出したシンにルナマリアは少し安堵した。
このままシンの心が壊れてしまったらどうしようかという心配があったからだ。
「シンちゃん、おかえりー」
サクラはルナマリアと繋いでいた手を放すといつものようにシンに近寄っていった。
ルナマリアはサクラにこの事態をどう説明していいか分からず、何も言ってはいない。
そこにはサクラにだけでもいつものようにシンと接してほしいという気持ちもあった。
「サクラ…」
「シンちゃんおそーい。リュナちゃんとまってたのにこないんだもん」
いつもと変わらぬ無邪気なサクラの様子に先程までどん底に落ちていたシンの心に一筋の光が届く。
そうだ、まだサクラがいる。
ステラを失くしたことで全てを失った気がしていたシンだったが、シンが守るべき者はまだ全て失われてなどいなかったのだ。
「シンちゃーん?」
シンの直ぐ側まで近寄ったサクラは、いつもなら抱き上げてくれるシンが声すらかけてくれないことを不思議に思ったのか首を傾げてシンを見上げる。
シンはそうやって見上げてきたサクラの顔を見た瞬間、こみ上げてきたものが抑えきれずその場に膝を着いてサクラを強く抱きしめた。
「わっ!シンちゃん、つべたいよ!!」
突然シンに抱きしめられたサクラは、その行動にも驚いていたがそれよりもびしょっと水でも被ったかのようにぬれていたシンのパイロットスーツの冷たさに声をあげた。
だが、そんな他愛も無い普通のサクラの反応が何よりもシンを安心させる。
「つべたいってば!」
しばらくそうしていると、その冷たさに最初は驚いたもののくすくす笑って状況を楽しんでいたサクラだったが段々寒くなってきたのか本気で嫌がり始めた。
シンもその頃にはだいぶ自分を取り戻せていて、いつもの顔でサクラを離す。
「ごめん、ごめんってば、サクラ」
シンがサクラを解放するとサクラは、シンとの間に挟まれていたハロぬいぐるみがぬれてしまったと文句を言った。
それに答えるシンはいつものシンだ。
サクラがシンのところへ行った後びしょぬれのシンを気遣ってタオルを取りにその場を少し離れていたルナマリアは、そんなシンの様子を見て今度こそ本当に安心できた。
「ほら、拭きなさいよシン。そのままじゃ風邪引くわよ」
「ルナ…」
お節介なお姉さんというような態度でシンにバサリとタオルを投げ渡すと、ルナマリアは持っていたもう一つのタオルで一緒にぬれてしまったサクラを拭き始めた。
「もう、サクラもこんなにぬれちゃって」
「だってシンちゃんがちべたかったんだもん」
そうよねー、と手を動かしながらルナマリアはサクラの言葉にそう相槌を打つと、タオルを持ったままこちらを凪いだような顔で見ているシンに微笑みかける。
「シン、早く拭きなさいって。アンタが風邪引いたらサクラにもうつっちゃうかも知れないでしょ。”お兄さん”ならしっかりしなさいよ!」
ルナマリアのその言葉にシンはしばし面食らったが、いつもより力は無いが照れたような笑みを浮かべた。
ああ、そうだ。
まだ終わってなどいない。
まだ自分には守るべきものがある。
決して失えない、大切な庇護すべき子供。
平和になったらサクラの為にしてやりたいことがたくさんある。
サクラの親を探すこと。もし見つからなければ自分の家族にしてあげて。
軍艦の上では決してできないことをたくさん経験させて寂しくないようにしてやりたい。
だから、まだ―。
(ステラ、まだもうちょっと
天国
で待ってて…)
シンは心でステラにそう話しかけると、今度こそルナマリアに言われたとおり手にしたタオルを動かし始めた。
|