冬の寒さが厳しいことでも名高いブリタニア帝国首都。
この絢爛たる都にも、春の息吹が感じられる日々が巡ってきた。
そんな春の暖かさと共に首都の中心―太陽宮へと舞い戻ってきた者が一人。
先日、弱冠20歳という若さで帝国宰相補佐に抜擢された第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアだ。
僅か14歳でエリア7の副総督に任じられると、その手腕を発揮して瞬く間にエリアを平定し1年後には総督に昇格。
その後、当時は帝国の中で最も荒れていたエリア6に総督として赴任。
他のどんな皇族が赴任しても治められなかったそこを3年で、エリア内でも郡を抜いて優良な属州に仕立て上げた次期皇帝と噂される皇子だ。
現在の皇帝は今だ精力的に活動しているため、近いうちにその座を退くということはないであろう。だが今回の抜擢は、皇子を手元に置き後継のための教育を施すためのもののだろうと殆どのものが受け取った。
貴族の間では、次期皇帝はシュナイゼルに決まったも同然との見方が大勢をしてめいた。
だからこそ彼らは、太陽宮へと帰還したシュナイゼルに少しでも近づこうと、やれ晩餐会だ、舞踏会だとシュナイゼルを招こうとした。
はじめのうちこそしばらく離れていた宮殿の様子を知るために出席していたにシュナイゼルだが、その数の多さに辟易し、最近は皇帝に出仕する以外は離宮にて一人静かに過ごす日々が多くなっている。
典型的な貴族である母親や学友に囲まれて育ったが、シュナイゼルは侍従や侍女に傅かれることも、毎晩繰り広げられる夜会にでることも生来好まなかった。
そのためシュナイゼルは、皇帝から下賜された離宮には必要最低限の、信頼したものしか側に置こうとはしなかった。

シュナイゼルが与えられた離宮は、『サジタリアス』の呼び名が付いた宮だ。シュナイゼルの生まれ月からとって皇帝はこの離宮を与えたようだ。
出仕のない休日を、豊かな緑の庭にて読書を楽しむシュナイゼル。
だがその実、手元の本の内容などシュナイゼルの頭にはほとんど入ってこない。
それは、この離宮が彼の人の離宮とそれほど離れておらず、どうしても彼女のことを考えてしまうからだ。

「マリアンヌ」

声に彼女の名を乗せることすら、随分と久方ぶりのことだ。
エリアにいた当時は、自分を励ますため何度その名を呟いたかしれない。
どんなに才があると言われるシュナイゼルだとて、赴任当初は年齢によって相手にもしてもらえないこともあった。そんな時には、必ず自分がマリアンヌを迎えに行くと、あの時に決意した感情を思い出し自分に発破をかけた。
そうして、積み上げた功績はいつの間にかシュナイゼルを次期皇帝と認めさせるものになっていた。
だが、シュナイゼルが欲しいのは『次期皇帝』の座ではないのだ。あくまでも『皇帝』の座。
エリアに赴任し、表向きはしかっりと政務を執り、裏では反乱への準備を着々と進める。
その二重生活は、非常に疲れるものであったし精神的にも肉体的にも負担になるものだった。シュナイゼルを全面的にバックアップするロイドや親衛隊の面々の力がなければ、やってはいけなかっただろう。
あと5年。
それがシュナイゼルの立てた綿密な計画での、反乱へのカウントダウンだ。
5年もあれば、シュナイゼルの本国での功績も相当なものになり皇帝へ反旗を翻しても貴族の中でも文句を言うものはいまい。もともとシュナイゼルの実母は、大貴族の出身だ。その実母の実家などは、諸手を挙げてシュナイゼルに従うだろう。その時に皇帝側に付くものがいるとしたら、それは自分の異母兄弟とその母たちの実家だ。だが、それはこの5年という年月でどうとでもできる問題だった。
百を超える兄弟姉妹がいても、シュナイゼル以上の才を持った兄弟がいないのだから。
そして、その時にこそ自分は幼いあの日の約束通りにマリアンヌを迎えにいくことができる。

だが。

「お前は受け入れてくれるか?」

あとは時間の問題であり、お膳立てはできている。
だが、肝心のマリアンヌが自分を受け入れてくれるかシュナイゼルは不安だった。
マリアンヌは、皇妃になって半年後に懐妊した。順当にいけば第11皇子か第3皇女になる子供。
母親の身分が元は庶民であるから、皇位継承権は低くなる可能性があるが、確かにその子供は父の子で、自分の兄弟になるのだ。
子供だったシュナイゼルは、その知らせを聞いた時、マリアンヌに裏切られたような気持ちになった。
皇妃になったのだから、後ろ盾が何もないマリアンヌは皇帝の子を持つことでしか自分の身を守れないとは分かっていた。
だが、それでも。
子供の潔癖さで、シュナイゼルはマリアンヌに裏切られたと思ったのだ。
あれから7年の時が流れた今では、彼女がそうしなくてはならなかったのが分かる。
けれど、7年前を最後にシュナイゼルはマリアンヌの姿を見ることも、声を聞くこともしていない。
不安だった。
公式行事に参加すれば、否が応でも顔を合わせるだろう。その時に、もう自分など知らないという顔をされたらどうすればいいか分からなかった。
だから、エリアでの公務を理由に本国での公式行事は全て欠席した。
それでもマリアンヌの噂は耳に入ってくる。
シュナイゼルがエリアに赴任した直後には第3皇女になる子が生まれ、その後第5皇女を彼女が生んだこと。
皇帝からアリエスの離宮を下賜され、そこで今は暮らしていること。
皇帝の渡りはしばらくないが、第3皇女が優秀なためアッシュフォード家は彼女に期待をかけて後見役を買って出ていることなど。
しかし、本国へと帰還してからもシュナイゼルはその皇女たちにもマリアンヌ自身にも会ってはいない。
宮中にいれば、他の皇子や皇女と出くわす機会はいくらでもある。だが、彼女らはほとんどアリエスの離宮より出歩くことはしないようだ。
最後に顔を見たのは、まだマリアンヌが騎士候で、自分も未来を信じられる子供だった頃のことだ。
この数年の間にマリアンヌが変わってしまったとは思いたくはない。
思いたくはないからこそ、今もまだ会えずにいる。

「兄上!!」
「クロヴィス…?」

シュナイゼルが思いを巡らせていると、美しく整えられた庭の垣根の方から異母弟であるクロヴィスの声が聞こえる。だが、その姿は見えない。 代わりに、その垣根が音をたててうごめいている。

「そこにいるのか?」

クロヴィスは、正門からではなく部屋から近い庭園を利用してこの宮殿によく来ている。
常ならば、宮殿の庭へと続いているアーチをくぐって現れるのだが、今日は何故か異なる道を通ってきたようだ。
不思議に思ってシュナイゼルは、庭へと出て行く。

「兄上…」
「どうした?何故そんな場所を通ってきたんだ?」

ようやっと出てきたクロヴィスの手を引いてやると、弟は少し泣きそうな顔をしていた。
今年、14歳になるクロヴィスだが彼の母妃に似ておっとりとしており、実年齢よりも随分幼い言動をする。 だが、そこがクロヴィスの良いところでもある。
どうしてこんな道を通って来たかの聞くと、クロヴィスは涙を忘れハッとしたような顔をし、突然、シュナイゼルの手を引き始めた。

「クロヴィス?」
「兄上、私と一緒にきてください!」

そう言ってクロヴィスは自分が通ってきた道へシュナイゼルを誘う。 だが、クロヴィスが通ってきた垣根は本来道と呼べるものでなく、小柄なクロヴィスだからこそ通ってこれた隙間だった。

「いくらなんでも、ここからは無理だ。お前は私をどこへ連れて行きたいんだ?」

クロヴィスは一瞬動きを止めると、今度はシュナイゼルの手を取ったまま宮殿の庭へと続くアーチとは反対側へと歩き出す。
そこには、随分つかわれなくなって久しい別の離宮へのアーチがかかっている。
クロヴィスは迷うことなくそちらへ歩を進めた。

「いいから、私と一緒に来てください!」

何時になく頑固な弟の様子に、取り合えずシュナイゼルは黙って手を引かれることにした。
クロヴィスは数多いる異母兄弟のなかでも、こうして交流を持つ数少ない弟だ。    
比較的実母同士の仲が良好なため、クロヴィスのことは彼が生まれた頃から知っている。 昔からこの弟は、他の皇族のようにシュナイゼルへ対抗意識を燃やして敵視することなど一度もなかった。    
むしろ自分にはないものを持っているシュナイゼルを非常に慕っており、ことあるごとにシュナイゼルに構ってもらいたがった。    
シュナイゼルが副総督として任命された地へ赴く際、泣いて自分との別れを惜しんだのはこのクロヴィスだけだ。    
その時に涙ながらに自分が描いた絵を渡してくれもした。
そんな優しい心を持っている弟を、シュナイゼルは同母の弟のように可愛がっていた。

「こっちです!」
「クロヴィス、そんなに引っ張るな」

息を弾ませてクロヴィスはアーチをくぐりぬけ、今は使われていない離宮の庭を横切っていく。
シュナイゼルの離宮であるサジタリアスからカプリコーン、アクエリアス、ピスケス… 。
その先にある離宮は、忘れえぬあの人の。

「ここは…」
「ルルーシュ!来たぞ!!」

まさか、という思いでシュナイゼルは息を詰めたが、そんなことはお構いなしにクロヴィスはアリエスの離宮の庭に入って行き声を張り上げた。
アリエスの庭は、一足早く花の季節が訪れたようで、多種多様な花々がその美しさを競っている。
屋敷の中と繋がるテラスには戯れる三人の少女がいた。
クロヴィスの呼びかけに顔を上げたのは、黒髪の大人びた顔をした少女で、他の二人も彼女につらてれこちらを向く。

「クロヴィス兄上…また負けに来たんですか?」
「うるさいな!今回はちがうぞ!」

呆れたように、傍目にもうんざりとした調子でクロヴィスに返すその姿。
背に流れる黒髪、自分がよく見る紫色とは違う輝きの瞳。
それは。

「シュナイゼルにいさま!」

クロヴィスがルルーシュと呼んだ少女の姿に釘付けになっていたシュナイゼルだったが、自分の名を呼びながらこちらに駆けて来た少女の声によって現実に引き戻される。
それは、少し年下の妹が可愛がっている、彼女の実妹。

「ユーフェミア…」
「はい!にいさまもルルーシュとナナリーとあそびにいらしたんですか?」

自分の膝に抱きつくユーフェミアが言うルルーシュとナナリーは、怪訝な顔をして見慣れぬ自分を見ている。 特にルルーシュは、挑むようにこちらを見ている。

「クロヴィス、どうして私を連れてきたんだ?」
「兄上に、チェスでルルーシュと勝負してほしいのです」
「チェスを?」

エリアに赴任するより以前に、シュナイゼルはクロヴィスにチェスを教えたことがあった。
まだ幼かったクロヴィスだが、懸命にチェスを覚えようとして何度も何度も、シュナイゼルの元に来ていた。
もっともエリアから帰ってきた後は、一度も見てやっていないのだが。

「今度はシュナイゼルにいさまがルルーシュと”しょうぶ”なさるのね!」
「今度は他の方に頼んでですか?」
「別にいいじゃないか!僕に『僕にチェスを教えた人の顔がみてみたい』って言ってただろ。なら、僕にチェスを教えてくれた兄上に勝ってみせろ!」
「それはあんまりにもクロヴィス兄上が弱いから、そう言ったんですよ。私なりのフォローです」
「言ったな!」

話の流れから、どうやらクロヴィスはこのルルーシュとチェス勝負で勝ったためしがないようだ。 だからシュナイゼルを連れてきたようだが、どうも今はルルーシュとの口げんかに夢中になってしまっている。 そんなことはいつものことなのか、ユーフェミアとナナリーはからかう様に笑いあって二人を見ている。
完全にクロヴィスは、シュナイゼルのことを忘れている。
そのクロヴィスと口げんかをすすルルーシュという少女。
よくよく思い返してみれば、第三皇女と第五皇女はそれぞれ、ルルーシュとナナリーという名前だった。
そう、間違いなくあの人が産んだ皇女たちだ。

「そんなに言うんだったら、ちゃんと勝ってみせろ!僕に証明してみせろよ!」
「いいですよ!クロヴィス兄上がそんなにおっしゃるんでしたら、ちゃんと証明してあげますよ!!」

途中から二人とも焦点がずれたような言い合いになっていたが、最後はやはりチェス勝負をすることに行き着いたようだ。
だがチェス勝負を負かされたシュナイゼル本人は、どうしたものかと、この状況に苦笑していた。
今までシュナイゼルが彼女に会えなかったのは、彼女が変わってしまったかもしれないという恐怖もあったが、本当はどんな顔をして彼女や彼女の皇女たちと会えばよかったかわからなかったからだ。
だが、どんな偶然からか、そんな心の準備をする前に皇女たちと邂逅を果たした。
それは、偶然か必然か。

「兄上、ルルーシュに勝ってくださいね!」

笑顔で自分に勝負を任せるクロヴィスとすっかり自分とチェスをする気でいるルルーシュ。
そして、チェスと聞いて、ボードと駒を用意するユーフェミアとナナリー。
やはり、これはチェスをしないことには収まらないなのかと、シュナイゼルが思った時だった。

「あら、またチェスをするの?お茶を飲んで少し休憩を挟んだら?お菓子も焼けたのよ」

懐かしい声が、シュナイゼルの耳を打った。
何度、辛い時に彼女の笑顔と語り合った時を思い返しただろう。
何度、彼女のコトを想って夜を過ごしただろう。
昼も夜も、彼女のことだけを想って懸命に過ごした7年間だった。

「お菓子!母上、今日はなんですの?」
「マリアンヌ様、わたくもいただいてかまいませんか?」

お菓子と聞いて、はしゃいだ声をあげたナナリーチェスのセットを放り出して菓子とお茶が用意してあるのだろう室内へと駆けて行く。ユーフェミアはマリアンヌにお伺いを立てながらも、 その実早く中に入りたくてたまらないようだ。

「ええ、もちろん。ユーフェミア様。ルルーシュもクロヴィス様も…」

ユーフェミアはマリアンヌの許可にすぐに駆け出す。そんな姿にマリアンヌは微笑んで、ルルーシュとクロヴィスも促そうとこちらを向いた。
だが言葉は最後まで続かない。


「マリアンヌ様、あのこちらは私の…」

クロヴィスが途中で言葉を止めてしまったマリアンヌに、シュナイゼルを紹介しようとしたが、それをシュナイゼル自身が制する。

「兄上?」

不思議そうな顔をしてクロヴィスがシュナイゼルを見上げるが、シュナイゼルには目の前で息を呑み驚いた顔をしているマリアンヌしか目に入っていなかった。

「マリアンヌ…」

吐息のような声で呼んだマリアンヌの名前は、彼女に届いたのか。
マリアンヌはあの懐かしい日々と変わらぬ声音でシュナイゼルを呼んだ。

「殿下…」

それはやわらかな陽光が差し込む、ある午後のこと。
再会を祝福するかのように春風が吹き、花々が舞い上がった瞬間の出来事。

今、再び二人の運命が交錯する。

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