「うそっ……」

艦長たるタリアの命令をうけ、夕暮れの岩場までアスランを追って来たルナマリアは意外な人物の登場に声を失った。
その場にいたアスランたちやルナマリアからも死角になる岩陰から出てきたのは、間違いなく稀代の歌姫、ラクス・クラインだ。 しかしながらそのラクス・クラインはつい先日、慰問で訪れていたディオキアを発ち、他の基地へと赴いているはずだった。
朝ルナマリアがミネルバを出発する時、ジブラルタル基地への”ラクス様慰問コンサート”の様子をニュースで放送していたから、ラクスがこの場にいることは有り得ない事だ。

「どうして……」

ルナマリアの胸には嫌な予感が募っていった。



『もうよろしいでしょう、アスラン』

懐かしい、かつて婚約者と呼んだ彼女の柔らかな声。
ある時は優しく包み込むように、またある時は厳しく突き放すように自分を導いてくれたその声。
彼女がいなければ、アスランはとこしえに一番大切な人を失っていただろう。
感謝しても仕切れないほどかの歌姫はアスランに恩を与えてくれた。
だが今、アスランは彼女に憎悪にも似た気持ちを抱いていた。

「ラクス・クラインッ――!!」

低く、低く。
アスランが地を這うような声で歌姫の名を呼ぶ。
カガリも、ミリアリアもアスランのそんな声を聞いたことは無く、驚きに見開いた目で彼を凝視した。 だが、名を呼ばれた当事者―ラクスは穏かな、だがどこか悲しげにも見える微笑を浮かべるだけだ。

「もうよろしいでしょう、アスラン。カガリさんは一国の代表。国の機密に関わることをどうしておいそれと他人に言えましょうか」

声の質はほとんど同じでも言葉遣いが異なるだけでこんなにも人の印象とは違うものかと、激しい感情に思考が支配されていく中、頭の片隅でアスランは冷静にそう考えた。
ラクスとミーア。
2人を並べてしゃべらせれば、どちらが平和の歌姫と呼ばれる存在かなど誰が議論するまでもなく分かるだろう。
それほどに、ラクスという人は際立っていた。

「他人、とおっしゃいますか?私を」

アスランは、ラクスの言葉が聞き捨てならず、今にも爆発しそうな感情をどうにか抑えて呻くように問うた。 その言いようは丁寧である皮肉げで、アスランの顔には自嘲の笑みを浮かべていた。

「ええ。他人でございましょう?それも他国の軍属の方…間違いございませんわね、”ザフトのアスラン・ザラ”」

いつか、そのように彼女に言われて決断を迫られた時があった。
あの時もラクスは今と変わらぬ笑みを浮かべてアスランに問いかけた。
だが、今はそれぞれの状況も立場も違う。
アスランにはラクスのその言葉が高慢に感じられて、我慢ならなかった。

「ならば貴方は他人ではないと仰るのですか!?プラントの平和の象徴と謳われた、その貴方がオーブの代表とは他人でないと!」

激昂したアスランの声にもラクスは表情を変えない。
その場で2人のやり取りを聞くカガリとミリアリアは、ただ少しばかり痛ましげに目を伏せた。
なぜならそう叫んだアスランはまるで、1人誰も知らないところへ取り残された子供のようで見ていられなかったからだ。

「いいえ、わたくしも他人には変わりはございません。けれど、今はオーブ守ろうとする者の一人ですわ」
「なっ…!!」

アスランはラクスの言葉の意味を理解できなかった。
”オーブを守る”とは一体どういう意味かも分からないが、何故ラクスがそこまで言うのかが分からなかった。
もちろんアスランとて色々とオーブには恩義があり、出来る限りのことを彼の国にしたいと思っている。 だがやはり、プラントという故郷ともいえる場所がなんらかの危機に瀕していれば、プラントのこと優先的にを考えて行動してしまう。
プラントを思う心は、月で生まれ育ったアスランよりも、生まれてからのほとんどをプラントで過ごしたラクスの方が強いはずだ。
なのに何故。

「わたくしは現評議会議長、ギルバート・デュランダル氏とは一度もお会いしたことはございません」

まるでアスランの心を見透かしたかのようにクスリとラクスは笑うと、そう一言。

「それに、わたくしは先の大戦が終わってから一度としてプラントには戻っておりませんわ」
「それは…」

アスランはラクスが何を言わんとしているか分かった。
それは先程アスランがラクスと雲泥の差があると言っていいと思ったミーアのことだ。
今現在、地球上のザフト軍基地を慰問しているラクス・クライン。
それはデュランダル議長が仕立て上げた真っ赤な偽物。
だが、それは混乱したプラントの民を精神的に落ち着かせる気休めのようなものだ。 それに、そんな必要がでてきたのは、ラクスがプラントに戻らなかったことに原因がある。
聡明な彼女であれば、それ位の議長の思惑を想像することなど容易いだろうし、それしきのことでプラントを軽視するような人ではないとアスランは知っていた。

「もちろん、プラントの方々の支えになるのでしたらわたくしの姿をどう利用していただいても結構です。けれど、わたくしの姿を支配の道具に使うおつもりであるなら話は別です」

沈黙してしまったアスランに対して、幾分か厳しい表情を浮かべたラクスは続けた。

「わたくしとて始めはデュランダル議長を信頼しておりました。そう、あの時までは…」
「あの時、ですって…?」

アスランはその話振りに既視感を覚えた。
そう、それはディオキアでの知己の友との会話。

「ええ。先日、わたくしはザフトの特殊部隊の方々に命を狙われました」

その言葉を聞いたアスランはあまりの衝撃に言葉が出なかった。
それほどにラクスのもたらした情報は重いものだった。

「幸い、けが人もでませんでしたし、わたくしもこうして今、貴方とお話することができます。
しかし、MSまで持ち出してわたくしの命を狙い、あまつさえ何の関わりもない方々を巻き込むことにも躊躇がありませんでした」

アスランの脳裏に先日のディアッカの言葉がよみがえる。

『消えた”アッシュ”と特殊部隊の兵の行方はわからない』
『オーブでな、早朝に戦闘があった。で、なぜかそこでは原子エネルギーの反応があったんだな、これが』

まさか、という言葉がアスランの頭の中を駆け巡る。

(まさか、居なくなった特殊部隊は…)

「それは、本当に…特殊部隊だと…?」
「間違いない、と。残念ながら、その方々は自ら…」

ラクスが皆まで言わなくとも、言いたいことはアスランに伝わった。
特殊部隊の教育は徹底している。ならば作戦が失敗した時にその者達が取る行動は、一つ。

「………」

そこで会話は途切れて、アスランは唇を噛み締めた。
アスランの中には先程ラクスに対して感じていた憎悪のようなものもまだあったが、それよりもディアッカたちによって得た情報が思わぬところでラクスと繋がっていることに大きな衝撃を受けて、それどころではなくなっていた。
ラクスは苦渋に満ちたアスランの顔を悲しそうに眺めていたが、おもむろに口を開いた。

「わたくしは貴方に謝らねばならないことがございますわ、アスラン」

ラクスの声にアスランは伏せていた目線を上げて、まっすぐラクスの瞳をみつめた。

「それは…」
「ええ、キラのことですわ」

今までアスランが意図して言わなかった彼女の名前をラクスは、はっきりと言い切った。
アスランは恐かった。
ともすればカガリやラクスにも詰問したくなる彼女のことをすんでのところで止めていたのは、その恐怖からだった。
この岩場に降り立った時、彼女がいないことはすぐに分かった。
それはアスランを落胆させもしたが、同時に安堵させた。
彼女と会って話して、自分の腕に抱きしめることはアスランの最大の望みだ。
だが、先の大戦時のように、はたから見れば敵同士という立場に今また、彼女とアスランは分かたれた。
だからこそ前回と同じように彼女が自分を切り捨てることをアスランは恐れたのだ。
そしてそれを彼女自身の口から聞くことを。

「わたくしは貴方に黙ってキラと共に姿を消して、貴方の信頼を裏切りました」

アスランは口を開かなかったが、ラクスは続けた。

「そして今、わたくしはもう一度貴方の信頼を裏切る…」
「え……?」

ラクスが続けた言葉はアスランにとって受け入れがたいものであり、すぐに呑み込むことが出来なかった。
ラクスの言葉に目を見開いたアスランの目の前に、少し離れたところにいたラクスが歩み寄り、すっと手を差し出した。

「キラからお預かりしたものです…貴方にお返ししてくれと……」

そう言ってラクスがアスランに差し出した手には、見覚えのある懐かしい銀の指輪。
それはアスランが彼女に渡した母の形見。

「これ、を……」
「はい。貴方にお返ししてくれと頼まれました…」



「これで、本当によかったの…?」

もうほとんど日が沈んだ海へと飛びたった赤い機体を見送りながらミリアリアは、その場にいたカガリとラクスに呟いた。
結局、アスランはラクスから差し出された指輪を受け取りはしなかった。

『…それはアイツにやったんだ。返すなら自分で来い…そう伝えてくれ』

青ざめた顔をしたアスランはそれだけ言うのがやっとのようで、それまで話していたオーブのこともラクスのことももう続ける気力もなくなってしまったようだった。
ラクスには、特殊部隊について自分も調べてみることを告げた。
そしてもう一度だけ、カガリに一刻も早く国へ戻ることと、もう二度と戦場になど出てこないことを告げて去っていった。
ミリアリアの言葉にラクスはただ悲しげに目を伏せるだけで何も言わず、カガリはどこか苛立ったような表情をしていた。
何も答えない2人を訝しげに思ったミリアリアだったが、口を真一文字に引き結んでいたカガリが口を開いた。

「ああ…お前もこれでよかったんだろう………キラ」

ミリアリアはその言葉を聞き間違いなのかと思ったが、背後で石を踏む音を聞いた。

「キラ………」

振り向いたミリアリアが見たのは、懐かしい細面の美しい―キラだった。