「貴方はこれから先ブリタニアの人間ではありません。それを心して行きなさい」

私の言葉にカリーナが忍び笑いを漏らす。
ルルーシュは私が教えた通りの、それはみごとで優雅なお辞儀をしたまま微動だにしなかった。
ただ、ドレスの裾を握った手がかすかに震えているのを私は見逃しはしない。
自分の感情を外には出さない利口な子だが、きっと内心では私のことを罵倒して「そんなことは言われずとも分かっている」くらいは言っているだろう。

「…兄上や姉上もどうぞお元気で」

気丈な声で言ったルルーシュに、私は答えることをしなかった。
ルルーシュが背を向けるより先に、見送りは仕舞と踵を返す。
カリーナが私の後を付いてくる。

「さすがギネヴィア姉さまですわ」

カリーナはまだ笑っている。
馬鹿な子。
お前が異国へ嫁ぐことになったら、私は一言一句ルルーシュに言ったことと同じことを言うのに。
私は何も言わずに先を急ぐ。それすらカリーナは都合のいいように取るとわかっていたけれど。

「レスター侯からいただいた葉を用意して頂戴」
「かしこまりました」

手近な部屋に入り、付かず離れずついてきていた従者に声をかけた。
誰もいない部屋で椅子に腰かければ、それとは知らずに入っていた力が抜けた。
何故、力が入っていたかといえば、それはたぶん。

「やはり姉上にお任せして正解でしたね」

ノックと共に部屋の扉が開かれる。
そこにいるのは100を超す兄弟の中でもとびきり優秀な異母弟、シュナイゼル。
ルルーシュの花嫁修業を私に任せたのも、帝国宰相の地位にあるこの弟だ。
シュナイゼルに直接言ったことはないが、彼より年かさの私とオデュッセウス異母兄は彼が帝位を継ぐことに何ら異存はない。
それほどに幼いころからぬきんでていた弟。

「ルルーシュのあの見事な礼。元々綺麗に礼をする子でしたが、姉上の指導後は全ての挙措が見違えるように優雅になりましたね」
「そうね。そうでなくては困るわ」

確かにシュナイゼルの言うとおり、ルルーシュは以前から綺麗な作法を身に着けてはいた。
だが、それは所詮、「綺麗」というだけのものなのだ。皇族の中でも高い継承権を有する皇子皇女に必須の「優雅さ」はいささか欠けていた。
もちろんルルーシュだって幼いころから行儀作法の授業は受けている。
けれど皇子皇女の「優雅さ」は、授業で身につけるものではない。
母后の過剰な叱咤に彩られる日常生活から身をもって学んでいくのだ。
ブリタニア皇室の中でも行儀作法ならば随一と言われる私は、そうして全てを身につけていった。
ルルーシュの母妃はそんなことを細かく見るような人ではなかった。
それが貴族出身の母を持つ私たちとルルーシュの決定的に違うところだ。

「それに姉上はお優しい。最後までルルーシュのことを案じて」
「わたくしが?」

時に絶対零度と言われる私の低い声音にすら、にっこりとシュナイゼルは笑う。

「『貴方はこれから先ブリタニアの人間ではありません。それを心して行きなさい』。私には、姉上の優しい最後の忠告にしか聞こえませんでした」
「そう。お前がそう言うのならばそうなのかもしれないわね」

別に私は優しさからそう言ったわけではない。
ルルーシュの花嫁教育をした者として当たり前のことを言ったまでだ。

「ルルーシュの降嫁先は日本。国力は我が国に遠く及びませんが、血の系譜という歴史なら彼の国に我が国もかなわない」
「そうね」
「そんなところへルルーシュが、それもブリタニア皇族の中でも庶民を母に持つルルーシュが嫁いだらどうなるでしょうね?」

シュナイゼルの頬笑みは崩れない。
どうなるかなんて一番よく理解しているのはシュナイゼル自身だ。
それを分かっていて彼はルルーシュを日本へ降嫁させたくせに。

「どうなるのでしょうね?」

私は答えをはぐらかす。
そんなことは明白だ。
恐らくルルーシュは孤立する。
政略結婚なのだから夫さえ味方ではない可能性の方が高い。
けれどルルーシュはナナリーの安全と引き換えに降嫁したのだ。彼女から離縁を申し出ることはできない。
ならばどうするか。
ルルーシュは日本で自分に与えられた役割をこなすしかないのだ。
何もしないという手もある。だが、それは契約という名の降嫁に反する。
だからルルーシュは日本の中でも有数の名家である枢木家当主の妻として、日本でブリタニアへの反発を和らげる緩衝材としての役目を果たさねばならない。
その時にルルーシュは、彼女の母妃が避けた、ルルーシュ自身も嫌う、血と生まれを誇りに思う者たちと真正面からぶつかっていかねばならないのだ。
ブリタニア皇女の名でなく、枢木の夫人として彼らと渡り合っていかねばならない。
『貴方はこれから先ブリタニアの人間ではありません。それを心して行きなさい』
言葉の持つ真の意味にルルーシュが気づく日は来るのだろうか。

「答えていただけないんですね、姉上」
「さあ、私には見当もつかないだけよ」

媚びへつらうことと、誰かに好かれたいと願う気持ちは時に表裏一体だと私は思う。
私も昔は自分を取り巻く多くの「媚びへつらう」人間が嫌いだった。
だが考えてみれば私はこのブリタニアの中で限りなく高位にいる人間なのだ。
誰もが私に対してへりくだった態度をとるのは当たり前であると、ある時悟った。
そうして私が彼らをよく見てみれば、出世という欲に目がくらんで真実「媚びへつらう」人間も多かったが、何がいいのか私に純粋なる好意をもって接していた者もいた。
精神的にも大人びているルルーシュだが、まだ17歳。
しかも母妃の事件のこともあってか、全ての皇族や貴族を嫌っている節がある。
そんな子に、それを悟れと言う方が酷なのかもしれない。

「ねえ姉上、ルルーシュは…」
「失礼いたします」

シュナイゼルの声にかぶさって、私の従者が現れた。
鼻先に薫るのは、レスター侯爵が送ってよこした茶葉だ。

「お話のところ申し訳ありません。宰相閣下、マルディーニ補佐官がお探ししておりました」

それを聞くとシュナイゼルはさも残念そうに肩をすくめて立ち上がった。
大人しく引くとは珍しい、と私は訳もなく思った。

「姉上、今度またお伺いたします」

輝くばかりの笑みを残してシュナイゼルは背を向ける。
確かに頭のいい、人あたりのいい、抜きんでたシュナイゼル。
押し付けばかりの父ではなく、人の意見を聞くことを知っているシュナイゼルならば今の肥大するばかりの帝国をどうにかしてくれるかもしれない。
けれど。

「今度はナナリーのところでお茶にしましょう。ルルーシュが私にさえくれぐれも宜しく、と頭を下げていたから」

シュナイゼルの歩みが止まる。
完璧、といわれるシュナイゼル。
でも、彼が不完全な人間であることを私とオデュッセウス兄上は知っていた。
きっと他に気が付いているのは、感受性の強いクロヴィスとシュナイゼルが外にいた時から彼の隣にいるようになったアスプルンドのロイドだけだろう。
ナナリーのところ。
それすなわち、アリエスの離宮。

「そうですね。私もしばらくナナリーの顔を見ていませんから、楽しみです」

振り返ったそこには確かに笑みが浮かんでいる。
私はその笑顔を見て胸の内だけで息をつく。

可哀想な子。

時の流れでも解決できなかった彼の傷跡を、私はその笑顔に見た気がした。


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