春の日差しがうららかな今日。
中華連邦の首都では、歴史ある名家の若き当主の婚礼が行われる。
黎家の当主シンクーは、その類稀な頭脳と身体能力で現在は武官として大宦官に出仕している。
それゆえ将来も有望で、様々な思惑のもと数多くの花嫁候補の話がシンクーの元に届けられていた。だが、仕事による多忙を理由に、どんな条件の良い結婚話にもシンクーは首を縦には振らなかった。
実際、数多の危険に晒される大宦官の武官という仕事は、朝も昼もない仕事のため、周囲は誰もが納得していた。
しかし、今から半年前にシンクーは突然自身の婚約を発表した。
なんの噂もなく、ほとんどの者には寝耳に水の話だった。
それは誰もが同じであったようで、唯一、その話を知っていたのはシンクーの直属の上司である大宦官のみであったと言う。
人の噂に戸は立てられぬと言うが、本当に婚礼が発表されるまでシンクーにそのような者がいることなど誰もが聞いたこともなかった。
シンクーによれば、記憶を失った不幸な身の上の女性だということで、二人は互いに求め合って結婚するらしい。
だが、その女性は記憶を失う原因となった事故による傷のためこの半年、自宅で静養していた。
また彼女を大切に思うシンクーの願いで面会なども全て断ったため、誰も彼の妻となる人の姿を見たことはなかった。
それゆえ、シンクーの妻の座を射止めた花嫁は一体どんな人物なのかと、今日の婚礼は多くの者達の注目の的だ。
「とうとう今日か…」
多くの者が注目するシンクーの花嫁は、李家に伝わる真紅の婚礼衣裳を身に纏い控えの間にて、ゆったりと椅子に腰掛けていた。
誰もが羨む花嫁となった彼女の表情は硬く、とてもではないが幸せな結婚を控える女性には見えない。
そして、その唇からもれる声も酷く暗いものだった。
「お前は愚かだと嗤うか?スザク」
しかし、「スザク」と名を口にした時には、その人―ルルーシュの目元は少しだけ緩む。
そう、中華連邦の人々が今一番関心を寄せている黎家の花嫁とはルルーシュのことだった。
白磁の肌も、今は綺麗に結い上げられて金の冠の中に隠れる黒髪も、何も変わらないルルーシュ・ランペルージだ。
「…もう私を見るのも煩わしいか?」
自分がここで呟く言葉などスザクに届かないと知っている。
届いたとしても、彼はもう二度と自分の声など聞こうともしないかもしれない。
だが、それでもルルーシュにとってスザク・クルルギはこうして呼びかけずにはいられないほど大切な存在だった。
例え、彼を恋い慕う気持ちと同じほど憎んでいても。
「奥様…。旦那様が間もなく到着なさいます」
「ああ、わかった」
『奥様』などと自分が呼ばれることがこようとは、ルルーシュは思ってもみなかった。
ブリタニアに復讐を誓ったあの日から、女であることを止めたような自分が誰かと結婚することなど有り得ないと思っていたのだ。
だが、どうだろう。
いま自分は、中華連邦の伝統だという真紅にフェニックスが描かれた婚礼衣装を身に纏い、その披露目のために夫となる人物を待っているのだ。
もし自分が待っている人物が真実恋した彼だったのなら、きっとこの日は人生最良の日になったはずだ。
だが、それは幼い日に見た夢で終わってしまった。
過去がどうであろうと、今ルルーシュの手を取るのは、日溜りの似合う温かいスザクの手ではなく、自分と同じ匂いのする冷たいリ・シンクーの手なのだ。
―一年前の神根島、ルルーシュはスザクによる銃撃で傷を負ったが、ルルーシュの放った一撃もスザクに命中した。
しかし、ルルーシュがその時スザクに向けていた銃には鉛の玉など入ってはいなかった。
ルルーシュの銃に込められていたのは、即効性の麻酔薬。
銃の扱い方に自信があるわけではなかったから、一撃だけでスザクに命中したことがルルーシュには不思議だった。
あの時ばかりは、神が自分に味方したのかもしれないな、と自嘲気味にルルーシュは思う。
元々、薬物の類にほとんど免疫がないと言っていたスザクには、即効性の麻酔はよく効いた。自分で撃ったくせに、腹に風穴が空き大量の血を流すルルーシュを見てひどく狼狽した顔を見せたスザク。だが麻酔の効果に気づくと、悔しそうに顔を歪めて抵抗し、ルルーシュを憎々しげに見つめて意識を失った。
その最後に向けられた表情までも、自分を殺せなかったことを悔やむもので、ルルーシュの胸には静かに絶望が広がった。
だが、それでもスザクを殺せなかったのは自分の弱さのせいだ。
捨てきれない最初で最後の恋だったから。
「ルルーシュ…」
倒れたスザクに背を向け、おぼつかない足取りながらルルーシュはカレンの傍へと歩いていく。
ことの成り行きを呆然と見ていたカレンがルルーシュの名を呼ぶ。
銃を構えることすら出来ず座り込んだままだったカレンは、血が溢れ出す腹部を押さえて立っているルルーシュが近づいてくるのをただ、見ていた。
やっとたどり着いた頃には息も上がっていたが、膝をついてるルーシュはカレンと目線を合わせた。
だが、その瞳に映っている自分への感情がどういうものなのか、ルルーシュにはわからなかった。
それは恨みの色だったのか、ただ純粋な驚きの色だったのか。
多量の出血で意識が朦朧としてきたルルーシュには判別することができなかった。
「カレン…スザクが気づく前に、逃げろ」
「え…?」
ルルーシュは言うが早いが、カレンの鳩尾に拳を叩き込んだ。
自分でもどこにこんな力があったのだろうと、ルルーシュは思うが、混信の力を込めた拳はカレンの意識を奪った。
前にいる自分の方へ倒れこんでくるカレンを受け止めて地面に横たえてやると、ただルルーシュは最後の力を振り絞って立ち上がる。
向かう先は、硬く閉ざされた大扉。
「ナナ、リー」
最後まで捨てることのできなかったスザクには骨の髄まで憎まれ、生きる意味だったナナリーは何者かに攫われて行方知れず。
だが、ナナリーだけは自分の命と引き換えにしても助けたかった。
多くの咎を背負った自分の命が、彼女と対等なんておこがましいと思う。
けれど、自分はこの先、死よりも辛い地獄の炎に何度焼かれようといい。
何度、辛酸を舐めても構わない。
だから、どうか。
どうか、あの子だけは―。
伸ばした手の先が光に包まれるのをルルーシュは見た気がした。
その後、何故かルルーシュはリ・シンクーの手によって助けられた。
どうやら、ルルーシュが見た光はまたもあの島の遺跡が発動したものだったようで、ルルーシュは神根島から中華連邦本土に程近い島に飛ばされていた。
そこへ偶然居合わせたのが、シンクーらしい。
シンクーはルルーシュがゼロだと見抜き、ある計画を持ち出してきた。
互いの利害が一致するが、目的のものが重ならない両者にとって最高の計画だ。
C.C.も黒の騎士団も失い、背水の陣をひくルルーシュにはもう失うものは何もないのだから。
何よりも守りたかった妹は、行方がわからない。
だが、あの遺跡は以前シュナイゼルが調査をしに来ていたこともあり、ブリタニアと無関係とも思えない。
だからナナリーの手がかりは必ずブリタニアが握っているはずなのだ。
三度までも帝国に大切なものを奪わせはしない。
その決意の元、ルルーシュはシンクーと手を組んだ。
そして、今日行われるこの婚礼もその計画の一部。
「準備は…」
「できてるさ」
考え事をしているうちに何時の間にかシンクーが到着していたようで、ノックの音と同時に控え室の扉が開く。
いつもシンクーはそうだった。
ノックの意味がない、ノックをする。
現れたシンクーはやはり、真紅の衣装で、こちらはドラゴンが描かれたものを着ている。
すぐに披露目の席に連れ出されると思っていたルルーシュは立ち上がり、シンクーが部屋に入ってくるのを待った。
だが、シンクーはしばし時を止めたように、扉に手をかけた姿勢のまま動かなかった。
「どうした?」
「いや…なんでもない。」
訝しげに思ったルルーシュはシンクーに尋ねる。
ルルーシュとしては、彼の家の伝統衣装を纏っているのだから、それにおかしなところがあったのかと考えたのだ。
もっとも着付けから化粧まで、全てを黎家に仕えるものたちに任せたので間違いはないと思うが。
だが、ルルーシュに何か落ち度があったわけではないようだ。
そしてシンクーは、ただ手を差し伸べた。
「…お手を。”私の花嫁”」
この手を取り、披露目を行えば全てが動き出す。
その時こそ、自分の復讐の第二幕の開始。
俗に『黒の反乱』と呼ばれる一連の事件で、多くの者を屠り、その屍の上を歩いてきた自分。
そんな自分の再出発を飾る衣装が血の色とはなんともお似合いだとルルーシュは思った。
「ああ…」
ルルーシュは、自嘲を浮かべてシンクーの手を取った。
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