この広い世の中、心の底から分かりあえる人と出会えることは奇跡だ。
枢木スザクは、それを十にも満たない幼少のころから知っていた。

「それで、ブリタニアへ許諾の返事を送ったと言うのですね」
「ああ、準備が済み次第、こちらに降嫁していただくことになる」

この国を預かる地位にいる父、枢木ゲンブ。
多忙ゆえに帰宅することも稀な父だが今宵は何があったのか、夕餉の前に自宅へと戻って来ていた。そして、久方ぶりの親子揃っての食事のあと、書斎にスザクを呼ばわった。
薄々自分にとっていい話ではないとスザクは直感していたが、呼ばれれば行くほかない。
薄暗い我が家の長い長い廊下の先。そこに父の書斎がある。
そこには、先客がいた。
母だった。
スザクは二人の会話に耳をそばだてた。

「…皇族とはいえ異国の者をこの枢木の嫁にするというのですか」
「…決まったことだ」

冷え冷えとした母と父の声。
いつものことだ、とスザクは思ったが、それにしては聞こえてくる単語が不穏だ。
『降嫁』『枢木の嫁』
はっきり言って、あまり考えたくない類の話だ。
思わず眉をしかめた時、母が声を荒げた。
ツンとした言葉で小言を言う母は嫌というほど知っていたが、父の前でこんな風に声を荒げる母をスザクは知らなかった。

「決まったことだなどと!! スザクの妻は、皇家の神楽耶さまと神楽耶さまがお生まれになった時に決まりましたわ! それを今更!」
「仕方がなかろう。六家にはいま現在、スザクのほかに適任者がいないのだ」
「桐原様の後添え、という手だとてあいますわ。政略の婚姻なのですから、年の差くらいあちらだって目をつぶります」
「翠子」
「聞けばその方、ブリタニア皇室でももてあまされているお方とか。厄介払いを押し付けられただけではないですか!」
「決まったことだと言っただろう!!」

母が言い募った言葉に、父の怒声が響いた。
ああ、明日学校から帰ってきたら母さんの愚痴聞かなきゃいけないな、とスザクは憂鬱に思った。
母が可哀想とか、父も言いようがあるのにとか、そういうことは既に諦めていた。
諦観を覚えたのは、いつの頃だっただろうか。

「…失礼しますわっ」

書斎から出てきた母と出くわすことを面倒だと感じたスザクは、すばやく書斎の隣の部屋へと身を滑らせる。
ばたばたと母が廊下を走り去る音が聞こえた。
スザクは重いため息をついた。
両親が言い争っていたことで、父がスザクを呼びつけた理由など既に理解できたからだ。
どうやらスザクはブリタニア帝国のお姫様と結婚しなければならないらしい。
枢木の家に生まれたものとして、普通の結婚など諦めていたので「結婚」云々については今更言うことはない。
ただ、そんなスザクでも結婚相手に驚いた。
母が叫んでいたように、スザクには暗黙の了解―母の様子からすると正式なものだったようだ―として、昔から日本を動かしてきた家の中でも最も高貴な家の一人娘である皇神楽耶という許嫁がいた。
だが、スザクの相手は、その神楽耶からブリタニア皇女と変わったらしい。
恐らくここ半年ほど日本の新聞の紙面をにぎわせていたサクラダイト問題関連のせいだろうとスザクは結論づけた。

「面倒だなぁ」

べつに神楽耶に恋愛感情を持っていたわけではないが、今更結婚相手を変えられるこっちの身にもなってくれよ、とスザクは心底思った。
神楽耶はできた少女だ。
母の言う「枢木の嫁」という点で、その性格や血筋にいたるまで完璧だ。
母だって家庭内での性格はどうかと思うが、外から見れば完璧な「枢木の嫁」である。
夫の仕事で必要になる付き合いや、妻としての役割。後継者を育て、家の中のことを取り仕きる。
そして「本妻」として夫の遊びには目をつぶり、夫の「愛人」さえまとめあげる。
それが、「枢木の嫁」だ。
ブリタニア帝国の皇女殿下だというなら、上に立つ者としての気概はあるだろう。
だが、ここは日本だ。
彼女が生まれ育ったブリタニア帝国ではない。
まして枢木家は、その日本の中でも古式ゆかしく神代にまで遡ろうかという伝統を守り続ける家なのだ。
そんな家の「嫁」を皇女殿下が務められるとはスザクには到底思えなかった。

「はあ…やだなあ」

深く深く、スザクは息を吐いた。
結婚することに否やはないが、神楽耶が相手であった方がどれだけ楽だっただろうか。
面倒だと思いつつ話を聞かなくてはとスザクは部屋を出て、隣の書斎の前に立った。

「…スザクです」

ノックをして名乗れば、「入れ」との父の声。
早く話聞いて寝よう。明日起きてから色々考えよう。
スザクは話を聞く前からそう決めて、面倒事しか運んでこない話を聞くために父の書斎へと足を踏み入れた。




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