波の歌が聞こえる。
母なる海の優しい歌声が夕暮れの浜辺に静かに響く。
その歌に耳を傾ける黒衣の少年が一人。
白い砂浜を一望できるロッジのテラスで、彼は瞳を閉じてゆったりとその身を安楽椅子に預けていた。 しかし彼は傍らに人の気配を察してその瞳をゆるりと半分ほど持ち上げる。
彼の傍へとやって来たのは可憐さの中にも凛々しさを秘めた桃色の美しい人だった。

「・・・ユニウスセブンが軌道を外れ地球に落下するそうです」

彼女はゆっくりと、けれど真実を迷いなく彼へと伝える。
だが、目の前の彼から返された答えは少なからず彼女を驚かせる。

「知っているよ」

世捨て人のような生活をし、外界のことなど見向きもしなかった彼が、そのような情報を知っていることに 彼女は驚いたのだ。

「・・・ユニウスセブンは出来る限りザフトが破壊すると、デュランダル議長が声明を発表なさいました。 その作戦には、先日完成したばかりのザフトの最新戦艦”ミネルバ”を参加させるとも」
「・・・そう」

彼の答える声には何の感情も込められていない。彼女は彼の心中を推し量る。
その彼が知っている事実に付随する、あるコトを彼に告げても良いのか彼女は迷っていた。
穏やかに生活をしている現在の彼。
けれど、これは偽りの穏やかさで、このままではいつの日にか彼が破綻するのは分りきっていた。

(ならば、やはり今しか無いのでしょう・・・)

彼女はそう決心すると、彼が唯一心動かす人物の状況を告げる。

「その”ミネルバ”ですが、先日襲撃されたアーモリーワンを脱出する際に内密にデュランダル議長と会談していた オーブ代表、およびその随員がそこに同乗されているようです」

”オーブ代表”の言葉に少しだけ彼の肩が動く。そしてもう一つ・・・。

「そしてその随員の方が、かつてザフトとご縁があった方のようです。そのためユニウスセブンの破壊作業に自ら志願なされたそうですわ」

彼は彼女のその言葉を皆まで聞かず、自分を抱きしめて小さくなってしまった。

「・・・お分かりですね?」

彼はその言葉に幼子がするように首を振る。
彼女はそんな彼に母親がするように優しく、その震える肩を抱いてそっと囁いた。

「もうあの方の傍にお帰りなさいませ・・・」

幼子を諭すかのようなその声音にも、彼はただ首を振るばかり。そしてポツリと掠れた声で呟く。

「帰れるわけないじゃいか。彼の傍になんて、もう二度と・・・」

それと同時にはらはらと頬を流れる涙。それを見た彼女は苦しそうに顔を歪めて、より一層いたわる様にその震える肩を抱きしめるのだった。

(どこで間違ったのかな・・・?ねえアスラン)

彼―キラは心の中でそう、彼に問いかけて2年前へと思いを馳せた。




2年前、ヤキンドゥーエでの最終戦闘を終えた僕らは戦後処理なんてものを放りだしてカガリが代表に就任した オーブへと身を寄せた。本当は、戦時中の色んな罪を問われるべきであったのに僕らはその場から逃げ出した。
勝手かもしれないけれど、その時の僕ら・・・特に僕は休息が必要だった。
戦時中にお互いに抱く気持ちが恋愛感情だと知ったアスランと僕は、あまり人の住んでいないところへ引越し2人で 暮らし始めた。
最初の頃は何の問題も無かった。僕ら2人の歯車が狂い始めたのは、彼の一言が始まりだった。

「キラ。俺、カガリの所で働こうかと思うんだ」

僕は彼に何故と尋ねた。だってあまりに唐突だったから。

「父は世界に対して償いきれない罪を犯した。だから、せめて平和な世界を築こうとしているオーブを、いや、カガリを助けたいんだ」

僕は何と答えられるだろう。そんなもの”Yes”と言うほか無いじゃないか。
もうその頃には身も心も全部、アスランの色に染められていた僕は彼を信じていなかったワケじゃない。
けど、どうしても抑えきれないドロドロした感情が渦巻くんだ。
それでもアスランを困らせたくない一心で、笑ってそれを心の奥深くに押し込んだ。
けれど彼は無邪気に残酷なコトをする。

「今日はカガリが・・・・」
「知ってるか、キラ?モルゲンレーテのシモンズさんが・・・」
「すまないキラ。明日から暫く家を空けなくてはいけないんだ」

戦時中の後遺症からか、何故かいつも体調が優れない僕はずっと家に缶詰状態で、外との繋がりは唯一アスランだった。 僕にはアスランが全てでアスランしかいないのに、彼は段々と外のコトばかりに束縛されるようになった。
もうそうなると、心の奥底に沈めたハズのあの感情がまた首を持ち上げて暴れだす。

ねえアスラン、もう良いじゃない。僕がいれば良いでしょ?だからずっとココに、僕の傍だけにいて?

そう言ってしまいたくなって、彼に関係するもの全てに嫉妬した。
けれどそんなものをアスランに見せたくなくて、彼の前では精一杯笑った。
そんなことを続けていたから、僕はあんな事をしてしまったんだ。

あれは、しばらく残業続きで忙しかったアスランが早めに帰って来られると電話で告げられ浮かれていたある日のことだった。
唐突にカガリが尋ねてきたのだ。

「久しぶりだな、キラ」

彼女はわざわざ、臥せっている僕のベッドサイドまで足を運び、お土産の果物の皮を剥いてくれた。 屈託無く笑うカガリの笑顔が眩しくて、僕は眼を細めた。
本当に久しぶりに彼女に会ったのでしばらくは互いのことを色々と語って楽しい時間を持った。そう、途中までは―――。

「でな、アイツが・・・」

アイツというのはアスランのこと。
笑顔で僕の知らない彼を語るカガリ。

ねえ、どうして?君は僕の知らないアスランを知っているのさ!?

そんな感情が僕を支配して、次に正気に戻った時にはカガリを組み敷いてその首に先ほど彼女が使ったナイフを突きつけていた。

「お前・・・」

カガリは眼を見開き呆然としていた。けれど、その瞳には僕を責めるとかそんな色は微塵も無く、ただ驚きしかなくて。それが余計に 僕を追い詰めた。
もうそこから先はよく覚えていない。
カガリが一言「すまなかったな」と何故か僕に謝罪して、「また来る」とだけ言って去り、それと入れ違いのように 偶然やって来たラクスにアスランと暮らしていたところから連れ出してくれと、泣きながら頼んだコトだけを覚えている。

あれから2年。何も言わずに君の元から去った僕を君は恨んでいますか?不実だと詰りますか?
けれどこれだけは信じてほしい。君の元を去っても、今でも僕が君のモノである事に変わりわないんだ。
一生、永遠に僕は君のモノだから、これだけは何があっても変わらないから。
ねえ、アスラン。




いつのまにか寝入ってしまった黒衣の人―キラを宥めていた彼女―ラクスは、秀麗な彼の顔が苦悶の表情を浮かべたままでいることに悲しげに眉根を寄せて。この2年を振り返っていた。
アスランとオーブで暮らしてい当時はすぐれなかった体調も今では回復し、アスランと離れたことであの狂気にとも言える  嫉妬の渦に侵されることは無くなった。けれど、その代わりに新たな病魔がキラをじわじわと蝕んでいた。
それは、寂しさだ。
アスランとの別離はキラを孤独のどん底に突き落とした。例えそれが自分の選択したことで、すぐ傍にラクスがいたとしても決して拭えるものでは無かった。
キラのためを思うならアスランの傍に今すぐ帰すことが最善であろうが、ラクスには大きな不安があった。
それは、キラが思うアスランその人自身だ。
果たして彼が本当にキラがラクスに語ったように、ただ無邪気に自分に関わるキラ以外の人間の話を披露するだろうか。
婚約者として過ごした僅かばかりの中でも、彼は自分の行動が他人に対してどういう結果を与えるかということを熟知していた。
そんな彼が、籠の鳥のようにしてその腕に閉じ込めたキラにそんな話をするのだろうか。
答えは否だ。
そう考えると答えは1つ―――。

  「お2人が幸せになれると思いましたのに・・・・」

ラクスは想いがぶつかり合う恋人達を哀れんで一筋の涙を流した。

宇宙に願いを。この空のどこかにいる彼とこの黒衣の彼が、今度こそ幸せになれるように。  

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*ホトトギス*永遠にあなたのもの