「アーニャ、ジノをどこかで見なかったか?」
陽光が降り注ぐ太陽宮の回廊。
大柄で背の高い年下の同僚を探していたノネットは、その同僚と行動を共にすることの多いこれまた年下の同僚の少女を見かけて呼び止める。
ノネットは、明日出発する作戦について昼食後にジノと打ち合わせをする予定になっていたのだが、姿を見失ってしまっていた。
昼食の前には見かけたのだが、それ以来ぱったりと姿が見えない。
ナイトオブラウンズであるから、もちろん多忙は多忙なのだけれど、思い当たるところはすべて見回ってみたのだが、ジノがいた痕跡さえもノネットには見つけられなかった。
「あっち」
ほとほと困り果てていたところに現れたアーニャは、果たしてノネットの探し人の居場所を知っていたらしい。
アーニャは表情を動かさないまま、指だけで今来た道の奥を指差した。
「さすがアーニャ!礼を言うぞ」
ノネットは顔を輝かせて、アーニャの横を通り過ぎようとしたが、翻したマントをすかさずつかまれる。
もちろん、犯人はアーニャだ。
「なんだ、アーニャ?いちおうこれで私も急いでいるんだが」
意味のないことはしないアーニャだから何かしらあるのだろうが、一応これでノネットも多忙の身。
明日の出立の準備もあるのだから、またジノを見失って、これ以上の時間を無駄にするのは避けたかった。
困ったようにノネットがアーニャへ問うと、アーニャは静かに首を振った。
「いかないほうがいい」
「いかないほうがいい、って…ジノのところにか?」
虚を突かれたようにノネットがおうむ返しにアーニャの言葉を繰り返せば、今度はアーニャの首が縦に動いた。
「これ」
表情を変えないままアーニャが差し出してきたのは、アーニャがいつも持っている携帯電話だ。
その画面に映っていた記録を見て、ノネットはアーニャが自分を止めた意味を知り、そして、ジノにすぐに会うことを諦めた。
「あー…これは行ったらまずいね…礼を言うよ、アーニャ」
ノネットはあっさりと踵を返すと、するりとアーニャの手からマントが離れた。
もちろん打ち合わせを早くしたいのは山々だったが、アーニャに見せられたものは、その気持ちを変えさせるに十分なものだった。
「ところで、あの方はいつ戻って来たんだ?予定では明日お戻りの予定だったはずだけれど」
「1時間くらい前。ジノはさっき来た」
「…本当に今行ったら、馬に蹴られて命を落とすところだったよ」
ノネットは、軽やかにアーニャに告げると爽やかに去って行ったのだった。
「し、失礼しました!!」
ノネットがアーニャの忠告に従ってジノとの打ち合わせを諦めて踵を返した頃、何も知らない侍従がジノがいる部屋に入り、すぐに大声で謝罪して部屋から逃げ出していた。
しかし幸いなことに、彼はその部屋の中にいた大変危険な人物に顔を覚えられることもなく部屋を辞したため職を失うことはなかった。
「急ぎではないのか?」
あわてて出て行った侍従声に、部屋の主は片手で持っていた次の作戦の詳細が記してあるタブレットから視線を上げた。
つい一時間ほど前に部屋へと帰って来たばかりだというのにどこからから呼び出しだろうか。
せっかく居心地のいい自分の部屋のソファに身を沈めたばかりだというのに。
しかし用件も告げずに出て行ったのだから、例え呼び出したあったのだとしても、自分はそれを聞いていないのだから急ぎのものだとしても自分に非はない。
そう自分でその黒髪の麗人は納得し、短く息を吐くと、座した自分の太ももを枕にして床に座り込んでいた大きな体躯が自分を見上げてきた。
「お疲れですか?」
心配げに麗人を見つめる瞳は、視察へ行ったユーロ・ブリタニアの北の大地から見える空よりも青く澄んでいる。
透明度が高い湖のように吸い込まれそうな瞳だった。
片側でしか麗人はその瞳を見ることができないけれど、その美しさは変わらない。
「いや、少し考え事をしていただけだ」
男の髪をすく手が止まったからだろうか、先ほどの闖入者には気にも留めず一心に麗人を気遣う。
麗人はそんな男を安心させるように笑うと、もう一度彼の髪をすく手を再開させた。
「そんなに心配するな。そこまでの疲れではない」
「ですが、ジュリアス様」
「くどいぞ、ジノ。言い募るのなら、お前が枕にしている私の足を返しておくれ」
むしろ視察の移動の際は、男ージノがいなかったのだから、身体的にはいまよりもよほどゆっくりくつろげた。
しかし、麗人―ジュリアスにとってはジノがいる方が精神的な安らぎを感じられた。
絶対に自分の言ったことを聞かないだろうと見上げてくるジノの瞳を覗き込みながら言えば、ばつが悪そうな顔をして、ジノはさらにジュリアスの片足を抱き込んだ。
「…いくらジュリアス様のご命令でもそれは聞けません」
つい数か月前に出会ったばかりだというのに、ジュリアスはジノがこんな風に自分へと甘えに来ることを楽しみにしていた。
まるで昔から自分に恋焦がれているかのような態度と反応を見せるジノに、心地よさを感じている自分がジュリアスはことさら不思議だった。
けれど、ジュリアスはその不思議な気持ちをねじ伏せても、ジノがそばにいることによって安堵する気持ちをとった。
本当にジュリアスは自分で自分がわからないが、ジノといると心が安らぐのだった。
「子供のような顔をするな」
笑いながらタブレットから手を離し、両手でジノの髪をすいてやれば、気持ちよさそうにジノは目を閉じた。
この満ち足りたジノの表情が好きだった。
遠い昔、いつか見たような気がする。
ジュリアスは記憶をたどろうとするが、いつもの頭痛が襲ってすぐにそんな思考は途切れてしまう。
「今度の視察もスザクではなくて、私が護衛できればいいのに」
ぽつり、とジノはつぶやく。
その声音にはありありと不満の色があって、ジュリアスは苦笑するしかない。
ジュリアスはつい一時間ほど前にユーロ・ブリタニアへ視察から帰ってきたのだが、すぐにまた同じ場所に今度は軍師として派遣されることが決まっていた。
今度は長期になることが決まっており、護衛としてジノの同僚でもあるナイトオブラウンズのクルルギ・スザクが派遣されることになっていた。
スザクは今回の視察でも護衛を務めており、妥当な判断だと思われるが、ジノにはそれが気に入らないのだ。
先日の視察の護衛の時もずっと文句を言っていた。
「お前も明日から作戦につくだろう」
だからこそジュリアスはすれ違いにならないように、視察を少し早めに切り上げて帰ってきたのだ。
「トリスタンに乗るより貴方と一緒に居たい」
ジノはルキアーノのような戦闘狂でこそないが、純粋に強さを発揮できる戦いというものが嫌いではないことをジュリアスは知っている。
だから自分の力が求められるところならば、誰より先に手を挙げて向かっていたというのに、ジュリアスと出会ってからそれは変わった。
「そうは言っても、陛下のご命令なのだから聞き分けろ」
子供に言い聞かせるように、優しく言ってやれば、不承不承という顔をしながらもジノはうなずいた。
だがジュリアスは、そのジノの表情を変化させるに十分な情報を持っていた。
「何より、今回お前がつく作戦の立案者は私だ。総指揮こそシュナイゼル宰相閣下にお任せするが…私の顔に泥をぬるなよ」
すると現金なものでジノの顔はきらきらと輝く。だが、すぐに少しそれを曇らせた。
「総指揮も貴方がとってくださればもっとよかったのに」
あくまで自分と共に居たいと言うジノに、もうジュリアスがかけられる言葉はない。
呆れを含みつつも、確かに自分を一心に慕うジノを可愛らしいと思う気持ちからジュリアスは笑みを浮かべた。
「ジノ・ヴァインベルグ…明日からは私の作戦に従事し、与えらえた役割を遂行してこい。作戦成功の褒美を楽しみにしていろ」
ジュリアスがジノに”命令”すれば、ジノもようやっと、その最後の褒美の言葉に反応して表情を晴れやかなものにした。
「イエス、マイロード」
優雅なる獣たちのある午後の休息のひと時の出来事である。
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