a たとえあの日に還れても


※この話には『亡国のアキト第4章』のネタバレががっつり含まれております。ネタバレがお嫌な方はそっとプラウザを閉じていただければ幸いです


「スザク…ひまわりがきれいだ…」

あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
KMFでの戦闘に負けることは無かったけれど、気を失ってしまったジュリアスがシン・ヒュウガ・シャイングの手にある以上スザクにできることは投降以外ほかになかった。
初の第七世代KMFであり、日々ロイドによって改良が施され、恐らく世界最高の機能を誇るランスロットも、今は囚われの身のスザクと同じく厳重にユーロ・ブリタニアの監視下に置かれてしまった。
微かな機械音のほかは静まり返ったこの牢獄には、スザクと共に囚われたジュリアスの声だけが響く。

「なあ、スザク…きれいだな…」

甘く、うっとりと、優しく響くその声。
もうあの断末魔を上げる彼しか思い出せないはずだった。
けれど、いまこの場に響く声が呼び覚ますのは、幼い日の悲しくも懐かしい記憶だった。

『スザク、お前本当に不器用だな』

呆れながら笑った彼の声が耳にこだまする。
今の彼が夢見ているひまわりが綺麗に咲きそろうひと月ほど前のことだ。
背の低い笹と飾り付けるための折り紙などを持って彼と彼の妹が生活を送る蔵を訪ねた。
スザクは七夕飾りなんて昔から興味はなかったけれど、彼や彼の妹はきっと好きだと思ったし、何より天候がすっきりしない梅雨に屋内でできる格好の遊びだと思ったのだ。
そこで颯爽と折り紙を綺麗に折って七夕飾りを披露するはずだったスザクだが、元より興味がなかった上、生来の不器用さが邪魔をして、見本を見せてやろうとして出来上がったのは実に不格好極まりない代物だった。
その代物を見て笑った彼は、いつもより優しい顔をしていたような気がする。

「スザク」

記憶を漂っていた意識が現実に引き戻される。
寝台の上に座り虚空を見続ける彼はまだ幻影の中にいるようだ。
シンと相対して意識混濁を起こした後、ここに囚われて再び目覚めた時、すでに彼は彼の記憶の中にいた。

『ナナリー、母上が呼んでるよ…』

目覚めては稚い口調で親しいものを呼び、ふ、とした拍子に意識を失う。
短い間隔で彼はそれを繰り返す。

『シュナイゼル兄上…今日こそ勝ちますよ』
『またですか、クロヴィス兄上』
『コーネリア姉上に怒られるよ、ユフィ』

スザクと出会った時には既に厭わしい思い出になっていただろう人たちにも、彼は語りかける。
彼から兄弟のことを聞いたことはなかった。
ただ父を、故国を心から憎んでいたことは知っていた。
うだるように暑い夏の日。
やっと生き延びてたどり着いた場所で、夕日に照らされながら彼は苛烈に宣言したのだ。
故国を壊滅させる、と。

「ひまわりが…」

スザクの重い腰が上がる。
ふらり、と足が進むのは幼い日の自分を呼ぶ彼の元。
偽りの日々を送り始めてから、いつだってスザクは自分を抑えていた。
敬愛すべき主人を殺した、世界中の誰よりも信頼できるはずだった幼馴染の彼を自分の手で傷つけることを。
幼い日の彼と同じように、心を寄せた分だけ彼へと向ける憎悪は大きくなっていたから、自分でも何をしでかすかわからなかった。
だから同じ牢獄に閉じ込められても、なるべく彼から距離を取った。

「スザク」

彼の真正面にスザクは立った。
こうして正面から彼の顔を見たのは、あの神根島以来のような気がする。
彼は目の前に立っているスザクも目にはいっていないのだろう。彼の瞳はうすぼんやりとしたままだった。
すぐに思い出される彼の表情は、最後に見た憤怒に満ちた夜叉のようなもの。
けれど今の彼は、とても同じ人物だとは思えぬほど、穏やかな顔をしている。
それがどうしようもなくスザクの胸をしめつけた。

「ねえ…」

スザクの言葉が彼に届かないことなどわかっている。わかっているからこそ、スザクは今彼に向き合えていた。

「君と僕は…いつの間にこんな遠くに来たんだろうね…」

そっと手を伸ばして、彼の白い頬に手をやった。
手袋越しにも、ほのかな暖かさが伝わってくる。
しゃらりと彼の左目にまかれた眼帯の飾りが揺れた。
スザクの行動によってか、それとも幻の中の出来事によってかはわからないが、確かに彼はスザクの手に頬ずりするように少し頬を寄せて微笑んだ。

「ねえ、どうしたら僕たちはあの日のままでいられたのだろか」

それは何万回も自分に、そして心の中で彼に問いかけ続けたものだった。
彼と出会ったあの日々が、自分たちにとって最良に幸せなものだったわけではない。
けれど確かに自分たちの道は決定的に分かたれてはいなかったはずだ。
お互いが一番信頼できる相手だと認め合い、いつの日か何の隔たりもなく過ごせるようになったならば、その時こそ、手を取り合って共に歩いて行ける未来があるのだと信じていた。

「…答えてはくれないんだね」

言葉だけでスザクは詰るが、本当のところでスザクは彼の答えを必要とはしていなかった。
本当はスザクも理解しているのだ。
たぶん、何度何回繰り返しても、彼と自分は同じ道を歩むだろう。
いつだってスザクは自分の最善を尽くして選択をしてきたし、目の前にいる彼もきっとそうだろう。
お互いの譲れないもののため、例えこの悲しい未来がわかっていたとしても、周囲の状況が変わらない限りきっと同じ道を選ぶ。

「スザク」

甘い、砂糖菓子のような声で彼が自分を呼ぶ。
彼がいるであろうひまわり畑では実際にこんな風に自分を呼ばなかったくせに、今更甘えるような声を出すなんて。
スザクの手が彼の頬を滑り、細い首にかかる。
一瞬、その細さを確かめるように手が止まる。

「君は本当にずるいよ…ルルーシュ…」

呟いたと同時にスザクの手は首から肩を滑って背中に回り、両腕を使って彼をその腕の中に抱きしめた。

「…いつか僕は君を……」

彼の耳元に、彼だけに聞こえるように、密やかに吐息に混ぜて告げた。

「なあ、スザク…きれいだな…」

スザクの声は音にならず、ただ彼の声だけが牢獄には響いていた。

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