「芦花? 芦花?…ルルーシュ?」

何度目かの呼び声が耳に入り、ルルーシュはハッとして自分の傍らを見た。

「天子、…?」

小さな声で呟いたため目の前の彼女には聞こえなかったのだろう。
記憶の中よりも大人びた姿をした天子は、ようやく自分の方を見たルルーシュに安心したように笑ったが、すぐに視線をおとしてしまう。

「やっぱり、こんな朝早くに呼んでしまって迷惑をかけてしまいましたね」

天子は沈んだ顔をして、ルルーシュに告げた。
その横顔を見つめながら、ルルーシュの頭はようやくはっきりとしてきた。
そうだ、ここは朱禁城がほこる中華庭園の東屋。
久方振りに天子がルルーシュに会いたいと文を送ってきたことから、ルルーシュは朝から朱禁城へと足を運んでいた。

「な、何をおっしゃいますか、天子さま! この時間に屋敷にいてもやることなんて何もないのですから」

天子にはそう言ったが、実は仕事は山のようにある。
黎家の当主夫人として、また宰相の地位にいる星刻の妻として国内貴族たち、中華連邦の社交界を取り仕切らなければならないのだから。
ノーブルオブリゲーションの精神を実践するためには 、やはり先導する者が必要で、大宦官たちが一掃されてから政務に追われる天子に代わりルルーシュがその役を担っていた。
ブリタニアと中華連邦の不可侵条約の証として黎星刻と政略結婚をしたブリタニア第三皇女ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
結婚当初はルルーシュへの風当たりも強かったが、星刻との仲むつまじさが明らかになると誰もが自然とルルーシュへと親しみを感じるようになった。
黎星刻。
それが、ルルーシュの夫の名。

「でも本当に、大丈夫でしたか? 芦花には私ができないたくさんの仕事をさせてしまっているでしょう?」
「いいえ大丈夫ですよ、天子さま。むしろ仕事がない方が退屈で死んでしまいそうですから」

ルルーシュはにっこりと微笑みながら言った。
天子も出会った頃の傀儡のような天子ではなく、至らないところもあるが立派な君主として連邦を治めている。
だが、いまでもルルーシュのことを字の『芦花』と呼んでいる。 『芦花』は幼かった天子がルルーシュの名をきちんと発音することができなかった為に、呼びやすいように中華風の名を字としてつけたものだ。
最初は冗談ではないと思っていたルルーシュだったが、妹のように自分を慕う天子の姿を見ているうちにそんな嫌悪感は消えてしまっていた。
ルルーシュの言葉にようやく安心したのだろう。天子は安堵の表情を浮かべて、卓に用意された花茶が入れられた茶器を手に取った。

「そういえば…夫と暁が、軍での朝稽古の帰りに立ち寄らせていただくと話をしていたような…」
「暁も来るのですか?」

今では同年代の友人も多数いる天子だったが、黎家の者たちのことは家族のように考えており、特にここ数年の天子のお気に入りは弟のように可愛がっている暁だった。
パッと表情を輝かせてはしゃいだ天子の様子に、ルルーシュはくすりと笑った。

「ええ、あの子も久しぶりに天子さまにお目通りが叶うと昨日から喜んでおりましたよ」

と、その時。
噂をすればなんとやら。「天子さま」と女官が、星刻と暁の到着を告げた。
天子はすぐに東屋へ来る許可を与え、花茶をもう2つ用意させよと女官につげた。

「失礼いたします、天子様。ご機嫌いかがでしょうか?」
「星刻!」
「お久しぶりです、天子様!」
「暁!!」

女官が下がって間もなく、場所を心得ている星刻と暁が連れ立って現れ、跪いた二人は揃って天子に挨拶をした。
一目で親子と分かるよく似た二人。
異なる造作は、暁が母から受け継いだ片目の紫水晶だけだ。

「二人とも稽古の後で疲れているでしょう? 何か食事を用意させましょうか?」

優しい言葉が星刻と暁にかけられるが、それをぴしゃりとはねつけたのは他でもない、ルルーシュだった。

「まあ、そんな必要はありませんよ。この二人ったら、稽古の前にまるで夕食のような量を平らげているんですから。これ以上は食べすぎです」
「母上!」

恥ずかしそうに頬を真っ赤にした暁。
巷では、完璧な黎家の後継者として名を馳せる暁も母親の前では形無しだ。
ルルーシュは、息子の反応に気をよくしてころころと笑い声を上げた。

「それくらいにしておけ、ルルーシュ。暁が哀れになってくる」

いつもの妻の遊びに、立ち上がった星刻は座したままのルルーシュの肩に手をやって自分へと引き寄せた。
素直に星刻へともたれかかったルルーシュは、ちらりと上目で夫を見やる。

「獅子は子を千尋の谷に突き落とすではないか。これは私の愛ゆえの言葉だ。食べ過ぎて病などになったらどうする」
「言葉は真摯でも顔が笑っているぞ、ルルーシュ」

隠し切れない笑みが浮かんだその表情に、星刻は呆れたように溜め息をついた。
暁はもういつものことと諦めているのか、ガクリと肩を落とすだけだ、

「相変わらずですね、芦花と暁は。でも暁、本当に病には気をつけくださいね。暁がいなくなってしまうのなんて、私、絶対に嫌ですからね」
「天子さま…」

天子は一連のやりとりを見て、おかしそうに声を立てて笑ったが暁に釘をさすことを忘れなかった。天子の言葉に「御意」と生真面目に答える暁。
そんな二人のやりとりを、寄り添い合った黎夫妻は幸せそうな視線で見つめた。

傍らにある温もりに、ルルーシュは安堵した。
ああ、先ほどまで見ていた現実は夢だったのだと。
そろそろと腕を伸ばせば、その手をしっかりと握ってくれる人がいる。
握られた手に励まされるように視線を上げれば優しく微笑む星刻。
たわいのない話をしながら笑いあう、自分を慕う天子と息子の暁。

「幸せな」現実に、花のようにルルーシュは笑った。



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