「…また共に…」

いつだったか、二人きりで夕日を見つめていたとき、男が呟いた。
誠実で不器用で、優しすぎる男。

「いや、何でもない…忘れてくれ」

わざわざ振り返って言った癖に、すぐに男は視線を空した。
その飲み込んだ言葉を私は知っていた。
男は何度こうして言いたいことを胸にとどめてきたのだろう。
それは男自身のためでもあり、私自身のためでもあった。

「日が落ちるのが早くなったな」

何でもないことを男は口にし直した。今度は私の方を見ずに。
さっきの続きを聞きたいという思いが私を支配していた。
決して男の願いを叶えることができないとわかっているのに、ただ一瞬だけでも男の全てが欲しくて。
声が、でなかった。
いま言葉を紡げば、自分勝手でどうしようもない思いしか溢れないと知っていたから。

「星刻…」

意味のある事など言えるはずもなく、ただ私は名前を呼んだ。
自分は普段通りの声だと思っていたが、後から考えて見ればそれは間違いだったのかもしれない。

「…なんだ?」

だって男は、とても優しい顔で私を振り返ったのだから。
橙に染まる空。
今日最後の陽の光が、男を照らす。
とても優しい色をたたえて男が微笑む。
柔和に滲んだ男の橙色の瞳が、私の胸をどうしようもなく騒がせる。
だから。

「どうした?」

言葉の代わりに、男の胸にすがりついた。
男は黙って私を抱きしめてくれる。
逞しい腕、広い胸、いつでも自分を落ち着かせてくれる自分よりも高い男の熱。
いつもはただ自分に健やかな安堵を与えてくれるものが、今日ばかりは違った。
心がちぎれそうになるほど、私の胸を切なくさせるだけだ。

「ルルーシュ?」

答えない私の名を呼ぶ男。
男の顔を見たかったが、自分の顔を見られたくはなかった。
自分勝手に胸を痛ませ、表情を崩す自分の顔なんて見られたくはなかったから。
けれど、男の表情は声色から容易に想像がついた。
先程と同じような私の気持ちを溢れさせるような、そんな表情をしているのだろう。
男は何も言わずに私の短い髪を梳いた。
なんども、なんども。
いつだった寝物語か何かに、昔は腰にかかるほど髪が長かったと語った私に、男は言った。
『その頃のお前も見てみたかったな』
と。
男は何気なく言っただけだ。
けれど私の記憶の中にはしっかりとそれが焼き付いてしまって。
きっと男は気付いていない。
あの時から私は一度も髪を切っていないことに。
腰までは流石に届かないが、肩につくくらいには伸びた私の髪に。
いつから私はこんなにもこの男を必要とするようになったのだろう。
出会ってからそれほどの時を共に過ごしたわけでもないのに。
いつの間にか、時に私の心全てを支配するほど男の存在に堕ちていた。

「…少しだけこのままで」

やっと言えたのはたったそれだけ。
本当の願いも口に出せず、かと言って何も願わないという無欲ささえ演じきれない。
どこまでも中途半端で救いようが無い。
それでも私にはこの男が必要で、男も私と同じように中途半端な位置でしか私と関われない癖に私を手放せないのだ。
手放せないもので互いの両手がふさがり、抱き合う腕すら無いというのに。

できうることならば、もう少しだけ早く、この男に出会いたかったと思う。
そうしたら少しだけ違う未来が待っていたかもしれない。

「お前はまるで猫のようだな」

私の好きにさせている男は、くすりと笑った。
そんな声にすら、ただ私の心はかき乱されるのだ。
抱きつく腕の力を強くすれば、男はそれ以上の強さで抱返してくれる。

たとえ何時か終わるとわかっていても、その時までは、この男のぬくもりを手放したくはなかった。
その日が一日でも遠くなることを、私は夕日の中で願った。

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