悪逆皇帝。
そんな二つ名で呼ばれた人がこの世界からいなくなってから、一週間が経った。
世界はその人の死を歓迎し、新たな世界を切り開いた仮面の男を讃えた。
電波にのって流れてくる映像は、この一週間、数え切れないほど放送されたもの。
悪逆非道の限りを尽くした皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの最後。
ミレイは、キャスターを始めてから一人で暮らすようになったマンションの一室で、その映像を眺めていた。
もう外は昼だけれど、カーテンを開ける気にもなれず、真っ暗な部屋の中で、何度も何度も繰り返し。
本当は見たくなんてない。
でもミレイには見なくてはいけない義務がある気がした。
何度、それを見たのだろうか、ふいに来客を告げるベルが鳴った。
体調が悪いと言って仕事を休んでいたから、同僚が心配してきたのだろうか。
ぼんやりとした頭のまま、ミレイはふらふらと玄関へ向かった。
「やあ…元気そう…でもないね」
「…ロイド伯爵」
けれどドアを開けた先にいたのは、かつての婚約者、ロイド・アスプルンドだった。
そしてその隣には、彼の副官、ではなく、かつて悪逆皇帝の元で指揮官をしていた男がいた。
「…陛下はお望みではないと思うが」
ジェレミア卿、と彼の名を呟いたミレイ。
彼は、にがりきった顔でロイドに言う。
「僕もそう思うけど…でも、これは彼女のたっての願いだったからさあ…」
あの…。
ミレイが訳がわからずロイドへ問うと、彼はそれとわかるほど気の毒そうにミレイを見た。
「あのね、ミレイ嬢。本当は、こんなことしない方が君には幸せだと思うんだけど。でも、君と約束しちゃったから」
約束?
働かない頭でミレイは懸命に彼とした約束を思い出そうとしたけれど、さっぱりそんな記憶はない。
ロイドはミレイの困惑にお構いなしに、隣にいるジェレミアに頷いた。
「君の一番大切なものを、いま思い出させてあげるよ」
遅くなってごめんね。
すまなさそうなロイドの声がミレイには確かに聞き取れた。
代々のブリタニア皇帝が眠る場所に、99代皇帝も眠っている。
紅月カレンは、白いユリの花を持ってそこにやってきた。
本当は隠れるような真似をしたくはないけれど、知られてしまった顔のせいでそうも言ってられず、こっそりと人目を忍んでカレンはここに来た。
あの人が死んで、今日でちょうど一か月。
カレンは明日、日本に帰る。
きちんと主権を回復した日本に、日本人としてカレンは帰るのだ。
もちろん嬉しい。
長い長い戦いの末に、やっと取り戻した『日本人』という自分。
嬉しくないわけがない。
けれど戦いの中で、そして、それ以外でカレンが失ったものはあまりにもたくさんあった。
今から向かう墓の主も、そう。
たくさん、たくさん。
優しい嘘をついて、そのままいってしまった。
けれどその真実を知る者はごくわずかで、今でもあの人は冷酷非道の誹りを受ける。
本当はそんな人じゃないの!あの人は、ただ、ただ!!
泣きわめいて訴えたい。
そう思ったことは一度や二度じゃない。
でもそんなことをしてしまえば、あの人がせっかく築いた世界の礎が崩壊してしまう。
だからカレンは、きりきりと痛む心を胸の奥底にしまいこんで何でもないように振舞う。
いまも痛む心を振り切るように、カレンは落としていた視線を上げる。
そこには真っ白な、真新しい皇帝稜が目前に迫っているはずだから。
「―――会長?」
けれどカレンの目に映ったのは、あの人の墓だけではなかった。
真っ黒の喪服を身にまとった、ミレイ・アッシュフォードがそこにいた。
黒いレースがかかった帽子を被っているから見事な金髪は隠れていたけれど、それは確かにアッシュフォード学園の前生徒会長だった。
「久しぶり、ね。カレン」
カレンの声が聞こえたのか、彼女がゆっくりとこちらを振り返った。
カレンがミレイと顔を合わせるのは実に二年ぶりだ。
いつでも溌剌としていたミレイには似つかわしくなく、どこか疲れた雰囲気を纏っている。
それは学園を卒業して働き始めたからなのか、それとも目の前の墓の主のためか。
「会長…」
「もう、会長じゃないの。私、こないだ学園を卒業したから。現会長は…」
職務放棄もいいところだわっ!
目の前の墓に視線をやって、ミレイは言った。
その声が少しだけ掠れていた。
「馬鹿よ…貴方、本当に鈍感で嘘つきで…貴方ったら本当に」
優しすぎるんだから。
ミレイはぴんと背筋をそらしたまま、顔をゆがめた。
続いた言葉は、カレンが何度となくあの人を心の中で詰った時に使うものと一緒だった。
カレンにはミレイへかける言葉がみつからなかった。
あの人とミレイの関係を正確に聞いたことはなかった。
けれど、全てを知った今なら容易に想像が付く。
かつては伯爵の地位にあり、あの人の母妃であるマリアンヌ皇妃の後ろだてだったアッシュフォード家。
その家の令嬢とその后の子。
生まれた時から、とはいかなくても、ほんの幼いときからの付き合いだったに違いない。
考えてみればミレイとあの人の間には、どこか不思議な空気があったとカレンは今更ながらに思い出した。
今は確かその記憶を改ざんされていると緑の髪の魔女に聞いたけれど、あの人がミレイの幼馴染で学園の後輩だったことには変わりがないのだ。
「ねえ、カレン…。あの人は、最後、どんな顔をしていたかしら」
ミレイはカレンに視線をやらないまま問いかけた。
その声は、何の含みもなかった。
けれどカレンはすぐに答えることができなかった。
純粋に、ただ疑問にを口にしただけだとわかっているけれど、あの人があんな最後を迎えることに一端を担ってしまったものとして、最後のことをどう表現していいのかわからなかったからだ。
カレンの沈黙をどうとったのか。
ミレイは次の言葉を口にした。
「…きっと、安らかな顔だったんでしょうね。できることを全部やって、最後は最愛のナナちゃんに看取られたんですもの」
「…え?」
カレンは思わず声をあげた。
だって、ミレイが口にだしたのは今のミレイが決して知りえない呼び方のはずだったのだから。
呆然としてミレイを見つめるカレンに、彼女はゆっくりと視線を向けて悲しそうに笑った。
「思いだしたわ。全部」
「思いだしたって、それ…」
言葉を失うカレンにミレイは、ただ微笑むだけだ。
「あの人ねぇ、最後まで私のことは蚊帳の外だった」
噛みしめて一言ひとこと言うミレイに、カレンはいったい何が言えただろうか。
「それがあの人の最大限の優しさだってわかってるわ。あの人なりの愛情の示し方だってわかってるの」
でもね。
その時、ふわりと風がミレイの表情を覆っていたレースを持ち上げた。
太陽の陽にきらりと光るものがミレイの頬にあった。
「わたし、あの人の傍にいたかったのよ。どれだけ無力だって、傍にいるくらいしたかったの。それがどんなに茨の道だってよかったの」
だって。
「だって、あの人…ルルーシュ様は私の生涯でたった一人の主だったんだもの」
カレンは何も言えない。
ただ、黙ってミレイの話を聞いている。
ミレイはごめんなさいね、と言って手にしていたハンカチで少し目元をぬぐった。
「…最後、あの人、満足しきったように微笑んでました」
そう、思ったとおりね。
静かに、でも、カレンの記憶の通りの清々しい澄んだ声でミレイは答えた。
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