雨の音がする。
夕方まではどんよりとした雲が垂れ込めていただけだったが、ついに夜中になって降り始めたらしい。
雨は嫌いではない。
日中でもまるで真夜中のような静けさがあるところが好ましい。
だが、この季節の雨はいただけない。高すぎる湿度が鬱陶しくて、我慢できない。
もっとも空調が完璧な室内にいる分にはまったく問題ないのだが。
「行くのか？」
寝台から身を起こしたルルーシュが外の景色が見えない独特の窓を眺めていると、後から声がかかった。
少し掠れた、甘くて低い声。
声の主など知れている。
先ほどまでルルーシュと肌を合わせていた男だった。
この中華連邦でも高い地位にいる、リ・シンクーその人だ。
「人に見咎められるわけにはいかないからな」
日本で百万のキセキを起こす際に、シンクーは証立てとしてゼロに素顔をさらすことを求めた。
躊躇いこそあったものの、これからのことを見据えてルルーシュは正体を明かした。
もちろん、二人だけの秘め事として、だ。
完璧に信用したわけではなかったが、ひどく自分と似たところのある男が、そう易々と重要な駒になるゼロの正体を明かすとは思えなかったのだ。
本土に来て一ヶ月は経つが、未だにゼロの正体は謎のままでルルーシュは自分の思惑が正しかったことに一人笑んだ。
そうして、秘め事を共有した二人の時間は自然と増え、いつの間にか公にはできない関係を持つようになった。
手近にあった夜着をはおり、寝台から降りようとするルルーシュの腰に実用的な筋肉が付いた男の腕が回る。
片手だけでも抱えられる腰の細さに、次こそ壊してしまうかもしれないという恐れを抱きシンクーは眉を寄せた。
「いまの時間の方がかえって人目に付きやすい。朝方、屋敷が慌しくなったころに帰ればいい」
シンクーは細腰を抱えていた腕を引いて、ルルーシュを腕の中に囲った。その途端、肩にかけただけだった夜着がはらりと落ちる。
触れ合う肌は先ほどまでの熱が引き、心地よい温かさを二人は分かち合う。
体温が低い自分のものより少し高いシンクーの温かな腕の中、ルルーシュはその心地よさに酔った。
「…やはり、屋敷になど来るべきではなかったな」
ルルーシュは呟いて、深く息を吸い込んだ。
ここしばらくの間にすっかり慣れ親しんだ男の香りが鼻腔に広がる。
シンクーと出会ってから一年と経っていない上、心から信頼を置いたわけではない。だが、ルルーシュが今最も安堵する場所はシンクーの腕の中だった。
それは疑いようのない事実だとルルーシュは自覚していた。だから、ルルーシュの顔には自嘲が浮かび、それを隠すように目の前の厚い胸に顔を埋めた。
「…後悔しているか？」
シンクーはギュッと抱きしめる力を強めると、耳元でルルーシュに囁いた。
その聞き方はずるい。
たぶん男が問いたいのは、こんな関係をもってしまったことを後悔しているか否かだろう。
だが、ここでどちらの答えを返しても、自分たちには虚しいだけだ。
それが分からぬ愚かなシンクーではないはずだ。
「…いいや。何も後悔なんてしていない…何も」
それでもルルーシュは、小さく首を振って答えた。
その答えに嘘偽りはなかった。
いまシンクーと寝ていることはルルーシュの意志で、そこに後悔はない。
ルルーシュの言葉を信じたのかいないのか、シンクーは「そうか…」とだけ呟いて沈黙した。
（こんな答えが何のたしになると言う？）
口には出せない言葉を心で呟く。
こんなにシンクーの傍が安心できるのは、互いに譲れないものを持つ似たもの同志だからだと分かっていた。
確かに互いを好いてはいる。こんな世の中でなければ、二人は「普通」の恋人同士になれたかもしれない。
だが、二人は互いの恋情よりも優先すべきものを持っている。
命に代えても、成就させなければならない願いがある。
だから、いつか対立する日が来ても、躊躇いなく二人は互いに剣を向けるだろう。
後悔などしていはしないが、いつかやってくるかもしれないその日のことを思うと、少しだけ胸が痛む。
「…私も…後悔は、していない」
ルルーシュの耳に、シンクーの声が落ちた。
その声が寂しげに聞こえたのは、ルルーシュの勘違いだったろうか。
思わずルルーシュは今まで男の胸においたままだった手をそろそろと、その広い背に伸ばす。
シンクーはその手に勇気付けられるように告げた。
「だが、お前を守るとは約束はできない…」
やはりシンクーも分かっていた。
自分がいつかルルーシュと対峙しなければならない時が来たら、互いに容赦はしないだろう。
だから、全てのモノからルルーシュを守るなどと約束することなんてできなかった。
この世でシンクーが、誰よりも好いているのはルルーシュに違いなかった。だが、シンクーにも恋を犠牲にしても譲れないものがあった。
「…そんな約束、こっちから願い下げだ」
ルルーシュは、心底馬鹿にした言葉で告げた。
けれどその声が震えていたことに、シンクーもルルーシュ自身も気づいていた。
言葉とは裏腹にルルーシュは益々シンクーに擦り寄って、心音を聞くように胸に耳を押し付けた。
シンクーは、ルルーシュの髪に顔を伏せる。
「………れば…」
苦しげに囁く男が、ルルーシュはいとしかった。
（「この夜が明けなければ」なんて…）
ここを出れば、また二人は世界を相手に知略を尽くして己の譲れないもののために戦う。
けれど、今は二人きりだ。
日が昇るまでは、雨と闇夜がすべてを覆い隠して、世界から二人を隔絶してくれる。
まるで世界に二人きりのような錯覚を与えてくれる。
「今はまだ、闇夜だ…」
顔を上げて告げれば、ハッとしたシンクーと至近距離で視線が合い、その目が優しく細められた。
ルルーシュも無意識のうちに、淡く微笑む。
「…いまの世界には私達だけ…だな」
嬉しそうに告げるシンクーの唇が落ちてくるのを、ルルーシュは瞼を下ろしてただ待った。
TOP
|