ゆっくりと夜が明ける。
空がまばゆい光に満ち始める気配がする。

「…ル、ルーシュ…」

かすれた声で自分を呼んだ男の目は開いていない。
けれど男の大きな腕が、眠っているとは思えない強い力で私の腰を引き寄せる。
それで私がいることを確かめたからだろうか。
ふにゃり、と。
そう表現するしか無い笑顔を見せて男はまた健やかな寝息をたて始めた。

「ジノ…」

間近で見つめる男の顔は、ずいぶん精悍な物になったとはいえ出会った頃の面影を確かに残している。
あの頃、この男がこんな「いい男」になるなんて一体だれが想像しただろうか。
少女のように大きな水色の瞳を潤ませて、びくびくとしていた少年の姿を脳裏に思い出して思わず笑みがこぼれた。
けれどその過去が、決してこの先交わることはない未来を思い出させる。

「すまない…ジノ」

いつか自分は必ずこの男を置いていく。
明日かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。
いつ、なんて明確なことは言えない。
けれどジノがナイトオブラウンズでいる限り、ゼロとしてブリタニア帝国に反旗を翻している自分とは相容れないのだ。
いや。
例えジノがナイトオブラウンズでなはなかったとしても、何か理由をつけて、きっと自分はジノを置き去りにしたのだ。
好きだから。
心から愛しいと思うから。
どうか生きていてほしい。どうか太陽のような笑顔を曇らせることなく生きていて欲しい。
どうか、どうか。

「お前はきっと怒るだろうな」

どれほど自分の願いが身勝手かはわかっている。
自惚れではなく、ジノは私がいなくなったら生きてはいけないほど私を愛している。
その時事を理解していても、私は私がいなくなってもジノにこの世界を生きて欲しい。

「なぜだろうな…私はお前をこちらに引き込めない」

なぜ、と疑問を口に出してみてもその理由など、とうに理解している。
たとえジノが幾千の屍を築き、幾万の血にまみれた帝国最強騎士の一人になっても、私の中のジノは今でもあの頃のジノだからだ。
憂いはあっても、穏やかな幸せが明日も繰り返されると信じていたあの頃。
10年も前に永遠に失ったささやかな幸福は、私にとって一等の場所に飾った額縁入りの絵のようなものだ。
いつまでも色褪せない、たった一つの良心。
だから。

「ジノ」

つぶやいて、手をジノの頬にやった。
ああ、この暖かなぬくもりもいつか手放すのだ。
そう、思った時だった。

「ルルー、シュ…?」

子どもがむずがるような声で私を呼ぶと、ジノはゆっくりと目を開いた。
晴れた夏の空よりも澄んだ蒼い瞳が、ぼんやりと私を見ている。
その時、ふ、と私はこの先きっとジノを忘れて生きることはできないと悟った。
例え別れても、いつも空を見上げて私は想いを馳せるのだ。
もう二度とふれあうことも、語り合うことも出来ない男へと。

「すまない、ジノ。起こしてしまったか?」

どうしようもなく胸が苦しくかった。
けれど、きりきりと痛む胸を抑えつけて、私は笑った。
あとなんど共に迎えられるか分からない朝だから、綺麗な思い出を残しておきたくて、私は笑った。

「ルルーシュ」
「なんだ?」

私の質問には答えず、ジノはしっかりと焦点を合わせると私の名をもう一度呼んだ。
そしてジノは晴れやかに笑った。
子供みたいに、本当に嬉しそうに笑って、子供には似つかわしくない力で私をぎゅうぎゅうと抱きしめた。

「…幸せだなあ」

ぽつり、と小さな声でジノが言った。
声が、出なかった。

「ルルーシュ。貴方と出会えて、良かった」

深く息を吐いた中に紛れ込ませた言葉が胸に刺さる。
知っている。
そこに「再び」と付け加えない男の優しさと、それに付け込む己の卑怯さを。

「ルルーシュ?」

どこまでも優しく、私を甘やかす男。
ああ、どうして、どうして。
どうして、私たちは再び出会わなければならなかったのだろう。
この他の誰にも代え難い男が再び私に教えた幸福は、呪わしいほどに甘く、私を芯から溶かす。
離れがたい、その想いを、この男は何気ない一言と行動で増幅させる。
知らなかった。
男の言葉一つ、仕草一つで心が暖かくなる自分を。

「どうかした?ルルーシュ」

甘く何度も自分の名を呼ぶ男が堪らなく愛しかった。
愛しくて、苦しかった。

「…幸せだ、お前と会えて」

言葉はそれしか出てこなかった。

「俺も、幸せです」

今この瞬間、息が止まればいいのに。
そう思うことを私は自分に許した。

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