神聖ブリタニア帝国。
世界の半分を支配下に置く帝国だが、その広大な領地はそれぞれ数字を振られ、皇帝が遣わした皇族によっておさめられていた。
11というナンバーをつけられた、エリア11もそのうちの一つだ。
エリア11。
神聖ブリタニア帝国の主要戦力、ナイトメアフレームに欠かせないサクラダイトの一大産出拠点を持つ、帝国の中でも指折りの要所。
そこを治めるのは、第17位とさして高いとは言えない継承権を持つ帝国の第三皇女。
名をルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
かつて“閃光”と謳われた騎士候、マリアンヌが産んだ皇女である。
背を流れる豊かな黒髪が映える白い抜けるような肌に、ブリタニア皇族に共通する紫眼。
そして何より、母妃譲りの凛然とした美貌。
美形揃いで知られる皇子皇女のなかでも特に美しい姿を持っていた。
しかし彼女の名が語られる時、人の口にのぼるのはその美貌ではなく、他国に畏怖される彼女の冷徹な戦略だった。
十のころより現帝国宰相シュナイゼルを後見にし、彼の元着々と功績を積み上げていったルルーシュ皇女。
この5年のうちに帝国の支配領域が急速に拡大したのは彼女の功績と言っても過言ではない。
本来であればエリア総督の地位に就くことは難しい継承順ではあるが、その功績ゆえ、異母兄の第三皇子クロヴィスがエリア11に総督として赴く際、副総督として赴任した。
この時、皇女は16歳。
そして一年後、総督であったクロヴィス皇子、帝国宰相シュナイゼル両名の推薦により総督位についた。
彼女が総督位についた際、エリア11のレジスタンス活動は他エリアと比較しても格段に数が多く、どんな手を使っても帝国側に屈しないという厄介な性質を持っていた。
さすがのルルーシュ皇女でもお手上げだろう、と誰もが意地の悪い笑みをこぼした。
だが、皇女はそんな彼らをあざ笑うごとく実に鮮やかに数々のレジスタンスを取り締まっていったのだ。
ルルーシュ皇女が総督になってから判明したことであったが、副総督として赴任していた当時、クロヴィス皇子があげたほとんどの功績は皇女に全権委任した作戦によるものだったらしい。
現在エリア内で抵抗する勢力は、ほんの一握り。
皇女が全てを掌握する日も近いと思われていた。
後の世にまで語られることになる物語が始まったのは、ちょうどその頃であった。
すべては、ルルーシュ皇女が自身の総督赴任一年を節目として行った演説に端を発する。
『生まれは問わぬ。弱肉強食、強きものが弱きものを従える。これがわが帝国の国是だ』
その時、誰もが耳を疑った。
訳を知らぬ者たちも、皇女の言葉がどれほどの意味を持つか知った時、「我こそは」と夢を見た。
『後日開催されるKMFおよび白兵戦での勝者を私の騎士とする』
高らかに、彼女の声が始まりを告げた。
「姫様!そのようなことはわたくしどもにお任せください!」
「お怪我などされては一大事にございます!」
エリア11、政庁。
落ち着いた色合いでまとめられた総督執務室に、年若いメイド二人の悲鳴のような声があがった。
トウキョウ租界の展望が一杯に広がる窓からは柔らかな陽の光が差し込んでいる。
年月を感じさせる重厚さ醸し出し、名工が端正込めて作り上げたとわかる繊細さが光る調度品の数々。
最先端機器が設置されているとは思えないほど時代がかった雰囲気がある。
その中で、メイドたちに声をあげさせた当の部屋の主は、白皙の美貌に呆れの色を浮かべた。
「薔薇の棘でさすくらい怪我のうちには入らん」
神聖ブリタニア帝国第98代皇帝の第三皇女にして、エリア11総督、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
彼女の姿は執務をする卓にはなく、休憩などでくつろぐ際に使用するソファアにあり、ルルーシュの腕で一抱え程もある量の薔薇の棘を処理しているところだった。
いつもなら略式のドレスを身を纏っているルルーシュも、今日は正装をしてその時が来るのを待っていた。
紺色を基調としたドレスは、喉元が見えるハイネックの縁が首飾りのように金色で刺繍され、胸元の雪花石膏のごとき白い肌が少しだけ覗くようになっている。
袖は肘から手首にかけて広がり、その縁には首元と同じ刺繍が施されていが、一方スカートは、なだらかな曲線を描く皇女の肢体に沿って足首までを覆っていた。
背に流した黒髪と同色のヒールの高い華奢な靴、そしてドレスと同じ紺と金が基調にされた帽子。
17歳という年齢にしてはいささか少女らしさに欠ける型と色のドレスだと思われたが、時に氷に例えられる美貌を持つルルーシュにはよく似合っていた。
「ですが小さな傷だとしても加濃なんてしたら…」
「だとしたらその時治療すればいいだけの話だ。それより、喉が乾いていたんだ。茶を入れてくれないか?」
まだ言い募る侍女の一人を遮ってルルーシュは彼女たちが手にしてきたものに視線をやった。
侍女らは敬愛する主の言葉にしぶしぶと茶の準備を始める。
ルルーシュは茶の準備ができる間も薔薇の棘を取る作業を止めなかったが、頑固な一面がある主の性格を知る彼女たちはこれ以上言っても無駄、と口をはさむことを諦めていた。
穏やかな沈黙が落ちる中に、芳しい紅茶の香りが漂ってきた頃。
ルルーシュの作業もようやく終わりに近づいていた。
「今日栄誉を手にする者は果報者ですわ」
「本当に。姫様御自ら手折られた上、刺の処理まで…」
彼女たちの言いようにルルーシュは苦笑する。
常々思っていたことだが、この二人は自分を神聖視しすぎるところがある。
慕ってくれる気持ちは嬉しいが、こんな言動には苦笑するしか無いルルーシュだ。
「選ばれる者はその命を懸けて私を守っていくのだから、こんな薔薇には褒美としての価値など…」
ほとんどないだろう。
とルルーシュは続けたが、今度は二人の侍女が盛大なため息をついた。
普通、こんな態度は不敬と取られるが、あまり堅苦しいことが嫌いなルルーシュは侍女たちのこんな態度も許していた。
「前々から思っておりましたが姫様は御自分を過小評価しすぎるきらいがおありですね…」
「そこが姫様の魅力のひとつでもありますけれど…」
口々につぶやいた彼女たちは、顔を見合わせてもう一度ため息を付く。
「お前たち…」
褒められているのか貶されているのか判断に迷うところだが、侍女たちが自分を見つめる視線はどこか生ぬるい。
思わずルルーシュは手元の薔薇の茎を握りつぶしそうになったが、芳しい香りを放つ紅茶が運ばれて、そちらに注意が向いた。
そしてとりあえず気を落ち着かせようと、薔薇から手を離しルルーシュは茶を一口含んだ。
「これは…」
「はい。クロヴィス殿下より姫様のご衣装と共に頂いた茶葉です」
「…あの人はよほど暇なのか…またブレンドが少し違っている」
あまり他の皇族たちと良好な関係を築いていないルルーシュだったが、一部の兄弟姉妹とは比較的穏やかな関係を結んでいた。
その中の一人が第三皇子であるクロヴィスだ。
一年前まで総督としてこのエリア11に赴任していた異母兄クロヴィスは壊滅的に政務に向かない人間だった。
その代わり芸術方面には遺憾なくその才能を発揮して、異母姉妹たちのドレスのデザインから帝立の娯楽施設の発案、果てはオリジナルの香水の開発まで手広く行っている。
そして、香水開発の仮定でハーブティーのブレンドにまで手を出し、本国に戻ってからも新作ができる度にルルーシュに送ってよこしていた。
一年前までは確かに総督はクロヴィスだったが、政に向かない彼は己の趣味に没頭するため、当時副総督であったルルーシュにほとんど全権委任の状態だったため、実質的には総督の仕事もルルーシュがしていた。
自分の思い通りにエリア統治を進められたことはルルーシュにとって歓迎こそすれ、厭うことなどなかったのだが、朝から晩まで仕事に忙殺された日々はさすがのルルーシュでもあまり思い出したくない日々だった。
「そういえば姫様、お聞きになりましたか?ヴァインベルグ卿のことを」
ふと、という風情で侍女の一人が言った。
「ヴァインベルグ卿というと、ナイトオブラウンズ、ナンバースリーのあの?」
直接は関係ない人物の名前に、皇女の眉根はいぶかしげによった。
「ええ、そのジノ・ヴァインベルグ卿のことですわ」
「で、その彼が?」
「ヴァインベルグ卿、一週間ほど前にナイトオブラウンズの位とそれに付随した爵位を皇帝陛下にお返しになったそうです」
優雅に茶を楽しんでいたルルーシュの動きが止まった。
ジノ・ヴァインベルグ。
当代でもその勢力を保ったままの大貴族、ヴァインベルグ公爵家の男児。
しかし、いかに大貴族と言えど四男である彼の元に転がり込む家名も爵位もない。
現在ヴァインベルグ家が所持している爵位は公爵のほか伯爵位のみ。
たしか、ヴァインベルグの長子がすでにその伯爵位を当主から譲られていたはずだ。
なぜそんな彼が、なぜナイトオブラウンズという軍人としての至高の地位と爵位を手放したのか。
誰もが不思議に思うのは自然なことだ。
もちろんルルーシュも、だ。
「…理由を知っているか?」
静かにルルーシュは問う。
「いいえ…そこまではわたくしも…」
申し訳ありません、と侍女が謝罪をのべる。
「いや、お前のせいではないのだから誤らないでくれ。いずれ耳に入ってくるだろうし」
ルルーシュはただ笑って、聞いてみただけだと彼女を安心させる。
だが、心の中には言い知れぬ不安が広がっていた。
ジノ・ヴァインベルグ。
彼はナイトオブラウンズだが、15で叙勲されてからのこの二年、皇帝のもとよりも帝国宰相の指揮下に入っていることのほうが多かった。
彼の叙勲はルルーシュがエリア11に赴任した後のことであったから、シュナイセルのもとで面識を持つこともなかった。
だが、彼がこの二年、あの異母兄と近く接していた、ということがいまのルルーシュには不気味でならない。
シュナイゼルは暗愚なものを嫌う。
そうとは表に出さずとも、6年も彼のもとにいたルルーシュは骨身にしみるほど知っている。
だから、シュナイゼルが重用したジノ・ヴァインベルグが何の思惑も持たずに爵位やナイトオブラウンズの地位を手放すとは考えずらい。
「それにしても姫様、最近は特にうれしそうなお顔をされることが多くなりましたね。なにか楽しみなことでも?」
考え込んでいるルルーシュの思考を断ち切ったのは、侍女のそんな言葉だった。
「…私はそんな顔をしてたか?」
「ええ。とってもお優しいお顔をしていることが増えましたわ。ロロ様やナナリー様からのお手紙の時期ではありませんし…何か姫様のお心を弾ませることでも?」
侍女たちは、自分のことを良く見ているのだな、とルルーシュは少しばかり頬を染めた。
そして、ルルーシュはかすかに笑った。
まるで咲初めの薔薇の如く。
ルルーシュの御印である薄紫色の薔薇や豪奢に咲き誇る深紅の薔薇に例えられることが多いルルーシュだが、このとき侍女たちが見たルルーシュの微笑みはそのどちらでもなかった。
例えるなら、薄紅色の小さな薔薇のような。
ルルーシュの美貌を見慣れている侍女たちさえ見惚れた。
「…夢が、やっと叶うんだ。…九年越しの夢がやっと…」
どこか恥じらうように、けれど夢見るように、ルルーシュは語る。
ほうっと無意識のうちにだろう漏れる息が、甘い。
その姿はまるで…。
「ルルーシュ殿下!!決勝の二人が出そろいました!!」
しかし、暖かな静寂の中に生まれた一幅の絵は無粋な闖入者によってかき消されてしまった。
侍女たちは忌々しく思ったものの、その知らせはルルーシュが今日この日心待ちにしていたものだった。
「結果を」
「はっ!KMF、白兵戦ともに、ナンバーズの枢木スザク、そして我がブリタニア軍一般兵のゲオルグ・ヴェルフが勝ち上がりました」
まあ、と侍女たちがどこか青い顔でルルーシュを見るが、すでにルルーシュの心はここになかった。
即座にルルーシュは自分で棘の処理を施した薔薇を抱えて立ちあがった。
「ひ、姫様!?」
あわてる供の声に耳をかさず、ルルーシュは文官が入ってきた扉をいきおいよくあけると満面の笑みを侍女らに見せた。
「私の騎士を決める決闘に、肝心の私が立ち会わなくてどうする!」
その笑顔に思わず見惚れた供らをおいて、ルルーシュは早くなる鼓動に静まれと言い聞かせながら歩みを進める。
「約束が果たせるぞ…スザク…」
この時、ルルーシュは己の賭けの勝利を微塵も疑っていなかった。
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