※裏Sanctus.Ver アスキラ(♀)
「はぁ………」
華やかな舞踏会が開催されている、さる有名貴族の屋敷。
当主自慢の見事な庭を一望できる露台では、妙齢の少女がひとり深い溜め息をついていた。
すぐ後を振り向けば、煌々と照らされた会場では楽しげに踊る何組もの男女が見える。
先程まで、彼女―キラもあの会場にいたのだが、あまりの人の多さに眩暈がして風に当たりに外へ出てきたのだった。
人酔いしたということも理由の一つであったが、キラが会場を後にしたのには別に理由があった。
キラは当初から壁の花を決め込んでいたのだが、ひっきりなしにダンスの誘いがかかる。
それもそのはず。
キラ自身は頓着してはいないが、彼女の容姿は美男美女がひしめくこの王都でも抜きん出て美しいといえたからだ。
加えてキラはつい先日、遠く離れた故郷より行儀見習い(と言う名の花嫁修業)に王都へ出てきたばかりで、今日が王都で行われる舞踏会への初出席であったのだ。
そのため、「あの美しい人は誰だ」と男性たちからは熱い視線と誘いを、女性たちからは嫉妬の眼差しを向けられた。
そんな諸々のことが鬱陶しくなりキラはこの露台へと出てきたのだ。
「もう帰りたいな…」
キラの故郷は緑豊かなのどかなところだ。
そんな領地を治めるキラの実家の家柄は、この帝国の中でも名門と称されても差し支えないのだが、権力とは程遠いところにある。
だが代々の当主たちは、その境遇に不満を抱くでもなく、自由気ままに領地での生活を満喫し当代当主もその例にもれず、自分たちの暮らしに満足していた。
そして、その当主がキラの両親である。
「どうして王都になんか来なきゃ行けないんだよ…こんな舞踏会嫌いだって母さんたちだって知ってるくせに」
と、そんなのびのびとした環境で育ったものだから、ついつい独り言をもらす時は淑女にあるまじき言葉遣いをするキラ。
キラが呟くように、今回の王都への旅はキラの意志で決まったわけではなかった。
全てキラの母の一存で、キラに拒否権はなかった。
いつものように朝から愛馬を駆ってキラの大切な思い出の場所に行って、心を満たして帰ってくると、屋敷の前には旅支度を整えた馬車が用意してあり『キラ、ちょっと王都へ行って行儀見習いをしていらっしゃいな』と、まるで『お散歩にいってらっしゃい』と言うような口調で母はキラに言い放った。
母の言葉に呆然としている間にキラは乗馬服のまま馬車に押し込まれ、そうして王都へ旅立ったのだ。
「本当に母さんてば、何考えてるんだよ」
またも深い溜め息をついたキラは、ふと露台の下に広がる美しい庭園に目をとめた。
手入れの行き届いたとても美しい庭。
その光景にしばし見とれたキラだったが、どうしても自分の思い出の場所の方が美しいと思ってしまう。
キラの大切なその場所は、人の手など入っていないが、季節ごとに旬の花が咲き誇り、特に春は百花繚乱の様を見せる。
大好きだった彼とよく訪れ、時に笑い、時に喧嘩をした思い出の場所。
そして、彼から別れを告げられた悲しい、でも再会を誓った願いのある約束の場所。
「元気かな、アスラン…」
あの場所と共に思い出される、彼の名前をキラは呟く。
静養にやって来た母につい来てキラとしばし時を共にした、大切な幼馴染。
キラと同い年のはずの彼は、とても優秀で、キラの知らないことをたくさん知っていた。
武芸にも秀でていて、キラは彼が乗る馬の背によく乗せてもらっていた。
懐かしい、大切な思い出。
あの頃は、ただ、彼が大切だという気持ちしかなかった。
だから、王都に帰らなくてはならなくなった彼に別れを告げられたとき、胸が張り裂けそうになったのもそのためだと思っていた。
だが、いつまでも消えないこの想いの名前を今のキラは知っている。
あの時は気づかなかったために、告げることは叶わなかったこの想いの名を。
「逢いたいな…」
キラはアスランについてあまり知らない。
ただ彼の母と自分の母親が遠縁にも関わらず懇意にしているということ、王都でも高い地位にいる家柄だということ。
キラが知っているのはそれくらいだ。
アスランと共に居る時、彼が意図してその話題を避けていたのを彼が去った後に気づいたキラは、だから、母にも彼のことを尋ねることはできなかった。
それに、キラにとっては彼が”アスラン”だ、という事実だけで十分だったから。
ちょうどその時、会場から聞こえていた円舞曲が終わり、静かな曲が流れ出す。
「あれ、これ………?」
キラの耳を打ったのは、優しい、覚えのある旋律。
それもまた、彼に繋がる曲で。
「懐かしいなあ」
思わずキラはその旋律に合わせて口ずさんでしまう。
それも、そのはず。
この曲は、キラがよくアスランに強請って奏でてもらった曲だ。
彼は謙遜していたが、アスランは音楽にも秀でていてヴァイオリンも得意だった。
色々な曲を演奏してもらったが、その中でもキラのお気に入りはこの曲だった。
眠れない夜、隣り合った露台に出て、彼がよく弾いてくれた曲。
今宵も、その夜のよう綺麗な月が出ている。
キラは露台に手をかけ瞳を閉じて、しばし思い出に浸る。
聞こえるのは、部屋からもれ聞こえる楽団の調べと自分の歌声だけ―そのはずだった。
「え……?」
キラの歌声に重なり合うように聞こえたのは、耳障りのよい低い歌声。
それも、先程まで思い描いていた人と良く似た。
キラは思わず、その歌声が聞こえたほうを振り返る。
キラが出てきた場所とは異なるが、同じ露台に続く窓の前に立っていたのは―。
「ア、スラン?」
ポツリと落とした声は随分小さなもので楽団の調べにかき消されてしまってもおかしくはなかった。
だが、彼にはその声が聞こえたのか、それともキラの視線に気づいたのか、アスランはキラへと視線をやった。
そして、その目はこれ以上ないくらいに見開かれる。
「キ、ラ?」
再会を約したは二人、3年の月日を経て、花々が咲き乱れるこの王都にて今、その誓いを果たすことになった。
|