朱禁城迎賓館。
中華連邦では、翌日に迫った歴史的な成婚を前に盛大な祝賀会が開かれていた。
白々しいが和やかに進んでいた祝賀会は、一人の男の登場によって緊迫したものになった。
もちろん、その男とは仮面の反逆者ゼロだ。
ざわめく招待客。
ラウンズメンバーたちはすかさず、シュナイゼルとオデッュセウスを背に庇う。
大宦官の一人が進み出て兵士に彼らをゼロ一行を捕らえよと命じた。
彼らにすれば、鴨が葱を背負ってやってきた、という心境だろう。
命を受けた兵士達は日本皇族の生き残りである神楽耶と騎士団員のカレンをゼロともども男を取り押さえようとした。だが、ちょうどその時。
「大司馬・黎星刻殿、ご到着!」
声高く告げられた名と共に、星刻が入り口の階段を駆け上がってきた。
祝いの席ということで中華連邦伝統の華やかな衣装に身を包んだ星刻は、珍しく愛刀も腰に下げていなかった。
「天子様の御前で一体何を騒いでいる!」
「星刻!!」
星刻の登場に天子は強張っていた顔をほころばせた。
その姿に星刻は一瞬柔らかな微笑みを見せたが、すぐに厳しい表情を作る。
一等兵でしかない兵士達はその気迫にたじろいで、槍を下ろす。
大宦官がわめいて彼らを叱り付けるが、私利私欲を貪る連邦の害虫のような宦官よりも、日頃から底辺の兵士を慮ってくれる星刻の命に従った。
憎々しげに大宦官が星刻を睨みつけるが、星刻はその視線を黙殺した。
「神楽耶殿、これはどういうことですか?」
「あら。私は、自らの夫と定めた方をお連れしただけですわ」
神楽耶は当然だ、という顔で笑う。そのきっぱりとした言いようと気概に、さしもの星刻も口を閉ざす。
そこにシュナイゼルが近づき、ラウンズであるスザクがゼロとシュナイゼルの間に立ちふさがった。
(ルルーシュ。君がゼロなら、シュナイゼル殿下を傷つけようとするだろう…)
その思いの元、スザクはゼロに対して目を眇める。
ルルーシュは、一年前の神根島の一件より行方が分からなくなっていた。
スザクの意識を麻酔によって奪ったルルーシュは、水溜りのような血痕を残して姿を消した。その後、ようとして行方が知れない。
先日、復活したゼロがルルーシュである可能性は高いと考えてられていたが確かな証拠はなかった。
だが、スザクは最近のゼロの行動に少し違和感を感じていた。
百万人をゼロにして中華連邦へと国外追放と言う名の逃亡をさせるなど、相変わらず奇抜な策でブリタニアを翻弄するゼロだったが、スザクはしっくりこない。
ゼロのパフォーマンスが以前よりも、機械的なのだ。上手くいえないが、スザクにはそう感じられた。
だから眼前にゼロがいる今、その仮面の下を見透かすように強く見つめる。
シュナイゼルもまた、しばし同じようにゼロを見つめた。
ふと、スザクは自分に向けられる殺意のようなものを感じて、その視線のもとを辿った。
(大司馬、黎星刻…?)
最初は、この場を乱したゼロに対するものだと感じたが、どう辿ってみてもその視線はスザクのみに向けられていた。
スザクは理由が分からず困惑する。
シュナイゼルが一歩前に進み出て、口を開く。
「やめませんか、諍いは。本日は祝いの席でしょう。しかし皇さん、明日の婚姻の儀にはゼロの同伴はご遠慮くださいますか?」
「それは…いたし方ありませんわね」
ここで事を構える気は元からなかったからだろうか、神楽耶は素直にシュナイゼルの申し出を受けた。
シュナイゼルの仲裁に「宰相閣下がそう仰るなら…」と大宦官も引き下がる。
その騒ぎが収まったからだろう。黙ったまま星刻はふいとスザクから視線を外して入ってきた階段に足を向けた。
結局、自分に向けられていた視線の意味は分からないままで、スザクは思わず、その姿を追った。
だが、「久しぶりですわね、柩木さん」との懐かしい声音に注意を引き戻された。
「一体何があったんだ?天子さまは…」
階段を下りてきた星刻は、やっと祝賀会会場の入り口に到着した夫人を迎えに来ていた。彼女は入り口近くに設置されていた長椅子に腰掛けていた。
迎賓館に続く門に車で到着した星刻は、物騒な客を従えた天子の友人、皇神楽耶が館に向かったと守衛から耳打ちされた。そのため館へ到着すると、玄関に夫人を残して一人会場へと急いだ。
ゼロが天子を傷つけるはずはないと思っているが、ブリタニア側がゼロや神楽耶に対してどうでるかが気がかりだったからだ。
それゆえ天子の無事を確認した星刻は踵を返して、すぐさま夫人を迎えに来たのだ。
「天子様の身に何かあったわけではない。ただ、人を騒がせる客人が来ていただけだ」
「そうか…よかった…」
星刻の答えに、夫人は深く息を吐いて胸をなでおろした。
その姿を眺めながら、星刻は暗澹とした複雑な思いに駆られた。
当初、星刻はこの場に夫人を連れ来る気はなかった。
特に結婚してからも細心の注意を払って避けてきたブリタニアの皇族や貴族が出席する会など言語道断のはずだった。
だが、半年ほど前に女官として傍近くで仕えた夫人を殊の外気にいっている天子と、天子の身を心配する夫人自身の願いによって、星刻はその考えを変えざるを得なかった。
夫人が三ヶ月ほど前から体調を崩して出仕を控えていることも大きく影響した。一度この目で天子の元気な姿を見させて欲しいと涙ながらに愛妻から訴えられたことが堪えた。
けれど既に星刻は後悔していた。
出来ることならば、このまま自分達の屋敷にとってかえしたい。
「本当に大丈夫なのか?」
星刻は夫人に今日、何度目になるかわからない質問をした。
「また、それか…私は病人ではないのだぞ?」
少し沈んだ調子の星刻の声に、夫人は呆れたような、でも照れを隠した微笑を見せた。
そんな微笑を見てしまうと、やはり階段を上って行くことを躊躇してしまう。
「知ってるさ。それくらい」
星刻は、誰もが見惚れるような微笑を浮かべた。
だが、心の中はその笑顔とはほど遠い。
もう、自分と妻に残された時間は少ないと分かっている。
もしかしたら、今宵、妻が会場に姿を現すことで全てのことが前倒しになる可能性も出てくる。
そうしてしまえば、直ぐに彼女は自分の腕の中をすり抜けていってしまうだろう。
「さあ、天子さまがお待ちだ…参ろうか、芦花(ルーホア)」
葛藤を押し隠して、星刻は笑う。
星刻が差し出した手に、嬉しそうに夫人が手を重ねて腰を上げた。
何の憂いも無い微笑を向ける紫の瞳がいとしさに滲んだのを、星刻は生涯忘れないと思った。
「黎夫人、芦花さまご到着!」
星刻が去った会場では、ゼロがシュナイゼルに挑発的な言葉を送った以外、滞りなくすすんでいた。
ゼロはカレンと共に壁の花を決め込み、神楽耶は天子と談笑している。スザクは表情のこわばりがとれない天子に、腐敗政治の結果を見てひどく胸がむかついた。
黎夫人の到着が知らされたのは、入り口から離れてゼロの動きが見れる場所にいた、ちょうどそんな時だった。
「あら、黎大司馬はご結婚されていたのね。ロイドさん、先を越されてますよ」
「僕はいいんだよ〜もうすぐ結婚するんだから。そういうセシルくんこそ、予定すら…いえ何でもないです」
ロイドは身の危険を感じてみなまで言わずに口を閉じた。いつもと変わらない二人のやりとりに、思わずスザクの口からは苦笑が漏れた。ゼロの登場でぴりぴりしていたスザクの精神もようやく元に戻ってきていた。
その安堵からか、スザクは少しだけ会場の空気の変化に気づくのが遅れた。
『まあ、とうとうお連れになりましたのね…』
『すこしふっくらなさって益々お美しくなられた』
『再三の出仕要請があったにも関わらず、星刻様がお許しにならなかったとか…ご寵愛は益々深くなったようですわ』
『久々にお会いすると、改めてハッとさせられる美しさですなあ』
『あの堂々とした姿…失礼ですが、先ほどの小さなブリタニアの方とは大違いですわね』
そこここで中華連邦側の貴族たちがさざめく。
けれど、ブリタニア側の貴族達は驚きに目を見張り、言葉をなくしていた。
(なんだ?)
さすがにおかしいと感じたスザクは、人の間を縫ってさざめきの元である夫妻を一目見ようとした。
しかしスザクが中央を進む二人の様子を見る直前、黎夫人であろう淡い水色の衣装を身に纏った女性に主賓席の方から駆けてきた小さな影が勢いよく飛びついた。
「芦花!!」
「天子さま!」
黎夫人は走り寄ってきた天子を、膝を突いてしっかりと抱きしめた。
二人の声は喜色に満ちていたが、天子の肩口に顔をうずめた黎夫人の嬉しそうな表情は見えなかった。
天子をにまわされた黎夫人の腕は衣装の上からでもそれと分かるほど細く、すんなりとした指が優しく天子を抱きしめていた。
その姿は、年の離れた姉妹の再会にも、母子の再会にも見えた。
「芦花、体は大丈夫ですか?病気はもう良いのですか?」
少しばかり上ずった声で、天子が黎夫人に話しかける。
その様子は、先ほどまで主賓席で震えていた姿とは異なり、年相応の無邪気な少女だった。
「まあ、天子さま。夫は、私が病だと告げていたのですか?」
ころころと、鈴が転がるように笑った黎夫人は、温かく、でもしっかりと目線を合わせるため面を上げた。
金の簪で上部だけをまとめて、残りを背に流した癖のない黒髪。
透けるほどに白い、きめ細かな肌。
そして、綺麗な綺麗な、紫色の瞳。
スザクの目に映った黎夫人は、まごうことなくルルーシュの顔をしていた。
驚愕の余り目を見開いたスザクだったが、すぐにルルーシュを捕らえようと体が動いた。
だが。
「では、芦花は病ではないのですか?」
「病などではありません。体調が優れなかったのは事実ですが、それはこの子のせいですよ」
「この子、ですか?」
スザクの体は硬直した。
その細い体に不似合いな大きな腹。
一年前、学園にいた時も、ナナリー以外で見せることはしなかった慈愛に満ちた表情。
柔らかな仕草で腹を撫でる細い手。
「ええ、この子」
黎夫人が視線を腹にやると、天子もつられて夫人の大きな腹を見た。
スザクは動けなかった。
目の前にいるのは確かにルルーシュだ。
けれど、悪夢のようにしか思えないほど、その姿は美しく、清冽だった。
とてもではないが、ブラックリベリオンを起こした犯罪者には見えない。
そこでスザクはハッとして、今まで自分が監視していたゼロとカレンに視線を戻した。二人はどんな動揺も見せず、変わらずそこにいた。
スザクの頭は「やっぱり」と「何故」という確信と疑問が交互にやってきてぐちゃぐちゃだった。
「芦花のお腹には、子がいるのですか?」
「ええ、あと三月もすればここから出てきます。まったく、それを病だなんて…」
呆れを含んでちらりと黎夫人が夫である星刻を見ると、彼はばつが悪そうな顔をして腰と手を支えて妻を立ち上がらせた。
「あれも病のうちではないか。一時は、本当に命さえ危ないと言われたんだ」
「命!? 芦花は死んでしまうのですか?」
星刻の言葉を聞いた天子が泣きそうに瞳を歪めた。そんな天子の反応に、星刻は慌てて言葉をとりつくろうとしたが、彼の妻の方が早かった。
「そのような…天子さま、夫の言うことなんて信じないで下さいませ。この方は、ものごとを大げさに言うきらいがあるのです。
今は、お医者さまにも大丈夫だといわれています。天子さまがご心配することなんて何一つもありませんからね」
安心させるためか、腹に手をやりながらもまたも腰を折って天子と視線を合わせようとする黎夫人。
「よかった…芦花が死んでしまうなんて、絶対に嫌です。星刻も私も、とても悲しいです」
他ならぬ夫人自身の言葉だからだろうか、天子は安心した、今宵の祝賀会で一番の微笑みをみせて言った。
「天子さま、私はどこにも行きませんよ。ずっと、ずっと、夫と共に天子さまのお傍にいますから」
三人をとても穏かな空気が包むと黎夫人は、小指を差し出して花のように笑った。
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