こんなふうに一心に祈ったのは何年ぶりだろうか。
ステンドグラスを照らす陽の光は最後に祈ったあの時と寸分の違いもなく。
変わらないものが確かにここにあるのに、わたしは確かに変わる現実を受け入れなければならない。
その足音はすぐそこに。

「…来たか」

蝶番の音がなった。
あいつが立てた計画は嫌みなくらい完璧だった。
事前に伝えられていた時間に少しの遅れもなく、扉は開かれた。
振り返った先に、男はいた。
男は別れた時とは異なる姿で、予想にたがわない姿になったあいつを抱いて。

「………」

男はあいつを抱えて無言で私の元に歩み寄ってくる。
赤く染まった白い服。だらりとたらされた腕。
もう数え切れないほど先にゆく人々を見送ってきた。
人に生き死に動かす心などとうの昔になくなったと思っていたけれど、あいつのその姿を見ると言い知れぬ想いがこみ上げてきた。

「…人の気も知らないで…いい気なものだ」

穏やかに、微笑んですらいるあいつの顔に思わず悪態をつく。
けれど、もうあの憎たらしいほどこぎみよい反論はかえってこないのだ。
この先、二度と。

「貸せ」

何も言わない仮面の男から、私はあいつを奪い取る。
少しだけ、男が逡巡を見せた。
その意味を私は正確に理解できる。
三人で共に過ごした一カ月。
穏やかで何もなかった毎日だったけれど、噛みしめるように時を刻んだ。
その日々を共に過ごした男は、私の腕では、力を失ったあいつの体は重すぎると踏んだのだろう。
ああ、そういえば。力仕事はこの男が全部していたな。
つい昨日終りを迎えた生活なのに、もっと遠い日のことのように感じられる。

「無駄に生を重ねているわけではないぞ」

くすりと笑って告げ、あいつをこの手に奪い取った。
こともなげに、あいつを横抱きする私に男は驚いたようだった。
私は少しだけ笑った。
笑える自分にひどく驚いた。
足を進めると、後ろの男も私を追ってこようとする。

「馬鹿者。お前は少しそこで待ってろ」

なぜ、と問われる前に答えてやる。

「女の着替えを堂々と見る奴があるか」

もう一度笑うと、自分が本当に笑えていることがわかった。




『ねえ、なに見てるの?』

彼女のその仕草に気がついたのは、怖いくらい穏やかだった日々が始まってすぐのことだった。
ふ、とした時に彼女が見せる優しくて悲しそうな表情。
いつもその先には、彼女の綺麗でほっそりとした左手の薬指があった。

『いいやっ!な、何も見ていない』

声に気がついてそう言う彼女は、左手を捕まえて背中に隠した。
だから、ふうん、と言ってその時は流してしまった。
でもその仕草はいつまでも直ることはなく、人に気がつかれたからこそ、必死になって左手を見まいとする彼女の仕草がひどく痛々しかった。

『ねえ、やっぱりそれ、何かあるんだろう?もう、教えてくれてもいいだろ?』

結局、約束の日が目前に迫ったその時に彼女にきつく詰め寄った。
彼女は驚いた顔をして言うのを躊躇い、逡巡する表情を見せた。
だが、何か覚悟を決めたのだろう。
長い息を吐き出すと、その首元から細い鎖を引き出して掌にのせた。

『…馬鹿な男のことを思い出していたんだ…私にずっとそばに居てほしいと真正面から言ってきた男のことを』

そこには光を放つ石が配置された銀色の綺麗な指輪があった。シンプルだが彼女の指に映えるだろう美しい形をしていた。
言葉一つ一つが優しく、その綺麗な顔には、かつて彼女が妹に見せていたよりももっと穏やかで、何か満ち足りているものが溢れていた。

『……黎星刻…だね』

彼女に指輪を贈った相手。
その相手には心当たりがあった。
かつて彼女が率いる騎士団に協力した男だ。主への忠誠心にあふれた、頭の切れる男だった。
KMFのパイロットとしても卓越したものを持っており、敵として相対した時にはてこずらされた。
ほとんど確信を持っているが、彼女はただ微笑むだけで肯定も否定もしなかった。

『返事は?』

指輪を贈ってそんなことを言うのだ、当然、彼女の返事があったはずだ。
―例えそれが是にしろ否にしろ、今となってはどうにもならないけれど。

『…結局、言えずじまいだった』

なんと彼女は言うつもりだったのだろうか。
もし、自分たちが何の仮面も持たずにいられる人生を送っていたのならば、彼女の彼への答えは一つだっただろう。
そんな愛しげな表情をさせる相手なのだから。

『…そう』

彼女はまだ愛しそうに指輪を見ている。
彼女が好きだった。
それが恋愛だったのか友愛だったのか、今となっては自分でもわからない。
今の彼女へ向けるこの凪いだ気持ちの名前が分からぬように、かつて彼女に向けた気持ちの名前も考えたことはなかったのだ。
だから、真正面から彼女に愛を伝えた星刻にも、それを受けとめて同じ想いを彼へと持っていた彼女にも、うらやましさとともに妬ましさを感じた。
そんなことをつらつらと考えながら彼女を見つめているとき、気がついた。
彼女の指輪は一つではなかったことに。

『ねえ…それ』

わざと掌にのせなかったのだろう、彼女が首から下げていた鎖にはもう二つ、サイズ違いの指輪があった。
彼女が見つめていた指輪よりももっとシンプルな作りのそれの意味は、すぐに理解できた。
彼女は見つかって隠すことはできないと思ったのか、もう慌てたそぶりなどは見せなかった。

『…私の未練だ。届ける予定も是の返事も伝える予定もなかった。ただの私の自己満足だ…』

ああ、彼女らしいな。ただそう思った。

『…返事もしなかったって、それじゃあ相手が可哀想過ぎるよ』
『…まったくだ…』
『答えはどっちだって聞きたいものだよ、男としては』
『…そうだな』

彼女は決して反論せず、苦笑してその言葉を受け止める。

『…中華連邦の黎星刻の体が病に冒されていることは帝国の軍部でも有名だったよ』

ぴくりと彼女の肩が揺れた。
あの戦いの後、捕えられた星刻の体を調べた結果、その話は事実であったことが知れた。
あと一年、もつか分からないというのが医者の見立てだった。

『僕が彼と同じ立場だったら、死ぬ前に、どんな答えでも欲しいと思う』

そう言うと、彼女は心底驚いた顔をしてこちらを見つめた。
彼女のことだから、異母妹のことを気に病んで、恋仲だったと思いこんでいる僕のことを見るのだろう。
尊敬すべき主君を辱めたことは憎いし、一時は彼女の身を売って地位を得た僕だ。 その驚きには苦笑するしかない。
そうだね、どうしてこんな言葉が零れてしまうのか、自分にだってわからないんだよ。

『ゼロレクイエム…その完成前には無理だけど』

鎖にかかった一番大きくてシンプルな指輪を持ち上げる。
ぬかりのない彼女のことだから、きっとこの指輪は彼の指にぴったりとはまるのだろう。

『きっと彼の元にこれを届けるよ』

みるみる彼女の目じりに涙が浮かぶ。
けれど決してそれが頬を伝わることはない。
彼女は涙の代わりに微笑むことを選んで、優しく眼を細めた。

『ありがとう』

慈愛に満ちた微笑み。
ああ、そうだ。その優しさを持つ君が好きだったんだ。




「終わったぞ」

教会の後方のベンチに座って、ずいぶん遠くになってしまったあの日のことを思い出していた。
まるで走馬灯のように一瞬のことだと思ったが、結構な時間が経っていたようだ。
緑の魔女―C.C.の声に誘われて、ステンドグラスから溢れる光が照らす前方へと進んだ。
据えられた棺の中には、彼女が横たわっていた。

「美しいだろう?」

流した血を綺麗に拭われて、白いドレスを着せられた彼女は、C.C.の言葉通りとても美しかった。
色とりどりの花々に囲まれ、生来の美しさが更に引き立たされている。
表情もとても穏やかだった。

「そうだね」

仮面を外して、よくよく彼女を見つめる。

「…君、これの為にあんなカタログ見てたんだね」
「なんのことだ?」
「どうせ君のことだから全部知ってたんだろう。僕が彼女に約束したことも、全部」

C.C.が用意したドレスが、ただの白いドレスではないことは簡単に気がついた。死に装束にしては華やかなものだったからだ。
いつだったか、ピザを食べながらドレスのカタログを見ていたことがあった。
ただのドレスではなく、それはウェディングドレスのカタログで、「どうせ必要ないだろ」なんて彼女に言われて、いつもの口喧嘩をしていた。
そのことがあったのは、彼女に指輪を渡すと約束したすこし後だった。

「さあな」
「本当に君は素直じゃないね」
「お前に言われたくはない」

いつもこの憎まれ口の応酬には、彼女も加わっていた。
結局、二人だけでの軽口は長くは続かなくてすぐに沈黙が落ちた。
そして、彼女の首元にかかった鎖をはずして、その指輪を手にとった。
最後の時まで肌身離さず付けていたその指輪たち。
一番大きな指輪を胸のポケットへと仕舞う。彼女との約束を果たすその日まで、確かに預かるために。

「…いまは僕で我慢してね」

約束にはないことだったけれど、もう二つの指輪をもって彼女の指を持ち上げた。
もちろん通すのは、左手の薬指だ。

「…あいつはこれに似合うものをよくわかっているな」
「そうだね、とても似合ってる」

二つの指輪、特に彼が彼女へと送ったものが光を受けてきらきらと輝く。
全てが完成した彼女は綺麗で、綺麗で、とても命を持たない人だとは思えなかった。

「…ルルーシュはいつかあの人に会えるだろうか」

頬に涙が伝う。
なぜ涙がこぼれるのか、その理由を明らかにする気はなかった。

「私にわかるわけがないだろう」

辛辣なC.C.の言葉はこんなときでも変わらない。 ここは嘘でも、話を合わせてくれればいいのに。
でも、それが余りにもC.C.らしくて少し笑えた。

「…まあ、あの男は存外執念深い男だったからな…死んだら天子も何も関係なくなるだろうから、今度は全力でこれを捕まえにいくだろうな」

C.C.はそう言って、優しく彼女の頬をなでた。まるで母親が子供にするみたいだった。
いつもと変わらないと思っていたC.C.の指が少し震えていた。

「そっか…じゃあ、きっと会えるだろうね」

ただ僕らには祈ることしかできない。

「彼が迎えにいくまで、いまはゆっくりお休み…ルルーシュ」



僕が彼女との約束通り、彼に彼女の返事を持っていくのはこの日からおよそ一年後。
その時の彼を見て、僕は確信する。
彼女がもうすぐ彼に捕まえられるだろうことを。

「ルルーシュ、君が好きになった人は強い人だね」

きっと今、今度こそ涙を流して笑顔を見せているだろう彼女のことを思って、僕は仮面の下で笑った。

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