「…ーシュ?ルルーシュ?…ルール!」
何度目かの呼び声が耳に入り、ルルーシュはハッとして自分の傍らを見た。
「スザ、ク…?」
そこには、心配そうに自分を見つめるスザクの姿があった。
緑色をした彼の瞳は、真摯な光を内包してルルーシュを見つめていた。
「ボーっとしてどうしたの? もしかして夏バテ?ここのところ異常に暑かったし…」
そう言ってスザクは手をのばして、ルルーシュの頬にやさしく触れた。
あれこれとルルーシュのことを気遣うスザクに、ルルーシュは自分の目を疑った。
自分を皇帝に売り渡して地位を得た憎むべき男。
主であるユーフェミアを殺したゼロである自分を心底憎んでいる男。
もし彼がこんな気遣いを見せるなら演技であるはずなのに、スザクの表情には微塵もそんなことは感じられない。
だが、そこで奇妙な違和感がルルーシュを襲った。
「ルルーシュ…本当にどうかした?」
「いや…なんでもない…すこし、眠たかっただけだ。…おかえり、スザク」
「ただいま、ルルーシュ」
にっこりと、まるで子供のように微笑むスザク。
その笑顔を見たルルーシュは、ああ、そうだ、と心から安堵した。何を思って、自分がスザクを憎んで、彼もまた自分を憎んでいるだなんて考えてしまったのだろう。
だんだんと意識がハッキリとしてきたルルーシュは、恐ろしい白昼夢を見てしまったと結論付けた。
そうだ。
どうして、そんな恐ろしい夢を見てしまったのだろう。
カナカナと鳴くひぐらしの声が、物悲しい気持ちを倍増させてそんな夢を見せたのか。
「その浴衣、よく似合ってる。こないだ言ってた麻地のでしょ?」
「ああ。もう少しすると本格的に忙しくなるから、早めに仕立てを頼んでおいて正解だった」
玄関からここへ直接来たのだろう。スーツの上着を脱いただけのスザクは、ネクタイの襟元を緩めながら縁側に座るルルーシュの横に腰をおろす。
ルルーシュは手に持っていた団扇で、そよそよと風を送った。
「忙しいのか?」
「んー…まあ今度、宰相閣下がじきじきに訪日されるから、その準備で色々ね」
「兄上がいらっしゃるのか…」
「まだマスコミには伏せられてるけど…でも君にはいいニュースでもあると思うよ」
スザクの言葉にルルーシュは「いいニュース?」と小首を傾げた。
ルルーシュが結婚してから、ブリタニアからの知らせでいいものはナナリーからの連絡や便り以外ない。あとは、不穏な知らせだけだ。
約十年前、サクラダイトの利権問題などで揉めていた神聖ブリタニア帝国と日本は、時代錯誤も甚だしいが、両者の友好の証として互いの国の人間を結婚させることにした。
いわゆる政略結婚である。
その時に両国の代表―犠牲として選ばれたのが、日本国首相の令息、枢木スザクとブリタニア皇帝の第三皇女、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだった。
婚姻は、ルルーシュが日本へと降嫁する形で成立した。
当初は互いに打ち解けることはできないと頑なに思っていたが、共に時間を過ごすうちに段々とその仲を深めていった。
今では政略で結婚したと思えないほど仲睦まじく、”枢木のおしどり若夫婦”と呼ばれている。
「あのね、宰相閣下と少しだけお話できたんだけど…今度、日本にいらっしゃる時はナナリー殿下も連れてくるって」
ナナリー。
それは、ルルーシュにとってとても大切な妹。
ルルーシュがブリタニアを出る際のたった一つの心配事だった。
自分の降嫁とともにナナリーの身の安全はシュナイゼルによって保障されたが、果たしてナナリーがあの陰湿な宮殿で心穏やかに過ごせるのかがルルーシュ気がかりだった。
時折入る連絡からは十分元気にしている姿が見れたが、降嫁してより、一、二年に一度程度しか顔を合わせることができなくなった。そのためルルーシュにとって直にナナリーに会える機会は非常に貴重なものだった。
「ほ、本当か…?」
思わず、ルルーシュの声は震えてしまっていた。
それほどルルーシュにとってこの知らせは嬉しいものだった。
スザクは、そんなルルーシュに慈愛を込めた微笑みを向けた。
「うん、本当。シュナイゼル殿下は、ちゃんと約束してくださったよ」
「そうか…兄上が」
「うん…それにしても…やっぱり、相変わらずちょっと妬けちゃうな君のシスコンぶりは」
スザクは微笑みを苦笑に変えて、隣に座るルルーシュを腕の中に囲った。
日が落ちたとはいえ、そこそこ気温がある今、人の体温は殊更熱く感じる。
だがそれを鬱陶しいと、ルルーシュは思わなかった。暑いことは暑いのだが、スザクの腕の中にいることは殊のほかルルーシュに安心感を与える。
「馬鹿…お前とナナリーを比べることなんてできないって前も言っただろう」
「うーん。わかってるんだけどねぇ…あの子たちが産まれた時もちょっと思ったことだけどね」
「お前…実の子供に嫉妬してどうするんだ」
心底呆れたルルーシュだが、ちょうどその時、縁側が面した庭の奥からどたばたと件の子どもたちが走ってきた。
「とーさん! おかえりっ!!」
「とーさま、おかえりなさい…」
今年で五歳になる青龍と紫陽だ。
人一倍元気が有り余っている青龍が紫陽を引っ張ってきたようだ。
二人ともルルーシュと同じように浴衣を着ている。青と赤の三尺が金魚の尾のように揺れて目を楽しませる。
「ただいま。今日も、いい子にしてた?」
スザクは縁側から庭に降りると、彼の腰ほどまでしかない二人の頭に手をやった。
二人はくすぐったそうな顔をして、満面の笑顔を見せた。
「きょうはね、とうどうさんにけんどうをみてもらった!」
「藤堂さん来てたんだ? 青龍は本当に稽古熱心だな。紫陽は?」
「…かーさまとおどりのれんしゅう。おばあさまにみてもらうひだったの」
「そっかぁ。母さん、紫陽は筋がいいって喜んでたから気合はいってるんだよね…ルルーシュも付き合わせてごめんね」
「いいや」とルルーシュが答えると、青龍と紫陽は今日一日の出来事を詳細にスザクへ語る。
懸命に語る姿は、とても愛らしい。
政略で結婚したが、今では心から信頼できる頼もしい伴侶がいて。
彼との間に生まれた愛すべき子供たちがいる。
何気ない日常の中で、穏やかな幸福に包まれて過ごすそんな毎日。
「幸せな」現実に、花のようにルルーシュは笑った。
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