『星刻は働き過ぎです。芦花や暁(シャオ)のところへ帰ってあげてください』

随分と主君らしさが身についてきた天子様から、勅命を持って命じられたのは、つい先ほどのこと。
大宦官を一掃してからようやく落ち着いてきた政だが、それでもやらなければならないことは山積みで、悠長にしていられる時は全くなかった。
ここ一年半ほどで休みを取ったのは、妻であるルルーシュの出産時くらいではないだろうか。
妻や息子が待つ屋敷に帰り、家族でゆっくりと過ごしたいのも山々だ。
しかし、恐れ多くも宰相という地位を任せられているのだ。ルルーシュや、特に息子の暁には、申し訳ないことをしているという自覚はあるが、仕事を二の次にすることはできない。
幸いにして、妻のルルーシュも政治に明るいため、「仕方がない」と理解を示してくれている。
もちろん、その言葉に甘えている自覚はある。しかし、自分の家族が未来を生きる国だからこそ、いまこの時にしっかりとした国づくりをしておきたいのだ。
だが、その国の長である天子様に命じられてしまえば、その命に従わざるを得ない。
そうして、香凛や洪古、他の部下たちに笑われながら、私は日の高いうちに屋敷へと戻ることになった。

「旦那様!?」

常ではあり得ない時間に帰宅したことに、屋敷の使用人たちはみな一様に驚いていた。
自分でも、穏やかな午後の光に照らされる我が家を見るのは久方ぶりで、なんだか笑ってしまった。
笑い交じりにルルーシュの所在を聞けば、最近、芝を敷いた庭に赤子と共にいると言う。
ルルーシュが好んでいると聞いて、定期的に天子様が贈ってくださるようになった直轄領の茉莉花茶を手渡して、茶の準備をしてくるように言いつける。
こんな時間に帰って来た私にルルーシュはどんな反応を示すだろうか?
心踊る想像に笑いをこぼして目当ての庭へと足を進める。

「暁、暁。ほら、こっちだ」

庭を臨む外廊下に出ると聞こえてきたのは、ルルーシュの声と、恐らくその声に答えているつもりだろう我が息子、暁の声だった。
室内と一続きのように誂えられた芝の庭。
裾が汚れることも気にせず、ルルーシュはその芝の上に膝をつき両腕を開いて、おぼつかない足取りで歩く暁を待っている。
赤子の成長というのは目を見張るものがある。
ついこの間まで、ゆりかごで寝ていたような気がする暁は、母を求めてよたよたと柔らかな緑の絨毯の上を歩いていた。
体も、ずいぶんと大きくなったような気がする。
いつも帰宅する時刻は真夜中で、暁の寝ている姿しか見ていなかったのだから、そう感じるのは当たり前なのかもしれない。

「もう少し、もう少し」

暁の歩みを見守るルルーシュの顔には、まばゆいばかりの笑みが浮かんでいる。
作り物めいた、氷のような美貌を持つルルーシュ。無表情のままでいても、誰もが目を見張る美しさだ。
だが、その表情が感情に合わせて変化する時。
ルルーシュの美しさというのは、万人を魅了するものになることを知っている。
見慣れたと思っていたはずの妻の笑顔に、私は見とれしまう。
しばし呆けていたのだが「よしっ! よくやった!!」と胸に暁を抱き締めてはしゃぐルルーシュの声に現実に引き戻される。
どうやら暁は無事にルルーシュの元まで歩いて行けたようだ。
ルルーシュは盛大に暁の頭を撫でて、頬に口付けまでしている。
「お前が子煩悩なタイプだとは思わなかった」と時に私をからかうルルーシュだが、私にはそう言うルルーシュこそ子煩悩だと思える。
一般的に、感情表現が派手だと言われるブリタニア人であるルルーシュにとっては、普通のことなのかもしれないが。
柔らかな日の差す庭で笑いながら暁と遊ぶルルーシュ。
そして、それをひどく幸せな気持ちで見つめる自分自身。
ルルーシュと出会った当時は、まさかこんな穏やかな未来が待っているなんて想像することもできなかった。




結婚が決まった当初、将来、決起が成功した後は、ルルーシュを帝国へと戻そうと私は思っていた。
私との結婚事体が、帝国が我が国へと介入する手段にしようとしていることが明白だったからだ。
だから、帝国に有利になるようなことを画策しているかもしれないルルーシュにも、婚儀の日から警戒し通しだった。

『どこぞの女を抱いたその手で、おざなりに抱かれるのだけは我慢ならない!』

だが、そう言って私を罵ったルルーシュの言葉に冷水を浴びせかけられた。
時に『男娼』と嘲笑われていた当時の私。その状況を『愛人』がいると思われて心が冷えたからというだけではない。
小刻みに震えているくせに、誇り高く宣言する姿が、ひどく私の心を揺さぶったのだ。
思い返せば、その時に既に私の心はルルーシュに囚われていた。
結局、逃げるように湯を浴びた私は、ルルーシュを抱きはしたが、その後、彼女と平常心で接することができなくなった。
私に『愛人』がいると思い込んでいるルルーシュと会えば、嫌でも『男娼』そのままの自分を思い出す上、誇り高くいようとするルルーシュと自分の身を比べ、情けなくなってしまうからだ。
ほとんど会話もなく、体を合わせているだけの夫婦。
それが私たちだった。
だが、そんな関係が変わり始めた。
天子様のことで言い争いをしたり、ルルーシュの帝国での生い立ちや境遇を知り、そして、貧しい民に対する心持ちを知ったからだ。
硬質の美貌に覆われた柔らかな心を垣間見るようにもなったからだったのかも知れない。
そうして、当然のように私はルルーシュを手放すことなどできなくなっていた。
既に私の気持ちは固まっていたのだが、国の今後を考えた時にちらつくブリタニア皇女という肩書がまだ私を迷わせていた。
だが、決定的だったのは、彼女が私の子を身ごもったことだ。

『もちろん。お前の子、無事に産んでみせる』

ルルーシュのその言葉で、私は決起を絶対に成功させ、二人でいる未来を切り開くことを誓った。
ブリタニアでは夫婦は揃いの指輪を身につけると知り、決意と共に対の指輪を購入したのも、その直後だった。
決起が成功した時には、改めて私から気持を伝え、夫婦らしく二人でいたいと思ったからだ。
結局、思わぬ形での終幕となったが、決起は無事に成功し、国から大宦官の勢力を一網打尽にすることができた。
それにもルルーシュは大いに協力してくれ、ブリタニアの皇女ということなどは瑣末な問題になった。
決起成功の宴が行われた夜、私はルルーシュに改めて求婚した。
今後の贈り物は別として、ほとんど何も贈らなかった私が贈った白い衣装をまとったルルーシュ。ブリタニアでは婚儀に白いドレスを着ることが習わしと聞きかじり、私が贈ったものだ。
そんなルルーシュに跪いて愛を乞うた。ひどく緊張したのをよく覚えている。
だが、ルルーシュはしばらく何も言わず、突然、涙をこぼした。
いったい、何が彼女を泣かせるのか分からなくて心臓が嫌な音をたてていた。

『嬉しさで涙が出るなんて……知らなかった』

けれど、ルルーシュの口から零れたのはそんな言葉で。
泣きながら笑うルルーシュ。
その笑顔を、生涯忘れることはないだろう。

『いく久しく…』

そう続けられた言葉と共に、ルルーシュは私との未来を誓ってくれた。




「こら、暁。引っ張るんじゃない」

しばし、ルルーシュとのなれそめに思いを馳せていた私は、ようやくルルーシュのその声で、現実に引き戻された。
見れば、ルルーシュが抱きあげた暁に髪を引っ張られていた。
相変わらずルルーシュは、星刻に気づきもしない。目の前の暁のことしか目に入っていないようだ。
相手が我が息子ながら、少し妬けてしまう。
と、その暁と視線が交わった。

「まー」
「ん? どうし…星刻!?」

すると暁は、私のほうを指さして言葉のような声をあげた。そして、ルルーシュはようやく私に気がついたようだった。
案の定、驚きに目を見開いている。

「どうして、こんな…」
「天子様に帰された。働き過ぎだと言われたのだ」

訳を話しながらルルーシュの傍に行く。
ルルーシュは理由を聞いて得心がいっただろう、くすりと笑みを漏らすとからかう様な笑みを浮かべた。

「そうだろうな。ここ一年ほど働き通しで、己の子供ともろくに顔を合わせられないんだから」

なぁ、暁? と抱きあげた息子に聞くルルーシュ。
それが真実であるため、私には一分も言い訳することができず苦い笑いを浮かべることしかできない。
そして、先ほどからじっと私を見つめたままだった暁の視線に気がついた。

「薄情な父だなぁ。な、暁?」

からかい交じりに言うルルーシュに、暁は反応しない。

「暁、どうした?」
「暁?」

ルルーシュと私がそうやって暁の名を呼ぶと、暁はようやく首を傾げてルルーシュの方を見た。

「ほら、父様だぞ」

ルルーシュは優しく暁を腕でゆすって私をさすが、暁は相変わらず首をかしげたままだ。
少し嫌な予感がした。

「ルルーシュ、暁をこちらに」

私はそう言ってルルーシュに腕を差し出した。ルルーシュは、何も言わずに暁を私の腕に預けようとした。
だが。

「シャ、暁!?」

私が胸に抱く前に、暁は火がついたように泣き出してしまったのだ。
ほとんど赤子をあやしたことのない私は、どうしたらいいのか分からず慌てた。ルルーシュは、そんな私を尻目に、自分の胸に暁を抱きなおすと、手慣れた仕草で暁をあやす。

「まさか、とは思うが……もしかしなくても」

ルルーシュは暁をあやしながら、にやにやと笑って私を見ている。
その次に続く言葉はだいたい予想できる。

「父親として覚えられていないのではないか?」

なんとなく予想はついたが、やはりそうなのかと思うと、何やら己が情けなくて、自分でもそれとわかるほど顔がこわばってしまう。
そんな私の表情が面白かったのか、ルルーシュはますます笑みを深くしている。

「笑いごとではない……」

深くため息をついて、手直にあった長椅子に腰を下ろす。家にいない私に非があるのだが、なんだかやりきれない。ルルーシュが暁を抱いたまま、私の隣にぴたりと座った。

「なら、これからは少しでも昼間に帰ってくる努力をしてくれ」

頭を抱えている私の肩に、ルルーシュが体重をかけてくる。

「……そうしてくれると、私も……嬉しいからな」

甘えるように、小さな声でルルーシュが付け足す。思わず、私は横を向いてルルーシュを凝視してしまう。ルルーシュは、表情を隠すためか顔を私の腕に伏せていたが、絹のような黒髪から覗く白い耳朶が真っ赤だ。
少しでも離れることが嫌で、私はルルーシュを寄りかからせたまま、その頬をなぜた。すると、ルルーシュが顔をあげてくれ、まるで猫のごとく気持ちよさそうに目を閉じる。
私は、ルルーシュのこんな顔がとても好きだ。
その誇り高い精神のように凛としている姿も好きだが、私にだからこそ見せてくれる蕩けた表情がことのほか、私には愛しい。

「我が妻の望みならば、喜んで」

私の言葉に、ルルーシュが微笑む。くすぐったそうに笑う姿は、常のルルーシュしか知らない者たちには信じられないだろう。

「私だけではなく、暁のためにも、だからな」
「もちろん。わかってるさ」

そう言うルルーシュの胸に抱かれる暁へと視線をやれば、泣いて疲れたのかいつの間にか寝息を立てていた。
健やかに眠る暁。ルルーシュも暁の方へと柔らかな視線を向けた。
やはり理解のあり過ぎる妻の言葉に甘え過ぎていたようで、ルルーシュと暁には寂しい思いをさせてしまっていたようだ。
国の基礎を作ることも大切だが、家族の基礎を疎かにしては本末転倒というものか。

「よく寝ているな」
「子供のうちは寝るのが仕事のようなものだからな」

子供らしい丸い頬をつつくと、暁が身をよじって嫌々と、むずがった。その姿が可愛らしくて、私は思わず笑ってしまう。

「こら、起きてしまうぞ」

くすくすと笑うルルーシュと、私の再び視線が絡まる。 
そして、二人引き寄せられるように唇を近付ける。
ただ、唇をあわせるだけのものだったが、ひどく満ち足りた安らぎを与える口づけだ。触れて、離れた後に交わった視線は互いにとても甘いものだった。
ルルーシュと出会えたこと、彼女が同じ気持ちを私に持ってくれたことを天に感謝したいと思った。


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