背に流れるゆたかな黒髪に、騎士特有の厳しさを称えた紫電の瞳。
まず最初に、皇族とは異なる輝きを持つその紫の瞳に心奪われた。
ロイドと共に物見遊山で行ったアッシュフォードのKMFのテスト搭乗。
科学を志す者としてKMFという人型機動兵器に心奪われているロイドにとってはこの上ない楽しみであろうが、私にはつまらないものでしかない。
そう感じながらも、そこへ出向いたのは今思えば運命というものであったのだろうか。


ブリタニア帝国第98代皇帝の第2皇子としての生。
母は帝国の中でも皇家に引けをとらぬ名家の出。
貴族の大部分は、この2つの理由で私の「幸せ」を疑うことはなかった。
幼い頃の私が「幸せ」だったたのか、私自身は覚えてはいない。
だが、物心つく頃には全てが退屈で、世界は悪意に満ち溢れているということを知っていた。

自らを過信するわけではないが、客観的に見て私は出来がよかった。
もちろん相応の努力はしてきたが、成果は努力異常のものがついてくることが多かった上、周囲の反応はそれ以上のものだった。
その頃は後に100を超える兄弟達もそれほど多くおらず、身近な比較対象が第一皇子だけだったということも関係しているだろう。
だからこそ10を越える頃にはすでに、私は退屈していた。
そこで退屈しのぎにもなるかと、用意された学友がいる宮殿ではなく、身分を隠し外の士官学校へと無理に入学もしてみた。
皇族の名を使わず母后の遠縁にあたり、さほど勢力のない貴族の名で通す。
そうすることで何かが変わるかと考えたのだが、結局は何も変わらなかった。
ただ思い知らされたのは、自分の価値がいかに「皇帝の第二皇子」ということに重きを置かれているのかということだ。
何のことはない、士官学校の縮図の中で権勢を振るわない家名を持つ私は最下位に位置づけられていたのだ。
しかし、何処にでも変わり者はいるようで、その縮図の中でも高位に入るアプスルント家の嫡子と行動を共にするようになった。
ロイドは当時からKMFの開発に非常に興味を持っており、その講釈に何度つき合わされたか分からない。
そして、やはり件のアッシュフォード家の研究所に赴いた際もその講釈の帰り道だったのだ。

アッシュフォードの研究所にロイドは何度も出入りしているようで、すんなりと今から搭乗テストが始まるという場に案内された。
そこには、騎士の軍服に身を包んだ者達が数名いた。
おそらく今日のテストパイロットを務める者たちなのだろう。
常の私であれば、その者たちを一瞥しただけで興味をなくしたであろう。
しかし、その中で私の目をひきつけて離さない存在があった。
すらりとした背に、美しい黒髪を流した女騎士。
彼女の姿が美しいことも私の目を離さなかった要因ではあるが、何よりも私を惹きつけて止まなかったのは、彼女がこちらに向けたその瞳だった。
私とロイドの気配に気づいたのか、背を向けていた彼女がこちらに視線を流した刹那。
私は、皇族の者に特に現れる紫の瞳とは異なる輝きに心奪われていた。
彼女程度の美貌は、美姫が集う後宮の中にいくらでもいる。
しかし、彼女が纏う生き生きとしたオーラが、彼女をどんな美姫よりも美しく見せていた。
彼女と目が合ったのはほんの一瞬だったが、彼女は目を見開くとしばし固まり、小さな微笑を見せてこちらに向かって膝を突いた。
その微笑みも、私が見た誰のどんな表情よりも印象深いもので。
同僚の騎士たちは彼女の行動に驚いたようだが、ロイドの存在に気づくと慌てたように彼女に倣ってロイドに対して礼をとった。
ロイドは建国以来の名家であるアスプルントの嫡子として顔が知られているから、同僚の騎士たちは彼に対して礼をとったのであろう。
だが、私は確かに感じていた。
彼女が膝をついたのは、私に対してだったと。
彼女に名すら名乗っていない、子供と言っても差し支えのない歳の私に対してだったと。

それから私は、よく彼女―マリアンヌの元へと通うようになった。
彼女は平民の出ではあるが、身体能力に優れ特にKMFのパイロットとしての資質を十二分に兼ね備えていたため騎士侯に叙された非常に優秀な人物であった。
始めは特別な理由など考えずに、ふらりと足が向かうまま彼女の元へ向かっていた。
当初は困ったような顔を見せることもあったマリアンヌだったが、そのうちに私が行くことにも慣れたようでいつも笑って出迎えてくれた。
そのうち、私は己の本当の出自を彼女に言うことが恐くなった。
それは初めての感情だった。
それまで私は誰がどんな態度で私に接しようと、私はそれをあるがまま受け入れるだけで、誰かに好意的に思われたいなどと考えたこともなかったのだ。
だから、そのことに気がついたときに私は彼女に恋をしたのだと気がついた。

私は彼女に真実を告げた。
私が皇族の一員で第二皇子であると。
しかし、彼女は一瞬呆けたような顔をした後
「ええと…殿下は今までご自分の出自を隠してらしたんですか?」
と言った。
その言葉は私にとって驚くべきものだった。彼女の話をよく聞けば、彼女は私がロイドと同格またはそれ以上の貴族又は皇族であると思っていたようだ。
家名で気づきそうなものだが、マリアンヌは貴族社会に興味がないようでよっぽどの大貴族でない限り名を知らなかったらしい。
そして何より、彼女は私のことを仕えるべき主人であると一目で見初めたというのだ。
私がそのことに呆然としていると、鮮やかな微笑を浮かべ彼女はこう言った。

「…あなたのような方が只人でないことは一目でわかるものですよ」

いや、マリアンヌ。
この短いながらの人生において、私を私自身だけでそう評価したのはお前とロイドだけだ。

こうして、私のマリアンヌへの恋慕の情はますます深くなった。

全てを打ち明けた私は、ますます頻繁にマリアンヌの元へと通うようになった。
だが、彼女も仕事がある。
だからもっぱら彼女の姿を眺めている時間が多かったように思う。
しかし休憩時間や思いがけず時間が空いた時は、私との話にその時間を使ってくれた。
話す内容は他愛のない。
私が興味を持つ世界中に点在する遺跡の話や、彼女自身の話に平民の暮らしぶり。
マリアンヌにすれば、皇族の私が彼女の話を聞きたがるのか不思議であったのだろう。
ある時、マリアンヌは私に言った。

「大変失礼だとは、思いますが…変わってらっしゃいますね。 」

それはマリアンヌの本音なのだろう。
しかし、私は彼女にこのように思われても、どうしても彼女のことをより深く知りたかったのだ。

「貴方のことならどんなことでも知りたいよ。貴方は私よりずっと大人で…」

マリアンヌと私の間にはどうしても埋めることの出来ない年齢という壁がある。
あと数年もすればその年齢差もさほどの問題もないことなのだが、その頃の私は早く彼女に追いつきたくて仕方がなくて、自分の知らない彼女のことを多く知りたかったのだ。
だから、あの言葉もするりと口から出てきてしまった。

「ねえ、マリアンヌ。私はまだ、本当に子供だし、何の力も持たない只の皇子だけど…いつか君を一番傍に…私の一番傍に…皇妃に迎えてもいいだろうか?」

本当はもっと力をつけてから、彼女に相応しいと自分自身で認められた時に最高のシチュエーションを演出して物語のように告げるはずだった。
言ってしまってから、少し後悔したが、そんな後悔はすぐに吹き飛んだ。
突然、目の前のマリアンヌが涙をこぼした。
その零れ落ちた結晶に固まってしまった私に、マリアンヌは必死に私に笑いながら

「ほんっ、とうに…物好きなお方ですこと…」

と言ってくれた。
慰め方もよくわからない私は彼女を抱きしめて、ありがとうと言い続けることしかできなかった。
だが、その時が生涯で最も幸せな瞬間だった。
そう、生涯で最も愛おしい、大切な時だった。


それから私は宮殿外の士官学校を卒業して、宮殿で披露目の儀を行った。
そのことで多忙であったため中々マリアンヌの元へ向かえなかったが、彼女を迎えるに支障のない力を手に入れるためと心を決めて自分を納得させた。
だが、そんな私の元に絶望に私を突き落とす触れ書きが回ってきた。
今度、皇帝が騎士侯ではあるが平民の女を、二つ名を”閃光のマリアンヌ”と呼ばれる騎士侯を皇妃に迎えると。
その触れを見たのは深夜だったが、私は部屋を出て必死に走った。
幼い時分より優雅に、皇族らしく振舞うことを躾けられてきた私が、これほど取り乱した行動をとったのは過去に2回。
その1回目がこの時だった。
目指したのは兵舎の彼女の部屋。
どうか、彼女が部屋にいるようにと願って。

「マリアンヌ!マリアンヌ!空けてくれよ、マリアンヌ!」

人に見咎められることを考えて、声を落として呼びかける。
私の声に反応するかのように、中で物音がした。

「なあ、嘘だろう?父上の…皇妃になるなんて嘘だろう?」

本当は、触れが回ってきた時から、どうやってもこの事態を変えることのできないものだとわかっていた。
帝国のすべてを握る皇帝直筆の署名が入った正式な触れ書き。
誰にも覆すことの出来ぬ決定事項。

「ねえ、嘘だろう?だって、貴方は…!」

だが、それでも私は彼女に嘘だと言ってほしかったのだ。
無理だと分かっていながら、約束どおり私の妃になると言って欲しかったのだ。

「私の一番側に…私の妃になってくれると!」

いや、嘘とわかる言葉ではなくとも、何かしら彼女の言葉が欲しかったのだ。
何でもいい。
皇妃になってくれと願いだけは口にしても、皇帝に意見する力もない私を罵る言葉でも。
お前にはどうすることもないことだという泣き言でも。
何でもよかったのだ。

「答えてくれ、マリアンヌ!」

お前は決して、私に言葉を返すことはなかった。


そしていつのまにか、私の傍にはロイドが立っていた。

「殿下ぁ…とりあえずお部屋に帰りましょうよ」

相変わらず軽薄な言葉使いだが、それが反対に私を安堵させた。
ロイドに引きずられるように部屋へ帰る途中、ロイドは小さな声で私に言った。

「殿下ぁ。皇帝陛下の命を変えることができるのは”皇帝”だけですよぉ」


私はそれまで、正直言えばあまり皇位に興味がなかった。
だが、その考えはこの夜に変わった。
ロイドの言うように皇帝の命令を変えることができるのはただ皇帝のみ。
しかし皇帝は命を出した皇帝である必要はない。
ならば。

マリアンヌ。
お前はきっと、こんなやり方を望んではいないだろう。
だが、私はどうしてもお前を諦めることはできない。
マリアンヌ、お前をもう一度私の傍に迎えられるなら、私はどんな罪でも犯す。
だから、どうかマリアンヌ。
どうかそれまで、私を忘れないでおくれ。


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