「ゼロは私たちの妹です」
シュナイゼルの発言に凍りついた黒の騎士団幹部たち。
切れ者と名高い帝国の宰相が提示する数々の証拠に、彼らはその言葉を信じるほかなかった。
だが。
「…宰相閣下がおっしゃることはわかりました。ですが、やはり最後の決断はゼロと会ってから下したいと思います」
『日本人虐殺』がゼロ―ルルーシュの手に依るものだったと分かった藤堂や千葉、そして扇たち日本人メンバーは今すぐにシュナイゼルの条件を飲むことも辞さないほど頭に血が上っていた。
そんな中、冷静な判断を下したのは、ブリタニア人であるディートハルトだった。
「しかし!」
「いいですか、扇さん。確かに、ゼロの仮面の下は悪魔なのかもしれません。ですが、彼、いえ彼女はブリタニアの支配から逃れたいと願う人々の希望なのです。
そう易々と宰相閣下の言葉に従って、彼女を売り渡すのはいかがなものかと思います。あなた方『日本人』には、あの虐殺を指示したのが彼女だったことだけでも十分な裏切り行為だったことはわかります。
しかし、彼女はその手で兄君を殺している。彼女が非情なのは、日本人に対してだけではありません。その辺りの真意をゼロに問いただしてからでも、宰相閣下に返答するのは遅くはないと思いますが
」
ディートハルトの流れるような説得に、異を唱えようとした扇や藤堂は黙るしかなかった。
それもそのはず。
現在、黒の騎士団―ゼロに救済を求めているのは日本人だけではないのだ。そのゼロを日本人の都合だけで帝国に売り渡すのは、のちに他国との軋轢を生む要因にしかならない。
日本人虐殺を命令したゼロは憎い。だが、今後のことを考えた時に、目先の感情だけに囚われるのは得策ではない。
「お待ちいただけますね、宰相閣下」
少しも躊躇う素振りすらなく、シュナイゼルは嫣然と微笑んでその言葉を受け取った。
「姉さん!!」
「うるさいっ!! どうしてお前がいるんだ! どうしてナナリーじゃない!どうして!!」
「待って、姉さん!だから、ナナリーは」
黒の騎士団幹部たちは、ディートハルトの言葉に従い、その真意を訪ねるべく斑鳩内のゼロの私室に向かっていた。
途中から会談には参加しなかったラクシャ―タも一向に加わり、みな無言でゼロの私室近くまでやってきていた。そして聞こえてきたのは、怒鳴り声とか細い涙声だった。
「黙れ! お前に何がわかる!! 」
ひときわ高い、罵声が響く。
先頭に立っていた扇と藤堂、そしてディートハルトがその様子を物陰から窺う。
そこには、ゼロの衣装を纏った長い黒髪の女と最近ゼロのそば近くに侍るようになったロロがいた。
ゼロの抜けるように白い、アラバスターの肌は確かに日本人ではない、ブリタニア人のものだった。
その美貌は、確かにブリタニア皇族に連なる者であることを示すように気高い品に満ちている。だが、いまその美貌は夜叉のように歪んでいた。
「ねえ、さん…」
「ナナリーを…ナナリーを探しに行かなくては…、泣いてるだろうあの子を…、」
ロロはゼロの罵声に、逃げ出すようにこちらに走ってきた。だが、十字に交差した物陰にいた扇たちに気づくことなくゼロが進む方向とは逆に走り去った。
ゼロは、ふらふらと危なげな足取りで歩き始める。
その先にあるのは、外の景色を一望できるデッキだ。
「これは、いったい…」
「とりあえず、ゼロの後を追いましょう」
事態が飲みめない一同は困惑するばかりだったが、ディートハルトの提案に従い、ゼロの後を追った。
「………」
ゼロはデッキの手すりに体を預けて微動だにせず、ただ地上を見つめている。
背を向けられているため、陰から除き見ている一同にはゼロの表情は見えない。
「これじゃあ、一向に埒があかないじゃないか」
「それもそうですが…」
ただ身を潜めてゼロの後をつけてきた一同は、今だに彼女に問いをすることはできなかった。埒が明かないといった扇さえ、口ではそう言っても中々行動に移すことはできなかった。
それは、今まで頼もしく思っていたゼロの後ろ姿がとても小さく、絶望を背負っているように見えたからだった。
小声でそんなことを囁き合っていた一同だが、
「誰だ?」
という、ゼロの声に動きを止めた。
これは出ていかなくてはならないだろうと一同が思ったとき、コツコツと靴音を響かせて彼らの横を通り過ぎる姿があった。
大柄な、金髪の男。
主を殺した帝国に復讐すべく騎士団と協力態勢をとった男だった。
彼は、ディートハルトたちに嘲るような微笑みを向けてデッキへと出ていき、さっと膝を折った。
「帰還が遅れ、申し訳ありませんでした」
帝国を裏切った、元ナイトオブラウンズ、ナンバースリー、ジノ・ヴァインベルグは、それが当然であるかのようにゼロに頭を下げた。
そこで、藤堂は少し違和感を覚えた。
藤堂は、個人的な意見として、武士のように一本気にたった一人の主に尽くすジノには好感を持っていた。
今まで少なからず接してきたジノの性格から、彼が「帝国に殺された」という主以外に膝を折るとは考えにくい。
その時、藤堂の胸には「まさか」という思いが生まれた。
「ジノ、か…」
「は」
「…ナナリーはどうした?」
ゼロの言葉に、ジノは押し黙った。
ジノは主を悲しませるような報告をしたくはなかった。だが、偽りの言葉で主を傷つけることの方が嫌だった。
ギュッと拳を握ったジノは、己の無力をかみしめながら口を開いた。
「…ジェレミア殿が捜索を続けていますが、未だ…」
「…そうか」
答える声には覇気がない。
その姿は、9年前のあの日を彷彿とさせた。あの頃とは違い、確かな力を手に入れたジノだが、またもジノは主の大切なものを守れなかった。
「でん、」
「なあジノ…お前は“土蔵”を知っているか?」
己の不甲斐なさを謝罪しようとした口を開いたジノだが、おもむろに主から問いを投げかけられ言葉は遮られた。
「ド、ゾウ? にございますか?…不勉強で申し訳ありません…。私の知識が及ぶところでは…」
「なに、知らぬとしても恥じることはない。私だとて、初めて実物を見せらるまでそんなもの知らなかったのだから」
ブリタニア人であるジノは知らなかったが、話を陰からうかがっていた日本人である扇や藤堂はゼロが言った“土蔵”に覚えがった。
ただ、その単語が何故こんな会話に唐突に出てくるのか分からずに困惑した。
「…土蔵というのはな、いうなれば物置さ。日本の伝統的な建築材料である漆喰や土壁で作られた、ひどく大きな物置。
…私たち姉妹が日本に送られ、枢木ゲンブから与えられた“部屋”が、その土蔵だった」
「なっ…!!」
ジノは驚きの声を上げ、垂れていた頭を上げ、主の背中を凝視した。
9年前、彼女は表向きとはいえ『友好』のために日本へ送られたのだ。それを、当時の日本政府、いや枢木首相はなんたる仕打ちをしたのだろうか。
ディートハルトは驚くことさえなかったが、他の幹部たちは驚きに声を失い、ゼロの後ろ姿を見つめた。ラクシャ―タはおもしろそうに、声もなく笑った。
「これからここに住めと案内された私も、始めは声がでなかった。だがな、ナナリーが聞くんだ。『どんなお部屋ですか? 私とお姉さまの新しいお家は』とな」
「殿下…」
ジノが主を呼ぶ声は、吐息に混ぜたようにか細いものだった。主がジノに日本送致時代のことを語るのはこれが初めてのことだった。
どれほど辛い目にあってきたのだろうかと、いつもその過去を案じていたジノだが、それは想像よりも遥かに常軌を逸したものだった。
「本当のことが言えるか? 言えはしまい。だから私は必死になって嘘をついた。『素敵なところだよ。雪のように真っ白な壁と花をあしらった飾窓があって…』と」
自嘲するかのような笑いがゼロの口元から漏れた。ジノは主にかける言葉が出ない。
「…思えば、あれが初めてナナリーについた嘘だった」
主従の間には沈黙が落ちた。だがそれは、その様子をうかがう人々の間でも同じことだった。
「あれから、私はナナリーに嘘を付き続けた…。日本人には何一つ危害は加えられていないという嘘を、兄上たちが私たちを探してくれているという嘘を、危ないことなど何一つしていないという嘘を…ナナリーを失ったのは、その嘘の代償なのか…?」
「ルルーシュ様!」
ぽつりと懺悔のように言葉を紡ぐ主の姿があまりに辛くて、ジノは、その大きな体で彼女を抱きしめた。
力の限り、まるで今にも儚く消えてしまいそうな彼女をこの世に繋ぎとめておきたくて、やわらかな肢体を腕に囲う。
「…殺してやりたい。貴方をそんな目に合わせた枢木ゲンブも、ブリタニア皇帝も、見て見ぬふりをした宰相閣下や皇族方も!!」
「…ジノ」
「貴方がそんな目に合っていると知らずに、皇族方の命に従っていた自分自身すら殺してしまいたい…!」
「ジノ…」
ジノは猛獣が威嚇をするかのように喉を鳴らしてうめいた。
彼の主は、ただジノの名前を呼び。優しく、己を抱く腕にその手を重ねた。
「…ジノ。もう、今更だ…。たとえ、あの方たちを殺してもナナリーは帰ってこない…すべてが手遅れなんだ」
「ルルーシュ様」
「なあ、私はどうしたらあの子を失わないでいられたのだろうな…」
ジノは主のひときわ寂しげな問いかけに答えることができなかた。
「もう、何も言わないで…殿下」
ただ、絶望だけが零れる唇を奪うことしかできなかった。
何度となく重ねた唇だったはずなのに、その口付けは初めて涙の味がした。
「どういうことだ…?」
「…あの裏切りの騎士が言っていた『帝国に殺された皇女』がゼロ…で間違いない、ようだな」
絶望に打ちひしがれたゼロの姿に、騎士団幹部たちは何も言えなかった。デッキの出入り口から、シュナイゼルと会談が持たれた会議室とは別の部屋にやってきた彼らは動揺していた。
だが、その中でディートハルトだけが、満足そうに笑っていた。
「お前はすべて知っていたんだな」
一人、何か考え事をしていたのか目をつぶり腕を組んで微動だにしなかった藤堂がおもむろに口を開く。
そうして、幹部たちの目は一斉にディートハルトに向けられる。
「すべて、といいますと?」
「とぼけるな! ゼロの正体、いや、ゼロの正体である皇女のことだ! 私たちには何が何だか話がわからない。だが、彼女がこの日本に因縁をもっていることや、総督と関係があることはわかる。
だから、おまえが知っていることをすべて話してもらおうか。ゼロの話の点を繋げるために」
「では、シュナイゼルとの取引に応じること、考え直してくれますね?」
ディートハルトは、幹部一同を見渡す。
皆がふい、とその視線を外す中、藤堂だけが「…話によってだ」と返した。
「それでは、お話しましょう。その美貌と戦績により“閃光”と謳われた皇妃から産まれし、黒の皇女のお話を…」
道化師のようにディートハルトは、物語を語り始めた。
TOP
|